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知覚を物側に返す 

目で見るという感覚は
他者視線化なのだけど
この他者視線化は強力で
見てるものとの距離を
否応なしに作り出してくる。

例えば音、耳で聴いてる事
になってるけど
音がする物、場所で知覚しているのが
わかりやすい。
扇風機から音が鳴っている
楽器が鳴っている。

例えば触覚、これは
物との距離はない。
嗅覚、明らかに
物側から匂いがする。
味覚は触覚に等しい。

物側でしてる視覚以外の
知覚の感覚を
視覚にも取り入れる
チャレンジをしてみると
目から見ているという感覚から
物側から見ていると
なれるかもしれない。

ある夜、いつもの如く家の外に出て煙草を吸いながら、視野に映るものが曲がって見える川瀬統心氏考案の魚眼レンズワークを行なっていた。
(下記ブログをご参考に。記事下に動画も貼ってあります🌟)


ブログにあるようには全体的にグニャリとはしないが、ぼくの視野の両端は曲がるようになっている。
半年前の春だったか、煙草を吸いながら夜空を見上げて魚眼レンズワークをしていると、ぼくの左手にある電柱はグイッーと伸びて先端は頭上に来ていた。びっくりおったまげた。ほんとに曲がるんだな・・・
これを続けていれば視野は球のようになる日が来るのか。

ぼくは仕事の合間や、夜ちょっとした時間にこのワークやその他のヌーソロジーの描像、イメトレを続けている。
ついこの間も魚眼レンズワークをしていた時の事。
視野の境界に意識を置いて世界を見ていると遠くで音がする。
音がするところで音がする。
ハッ!っとぼくは思った。視野空感は目で見ているという感覚があるのに今の音は場所の方で鳴っている。家に入り試す。扇風機の音、エアコンの音。耳で聴いているという感覚ではなく、
物側で音が出ている。
他の知覚でも考えてみる。
嗅覚もそうだ。
触覚と味覚は距離はない。

知覚を物側に返す。
記憶を精神の側に返す。


これはフランスの哲学者ベルクソンの考えだが、川瀬統心氏の過去レクチャーDVDで8月に学んだことだ。

記憶を精神に返すということは
記憶を物側に返すという事と一緒で
「見ること」に含まれる
他の知覚も記憶も
一束の一本の線に束ねられて
虚の世界で
物の向こう側にいる
他者の一本の線と交差して
物はスクリーンとして物像化してくる。
その中にぼくらは
お互いいると思ってるけど
ほんとの意識は4次元の位置から
物を見合ってるということなのだろうな。
記憶の方はまだまだこれから
これからが始まりだな🌟
(勿論、知覚の方もまだまだだけど。)


●ぼくらが生きている3次元、スクリーン、とそれを生み出してくる《モノは折り重なっている》↓

目がスクリーンという表現だと
肉体の目がスクリーンに
なっているというイメージになっちゃうけど
スクリーンが目という事なんだろうな🤔
物からの像化、スクリーン化が「見る」という行為の本質なのだろうな🤔


●霊的唯物論の基幹、素粒子のフェルミオンとボゾンに関してはこちらが良いかな↓




(↓魚眼レンズワークの動画です。面白いですよ💫)






視野空間が曲がるだけではまだ3次元。
ただ認識の二重性というものがわかる。
4次元は・・・




この点、自己視点からこの点へ伸びる一本の線。
奥行き。
虚軸である。


追記🌟


昨夜はなかなか寝付けなくて
外に出てホシゾラを見あげると
天の川は真ん中あたりに
移っていて
星の配置が
だいぶ変わっている。
視野の端にある
電柱は曲がり家も曲がっている。
あちら側を見つめてる時、
無限遠点の幾多の他者の瞳孔かぁ
ぼくはホシの内で知覚してるなんて
なかなか出来ないよなあ、
なんて思いながら、
いつもの如く
星を見つめていると
我が家の上を一匹の蛍が旋回して
一筋の流れ星がその近くを流れた🌠
まだまだ視覚を
物側には返せないけどね🌟🌟🌟


以上です💫

ナマステ✨🐉🐍


参考DVD

関西ヌーソロジー研究


https://www.kansai-noos.com/

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