岡本太郎太郎展
GW、3月末から鹿児島市美術館にて開催されている岡本太郎展にようやく行くことが出来た。
人が入らなければ写真は撮っていいとのことなのでパシャパシャ撮らせて頂いた。
岡本太郎というと縄文だったり爆発だったり、太陽の塔のイメージが強かったが、彼の描く絵画にはぼくがヌーソロジーで学んだ構造があったので驚いた。


鹿児島市立美術館に入ってまず飛び込んできたのがこの絵である。無頭人!
ぼくが学ぶヌーソロジーでは自分の視野空間に自分の肉体、特に顔は入っていないということが強調して繰り返し語られる。自己というものは視野空間に入っておらず、入っているのは想像的自我なのだ。
下のマッハの自我像やルネ・マグリットの絵なども例として使われる。
解説文にはリボンより顔が描かれてない事が一番大事と、あるがリボンも同じくらい大事だとぼくは思う。
それは存在の結び目、蝶番として描かれてると思うからだ。

よく例に取り上げられる。
自らの頭部を切る——マグリットの『恋人たち』をモチーフとした作品。自らの顔貌に自己を見ることをしなくなった者たちの世界の出現を意味している。いい意味での「顔なし」。バタイユのアセフェル(無頭人)、ハーディングのいうヘッドレスと同じ。「創造の秘密」は彼らの性愛の中にある。 pic.twitter.com/SOGlfhsNxB
— 半田広宣 (@kohsen) June 24, 2020
ヌーソロジーではデカルト的思考は物質世界的な、自我的な思考の例として取り上げられる事が多い。思考するなということではなく物質世界を思考するだけでなく
精神、そして〈そのあいだのもの〉を思考せよということだと思う。


ヌーソロジーで言えばこの二人は同じ空間内にはいない。〈もの〉を中心とする境界面を向こう側とこちら側から眼差しあっているのが本来の姿だ。
〈人間の言葉〉が二人が同空間にいるという幻想を創り出している。
解説文では〈もの〉をリボンとしているが、この絵の場合〈あいだ〉の花こそが〈もの〉の役割をしている。
下の図では境界面を鏡としているが、自己と他者の眼差しが交差する〈もの〉からの射影として境界面が立ち上がる事を表している。〈もの〉の世界はスピンの様に回転して自己と他者を等化(ヌーソロジー専門用、少し違うけど統合のようなもの)している。

それを幾何学的に表すと下の図のようになる。






過日「穴」というタイトルでぼくはnoteを書いたが、この絵はそんなイメージ。この絵の前に立った時、「わっ!」となった。
岡本太郎の絵を見て思ったのは黒がドカンとど真ん中に使われたりすること。
ぼくらが生きている3次元から4次元への裂け目であり穴なのではないかと思える。



流れる夢
とのタイトルだが、ぼくは境界のアンフラマンスの様に見える。レンマ的なところ。
「穴」と人間の世界の境目。
夢の世界は生成空間だからそこから流れ出た夢、流れる夢がぼくらの境界の膜なのだろうか。
半田さんはこの様な表現をされていた。
"あいだ"が世界している
— 半田広宣 (@kohsen) January 3, 2026
対象を立てた瞬間、言葉は霜柱みたいに凍りつく。
水の言葉が、流れそのものを凍らせるのだ。
原因と結果、内と外。生と死。
線を引くほど、持続は見えなくなる。
でも、ふと霜が溶けるときがある。
そのとき物は“対象”ではなく、… pic.twitter.com/sL1EkHcX11

このぐるぐるしたものは時空の渦巻きだろうか。
全きヌース
— 半田広宣 (@kohsen) January 4, 2026
世界が旋回し始めるとき
見る/見られるが交差し、
境界が露出する。
時間は、その渦の影。 pic.twitter.com/240w9TSXrQ



岡本太郎は眼もよく描いた。肉体的な目だけの意味だろうか。そうではないと思う。
境い目には無数の他者の眼が浮かぶという。
ヌーソロジーでは自己は他者視線化して他者の世界に入ってしまっていると言われるが、そこから出るには他者の言葉を止めて他者視線化を外さねばならない。
強烈な眼差しはそんな他者の眼差しだろうか。
岡本太郎自身は最初に載せた「痛ましき腕」の人物のごとく無頭人となって自分の肉体的な目で見ているという感覚ではなかったはずだ。
「明日への神話」


世界が核の雨にさらされても
生成空間は傷つくことはなく
花を咲かせる





岡本太郎が描くリボンの意味
半田さんの図の意味を皆様に考えてみてほしい。
岡本太郎は爆発だー!とか太陽の塔とか、縄文!ということしか知らなかったが、今回の展示を観させていただいて、その根底にある哲学的なものも知ることが出来た。そして、それはぼくが学んでいる事と同じ方向性のものだった。
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岡本太郎が記録用に撮った写真も展示されていた。

男子禁制観光客禁制だが
岡本太郎は儀式に参加し撮影することを許された。
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芸術は爆発だー!が有名な言葉だが
噴火する桜島と岡本太郎はよく似合う。
開催は鹿児島市立美術館にて。
神奈川県川崎市の岡本太郎美術館より沢山の絵画と写真が届いていた。
市立美術館は西郷銅像の真横。

近代文明が苦手だったのだろうな・・・
