誰かに甘えることは、わたしの試練なのです
先日、子どもの体調不良で仕事をお休みしなきゃいけなくなったんですが。
わたし、「休みます」って言うのが本当に嫌で。
というのも。
小さい頃からずっと、「他人に迷惑をかけるな」って母に言われ続けてきて、それが必要以上にからだにしみ込んじゃってるみたいなんですよね。
子どもが体調を崩しても、「この程度の症状なら仕事が終わってから病院に連れて行ってもいいかな……」なんて思っちゃうんです。
冷たい母親でしょ?そんな自分が心底嫌になる。けど、それでも「休みます」って言う方がストレスなの。どうしようもないよね。私がいなきゃ成り立たないような仕事でもないのにね。
このときは、おかげさまでその日のうちに症状が回復して、翌日は無事に出勤することができました。
休んでしまった罪悪感を両手に抱え、朝から上司や同僚に謝罪行脚。
けどね、皆さん、ビックリするくらいやさしかったんですよ。逆にこちらが何か言う前から、「子どもさん大丈夫でした?」なんて聞いてくれる人もいて。
いやー、もう、本当にありがたい。迷惑をかけたはずなのに、逆に心配してもらっちゃって。
でもね、もし逆の立場だったら。誰かが急な体調不良でお休みしたら、同じようにわたしも心配するし、ましてや「迷惑かけられたー!」なんてつゆにも思わない。
よくよく考えたらわかることなのに、どうして「休みます」の一言をそこまで重くとらえちゃうんだろね。
良くも悪くも、わたしは完璧主義なところがあって。自分一人でなんでもやり遂げたい!って気持ちも強くて。誰かに甘えたり、頼ったりすることがすごく苦手なんです。
だけど、そろそろこのへんで自分をゆるしてあげたい。わたしに纏わりついている目に見えない呪縛から解放してあげたい。
そんなことを思っていた矢先、たまたま出会った言葉があるんです。
急なお休みも“与えられている”と思って、感謝をすればいい
わたしにはなかった発想で、ビックリしました。
休むことで誰かに「迷惑をかける」ことしか頭になかったけど、誰かから「与えられたもの」なのだとしたら、素直に受け取ろうって思えたんです。
人は一人では生きられない。
歳を取ればとるほど、それがだんだん顕著になっていく。わかってるはずなのに、なんでこうも強がっちゃうんでしょうねぇ。
誰かに甘えること
誰かに頼ること
残りの人生に課された、わたしの課題なのかもしれません。
あ、もちろん、「ありがとう」の気持ちは忘れずにね。
▼喜木凛さんのnote de Noël(ノート・ド・ノエル)に参加しています。Day5テーマ:ゆるし
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