レモンの香りの行方【ショートストーリー】#シロクマ文芸部
レモンから漂う酸味が鼻先を刺激した。アールグレイの高貴な香り高さよりも、ツンとすましたレモンを感じ取ってしまうのは、いまの心の状態を表しているからか。カップを口に運び、ゆっくりと喉の奥へ流し込む。ツンとしたレモンの刺激を感じるだけで、何の味もしなかった。
アールグレイとは、ベルガモットという柑橘系果実の香りをつけた紅茶のことらしい。紅茶好きな彼女から聞いた。ベルガモットの花言葉は「火のような恋」だと教えてくれたときの、はにかんだような表情が忘れられない。
「話がある」
と、彼女から連絡を受けたとき、僕はすべてを悟った。ついにこのときが来たか。もうずいぶんと前からわかっていたのに、見て見ぬふりをしてやり過ごしてきた。
5年の歳月は、簡単に答えを出させてくれない。心は完全にすれちがっているのに、積み重なった思い出が情という鎖となって、二人をつないでいる。前に進むことも後ろに戻ることもできなくなっていた僕たちは、ずっと時の流れに置き去りにされてきた。
いや、置き去りにされていたのは僕だけで、彼女は違ったのかもしれない。だからこそ、いま、この関係に終止符を打とうとしているのだろう。
店の入り口に目をやると、ちょうど彼女が入ってくるところだった。かなり緊張した顔をしている。手を挙げて合図を送ると、真っ直ぐにこちらへと向かってきた。
「ごめんね、遅くなって」
時間ぴったりに来たはずなのに、彼女は詫びた。
「いや、大丈夫。そんなに待ってないし」
冷めたアールグレイを口に含みながら、僕は返した。
そのあとは言葉が続かなかった。永遠のように感じられる沈黙がしばらく続き、ようやく彼女が口を開いた。
「あのね・・・」
彼女の言葉をさえぎるように、僕は続けた。
「もう、終わりにしよっか」
彼女は目に薄く涙を浮かべ、じっとこちらを見ていた。わずかな驚き、さみしさ、不安、安堵……さまざまな感情が入り交じったような表情は、あのときのはにかんだ笑顔に少しだけ似ていた。
うまく言葉が出ず、うなずくことで彼女は意思表示をした。その様子を見ながら、僕は紅茶を飲み干した。アールグレイどころか、もうレモンの香りすら感じられなかった。
▼シロクマ文芸部のお遊び企画「レモンから」をテーマに書きました
いいなと思ったら応援しよう!
応援ありがとうございます!これからも心を込めて、書いていきます!