《関西弁の4次元人がせわしい》半田さんのTweetより
⚫︎関西弁の4次元人がせわしい
ヌーソロジーをやっていると、今の常識に結構、イラついてくることがある。なんせ新興勢力の4次元のゲシュタルトが「それ、違ってるで」と、せわしく言ってくるのだ(笑)ヤツの言い分はこんな感じだ。 例えば………、
「外に物がある」というアンタの信念は、一体どこから生まれてんねん?
アンタが今、目の前に見てなはるその机、壁、空、スマートフォン——それらが「外にある」とアンタは信じて疑っていないはずや。
でも、ちょっと待ってんか。それらが「外にある」って、いったい、“誰が”“いつ”“どこで”そう決めたん?
そもそもやけど、アンタ、「見る」ってこと自体、よう考えてみたことないやろ?
アンタが何かを見るとき、それってホンマに“外”を見てるんやろか?
よーく考えてみぃ。
その見えてるもんは、光が目に入ってきて、視覚神経が電気信号を送り、脳の中で処理されてるらしい──科学の言い分はそうやな。
でもな、科学がどれだけ仕組みを説明したとしても、「見えてるその世界」自体がどこに立ち上がってるかは説明できてへんのや。
つまり、「その世界が“どこ”にあるのか」は、ずーっとブラックボックスのままや。
ほんでな、ヌーソロジーが出てきて、言うわけや。
「ちゃうちゃう、それな、“外”やなくて、“内”で見えてるんやで」ってな。
あんたが見てるその机も、壁も、空もな──
それ全部、アンタの**“感性空間”いう内側のフィールドの中に、“像”として立ち上がっとる**だけの話なんや。
つまりやな──
「見えてるもん全部、実はアンタの“中”で起こってる」
っちゅうことや。
せやのにやで?
今の世の中は、
「それは外に“ある”ものやで」
「世界は客観的に存在してるんやで」
「物質が本体、心はそのおまけや」
って、口をそろえて言うとる。
せやけどな、この常識こそが、実はとんでもないボタンの掛け違いなんや。
つまりこういうこっちゃ。
常識:
見えてるもんは“外にある”
心は身体の中、物は空間の中
見える世界=物質
ヌーソロジー:
見えてるもんは“ψ10=感性空間”の中にある
心こそが空間の根っこ
見える世界=“内なる像”
ほな、何が問題か言うたら──
この常識の勘違いが、アンタの意識をずーっと“3次元空間の中の小さいワレ”に閉じ込めとる、いうこっちゃ。
「物が外にある」
「自分はそれを見る存在である」
こうやって、見てる世界そのものから自分を切り離してもうてるねん。
けどな、ほんまは逆やで。
見えてるもん全部が、アンタの“内”にあるんや。
そして、見えてへんもん(物理法則とか、力とか、数式とか)が“外”の世界なんや。
この感覚がひっくり返ったとき、初めて「観察」いうもんが解放されんねん。
でな、最後に4次元に住む死んだじっちゃん、ばっちゃんたちも、こう言うてはるわ。
「せやからアンタ、はよ気づきや。
見えてるもんに“外”を与えたのは、アンタ自身なんや。
世界が“そこにある”んやなくて、
世界は、あんたが“ここで見ている”って出来事そのものの中に、立ち上がっとるんやで」
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以上、半田広宣氏のXでのポスト、関西弁の4次元人がせわしい
その1〜4よりでした。
半田さんの普段の文体で半田さんのポストを見まくっているぼくはそのギャップに笑い転げ、仕事帰りの運転中もニヤニヤ運転してたに違いありません🤣
(自分に顔があって
ニヤニヤしてると思ってる←三次元認識
空間がニヤニヤしてる、ニヤニヤが顔してるが4次元認識になると思います😆💦あっ!いかん!4次元に顔ないやー😆💦💦💦←というのがヌーソロジーです😆💦💦💦💦💦💦)
普通の標準語のTweetも。
ヌーソロジーの基本のあたり。
⚫︎ここを越えないと、ヌーソロジーには入れない
「見るもの」としての、4次元空間。
でも僕たちは、
まだそれに気づいていない。
ほとんどの人は、こう思ってる——
時空の中に「目」があって、
そこから世界を見ていると。
けど、それってつまり、
“見ること”を時空の中に閉じ込めてるってことじゃないか?
しかも、それって、
自己を、他者の視点から見ているってことだよね。
じゃあ、自分自身から見たらどうなんだよ?
君は本当に、
「3次元の中にいて、世界を見ている」って、感じてるか?
僕は、まったく感じない。
だからこそ、こうやって、君に執拗に問いかけてる。
お節介なのはわかってる。
でも、君に、“見る”というその行為の根っこの感覚に、
気づいてほしいんだ。
なぜって、
それ自身が、君だから。

⚫︎ヌーソロジーから3次元に生きる人たちへのメッセージ
「見られる自分」から「見る自分」へ
昔から、「4次元とは何か?」という問題が、いろんな場所で議論されてきました。
でも、そろそろこの問題に終止符を打ってもいいんじゃないでしょうか。
4次元とは、“見るもの”の次元です。
そして、3次元とは、“見られるもの”の次元だと考えてみてください。
素粒子とは、この「見るもの」と「見られるもの」の間をつなぐ領域。
その交差点において、意識というものが生まれてくる世界なのです。
だから、素粒子の空間というのは、
見るものと見られるものを結びつける、“主客一体”の空間になっている。
全然、難しい話をしているわけじゃありません。
ただ、今の人間は“見るもの”である自分を、“見られるものの空間”の中に閉じ込めてしまっている。
だからこの仕組みが、見えなくなっているだけなのです。
見られるものは「0点」。
見るものは「∞点」。
この対比をただ置いてみるだけで、「見るものと見られるものの間」が“4次元”なのだと分かります。
そこに、主と客がひとつになる空間が現れてきます。
もう、“見られるもの”として生きるのはやめにしませんか?
僕たち人間は、本来、“見るもの”なのですから。
以上、半田さんのポストより
引用でした!
自分の記事は?って
まだまだアタマの中で整理チュー
アタマの中っちゅうか、ヌーソロジー的に言うと
目の前の空間で整理中ってことになるのかなあ🤔💫
ほな、ナマステ✨🐉🐍
