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新生ヌーソロジーサロン💫スタート🌟🌟🌟

半田さんが亡くなった時、ヌーソロジーサロンはどうなるんだろう?と思ったけど、その後すぐ、半田さんの奥さんであり臨床心理学の専門家で独自でイデアサイコロジーをを立ち上げている春井星乃さんがサロンを引き継いでいく旨の発表があった。

ヌーソロジー提唱者、半田さん亡きあとヌーソロジーはどうなっていくのか?
というのは半田さんが亡くなった直後から不安になったところだったので迅速な発表は有難かった。

シュタイナー亡き後もシュタイナー哲学は今も続いているし、哲学のジャンルだってドゥルーズ、ハイデガー、西田幾多郎と亡くなったあともその哲学は研究され続けている。ヌーソロジーもおそらくはそうなっていくのだろう。

そして、今日はその始まりの日🌟

今までは半田さんがバーンと答えを出していたけれど、(わからないものはわからないと素直に答えられていたところもいいところ)
これからは皆々が答えを探索していくようになるのかな。そしてサロンはその探索を共有する場になるのかな。

これから人間の『意識』というものを研究していくジャンルはアカデミズムでも在野でも広がっていくと思う。(物理学、相対性理論、量子力学、数学との接続を含めて)


心、自我、意識とは
クオリアとは
時間とは
空間とは
宇宙とは
人間とは
存在とは
自己とは
他者とは
生命とは

そして死とは・・・

チャネリング情報が発端になった一風変わったヌーソロジーだけど、上に挙げたような事が気になる方には大変オススメ🌟

是非どうぞ🌟🌟🌟

サロン入り口↓


本日のサロンのメモノートシェア🌟






ヌーソロジーはわかりにくい、
難解という方々多いけれど
聴きながら見ながら書くことで頭によく入り
思考し続けていくことで
やがて身体知へと繋がっていきます💫


春井星乃さんからのメッセージです🌟

ヌーソロジーサロンの5月のスケジュールがUPされました!
今週9日(土)からいよいよ新生ヌーソロジーサロンの出航です✨
メンバー一同、ヌーソロジーの灯を絶やしてはいけないという熱い想いと半田さんをみんなで偲びたいという気持ちから、この5月のサロンスケジュールを作成しました。
◾️9日:川瀬さん【オリオン・ミーティング#14】「キャプテン・コーセンを偲んでー第14回の意味と、オリオンのこれからー」(アーカイブで見られます🌟)
◾️16日:島津くん【Bar ih (バー・アイエイチ)#10】「シ。―やっと向き合うあなたとわたし―」
◾️23日:天海さん【セルマンダラINヌース 特別回】「永遠の扉」―生死を超えて広がる、命と心―
◾️30日:春井【イデアサイコロジーINヌース#1】
半田広宣「魂の履歴書」ーAK(After Kohsen)をどう生きるかー
すでにサロンメンバーの方にも、ヌーソロジーって敷居が高かったけどこの機会にちょっと覗いてみようかなという方にも、きっと心の深いところで何かを感じとっていただける内容になると思います。
以下に、私の番組「イデアサイコロジーINヌース」の紹介文を載せておきますね。
ヌーソロジーに加えて、心理学や人間関係のこと、性格にも興味があるという方、実際の暮らしに役立つ内容が見たい…という方にも、楽しんでいただける内容にしていきたいと思っています。
ぜひサロンにご参加いただけると嬉しいです!
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<5月30日(土)14:00~16:00>
半田広宣「魂の履歴書」
ーAK(After Kohsen)をどう生きるかー
出演:春井星乃&まきしむ
1. 半田広宣「魂の履歴書」ー6つのフィルター
2. WK(With Kohsen) ー依存と他我化の構造について
3. AK (After Kohsen) ー自立と裁判官(メタ認知)について
4. AKをどう生きるかーヌーソロジーとイデアサイコロジーの両立(顕在化と潜在化)
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<番組紹介>
これから月1回番組を担当させていただきます。春井星乃です😊
半田さんの代わりとしてはまだまだ未熟ですが、精一杯みなさんに役立つ面白いコンテンツをお届けできるように頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします!
私の番組は「イデアサイコロジーINヌース」と銘打ち、イデアサイコロジー(個人の意識発達&歴史・社会意識)とヌーソロジー(空間構造)の架け橋となるようなお話をしていきたいと思います。
ヌーソロジーは意識と物質を統合するイデア論なので、どうしても現実生活とは離れた抽象的な構造論になりがちですよね。
もちろん構造論も大事なのですが、私は「実際の暮らしの中の自己他者関係に自分の意識状態が表れる」「その意識状態を通してヌーソロジーも理解される」と考えているので、
「イデアサイコロジーINヌース」では、現実に生きる人間としての立場からヌーソロジーを探求することを目指したいと思っています。
半田さんが急に旅立ってしまったことで、私も含め、みなさん喪失感を感じておられると思います。追悼番組のチャット欄やXでは「半田さんが亡くなって初めて自分が依存していたことに気づいた」「自立しなければ」というコメントが複数見られました。そのことも踏まえて、今回はまず「半田広宣とはどんな人間だったのか」をイデアサイコロジーの方法論をご紹介しながら、みなさんと分かち合いたいと思います。
そして、広宣さんがいた時(WK:With Kohsen)、広宣さんがいなくなった後(AK:After Kohsen)の私たちの意識状態、そしてAKをどう生きるべきかというお話をしたいと思っています。
今回は、MCとして「奥行きの子供たち」とYoutubeチャンネル「noosなくらし」でお馴染みのまきしむに参加してもらうことになりました!
半田さんの人生を振り返りつつイデアサイコロジーのダイジェストをお伝えし、これからのヌーソロジーへの向き合い方についてみなさんと一緒に考える…そんな回にできればいいなと思っています。

