《モノの中へ入る💫》ということについて①🌟モノとは何か!?言語空間から感性空間へ💫
ヌーソロジーが元止揚と呼ぶ空間。それは生まれる前の胎児と胎盤の意識。それは見えない世界。虚の世界。
人間はオギャァと生まれて感性、女性性をなぞり、幼児期の境目で思形(言語や思考を司る)、男性性をなぞり、一気に自己の世界から他者視線化の世界へと放り込まれる。
意識は無意識と顕在意識に別れ、無意識は潜在化してしまう。
その流れは宿命的でどうしようもないことだけど
その他者視線化した世界観から抜け出す方法、潜在化した無意識を顕在化させる理論をヌーソロジーは提示する。
そうそれが、モノの中へ入る理論、方法論だ。
モノというのが何かといへば、モノは精神と物質を生み出してくるもの。結論から言ってしまえば
ヌーソロジーはモノとは素粒子だという。
粒子となり波となる。
物質が精神を作るのではなく
精神が物質を作るのでもない。
唯物論も唯心論、唯識論も片側だけに立った理論だった。脳(物質)から意識がつくられてるのでもなく、心が物質、現象をつくり出しているのでもない。
両方とも併せ持ち生み出しているもの。
それが
モノ
なのだ。

虚の世界のカタチ。
ヌーソロジーが描くモノ、元止揚空間。
勿論ぼくら物質世界の現世人類が見える形にこのように描いてあるが、実際的には見えない虚の世界だと思っていい。
ぼくはよく次元は目の前に折り畳まれていると記事に書いたりするが、物質がギュッと凝縮してるわけではないので要注意。そういう見方は三次元的見方を卒業出来てない証拠。
次元が折り畳まれているのは目には見えない虚軸の方向、見えない点の反転世界、普通の見え方ではないのだ。
さて、そんな世界にどうやって行くのか!?
瞑想とかではないヌーソロジーの考え方。
まずは他者視線化した自我を本来の自己視点に戻すということ。

CFT空間が虚の世界となる。
そこが時空の元である。
自己と他者の視線がねじれあい、
時空を生み出し
そこに自己と他者のお互いが自我を放り込み
生きているのだ。
こちらの図でCFT空間とあるところがモノ、
ヌーソロジーが言う元止揚空間、カントの物自体、ラカンの現実界、釈迦やイエスや空海が入っていったところだと思っていいと思う。
高次元存在のオコツトからすると悟った人間はいないということだが、人間側からすると元止揚の覚醒こそが悟りの境地。キリスト意識もブッダもそのあたりに意識の位置があるという。
上の図の赤い丸ADS(アンチ・ド・ジッター空間)と記されているところが
現世人類がいる科学的概念、資本主義的社会、他者の視線、価値観に縛られて生きている世界だ。直線的な時間、言語が作っている世界。
それを抜けたDS(ド・ジッター空間)青い丸は自己の視点、主観を回復させたところだが、まだ他者視線を完全に拭いきれているわけではない。
しかし、本来的な自己を取り戻すためにはまずこの位置へと出なければならない。
図に1→2→3とあるが
1ADS→2DS→3CFTということだ。CFTが人間レベルの悟りの世界。ヌーソロジーの元止揚空間、カント、ラカンの物自体、現実界だ。

他者視線化から抜け出すには4次元空間の自己の位置を取り戻す。それにつきるわけだが、その思考方法は次回記事にて。
自分の位置は何一つ変わらずに認識を変えていくだけ。反転させていく。
今回はこれにて!
まだまだ暑さが続きますが皆様体調、お大事に🌟
ご一読ありがとうございました🌟🌟🌟
ナマステ✨🐉🗻