https://x.com/i/status/2051981551563587977


アカデミズムの意識を巡る最新の動き💫

💫意識の奇妙な構造を簡潔に言葉で述べるなら、「身体と世界との間のねじれたループ」と言ってもよいのではないかと私は考えています。
ここで言う「身体」とは世界へのインターフェースであり、脳を含みます。我々は身体があることによってはじめて世界を経験できますよね。現象学的に言い換えると、世界は常に身体に対して現われる、ということになります。
それはつまり、世界が現われるためには身体が必須であり、世界は身体によって条件づけられているということでもあります。いわば、身体は世界を包み込む面があるということです。
しかしその一方で、物理的には、身体は世界の一部ですよね。つまり、その意味では身体は世界によって包み込まれている。
このように、世界を包み、同時に包み込まれているという、「クラインの壺」のような特殊なループが意識なのではないかと考えています。


💫豊かなクオリアとしての純粋経験
「純粋経験」という体験を言葉で説明することはできません。言葉にするという行為そのものが、主体と客体を区別することを要請するので、無理な相談なのです。
しかし、今の私が関心を持っている意識研究の概念を使うと、純粋経験を別の角度から伝えることができるかもしれないと思っています。
意識の質のことをクオリアと呼ぶならば、純粋経験は通常の経験とは異なり、極めてリッチなクオリアなのです。どのくらいリッチかというと、大学生だった私がつくば市の交差点で涙ぐむくらいです。あまりにリッチすぎて危険なくらいです。
だから、私たちは普段、さまざまな「色眼鏡」をかけることで経験のリッチさをそぎ落としているようにも思います。「街路樹」という言葉も一つの色眼鏡です。
でも、ふとした瞬間に、対象に向けていた色眼鏡が外れるような経験をしたことがありませんか? たとえば、何かのきっかけで、長く付き合ってきた知人の意外な一面を知ることができたとき、「あ、今までの自分は色眼鏡をかけてこの人を見ていたな」と感じることがありますよね。あの感じに近い感覚です。
人間は多面的で複雑なのに、普段は色眼鏡をかけることで「このひとはこういう人/あのひとはああいう人」と、リッチさをそぎ落としていますよね。しかし、ある瞬間にその人の全体が、とてもリアルに感じられる。そのときは、いつものように斜に構えて相手を観察している「私」はいなくなり、何らかの意味で相手と一体化していたりしないでしょうか。
そして多面的でリアルなのは他者に限られません。一個のリンゴも、つくばの街路樹も同じです。そしてその極めてリッチなクオリアを純粋経験できたときには、「対象」と「私」の区別がなくなり、私は純粋経験が起こる「場」に変化します。豊かなクオリアが、「私」の定義を変えるんですね。ただ変化すると言っても「私」という場所がそこで初めて登場するわけではありません。「私」という場所はつねにあります。普段はいろいろなモノや人と区別した「私」という存在にばかり目を向けていてそれに気づかないだけで。




💫スウェーデンのウプサラ大学(UU)で行われた研究によって、「ビッグバンより前に“意識の場”が存在し、そこから時間や空間や物質が生まれた」という常識破りの理論モデルが提案されました。
この研究では、意識そのものを宇宙全体に広がるフィールド(場)としてとらえ、量子場理論(粒子を場の揺らぎとして扱う理論)の道具を使って、その場のゆらぎや“崩れ方”から時空や物質、さらには私たち一人ひとりの意識がどのように立ち上がるかを数式で描いています。
さらに著者は、私たち個々の人間の持つ意識は意識場の上に存在する波のような存在であり、肉体は滅びても意識は意識場に帰っていくと解釈できると述べる仮説を提示しています。
この仮説は、量子物理学と古くからの哲学・宗教の思索を「数式」で橋渡ししようとする試みでもあります。
脳の副産物だと考えられてきた意識を、むしろ宇宙の基本要素と捉え直す視点は、意識研究の難問に挑む一つの革新的アプローチです。



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