見出し画像

冬至と「太陽」

noteで目にしたゲーテの言葉。

„Wär‘ nicht das Auge sonnenhaft, Wie können wir das Licht erblicken? Lebt‘ nicht in uns des Gottes eigne Kraft, Wie könnt‘ uns Göttliches entzücken?
眼が太陽のようでなかったら、どうしてわれわれは光を見ることができるだろうか? 我々の中に神自身の力が宿っていなければ、神はどうやって我々を喜ばせることができるだろうか?

ゲーテ著、色彩論より

目が太陽のようでなかったら、どうしてわれわれは光を見ることが出来ようか?


年末、今月は週6で働いて極限までくたびれ果ててるぼくの魂にズドンと来た。
おお!ゲーテ!
なんと素晴らしいんだ!!
まさにぼくがやろうとしていることではないかー!!と。

ヌーソロジーサロンにて半田さんは自分の内在で眠っているエーテル太陽を輝かせろ!とよく言う。
人間の内なる太陽が輝いた時、外なる太陽はその働きを終えると。

細かい事を言えば目ではなく「まなざし」になるけど、言いたいことは同じであろう。この後、ゲーテの言葉はこの様に続く。

「我々の中に神自身の力が宿っていなければ、神はどうやって我々を喜ばせることができるだろうか?」

西洋的な「神」の概念は、ぼくには肌に合わないがこの言葉のあとにぼくならこう続けたい。

ぼくらが太陽のような存在でなかったら
太陽の存在を感じることが出来るだろうか?
もしぼくらの内に宇宙が存在していなかったら、
外に宇宙が存在出来るだろうか?
ぼくらが素粒子構造の投影でないとしたら
人類は量子力学を発見出来ただろうか?

☀️  ☀️  ☀️  ☀️  ☀️  ☀️  ☀️


ぼくが太陽を見ているように太陽もぼくを見ている。
太陽が光を発するようにぼくも光を発している。
太陽が孤高の存在であるようにぼくも孤高の存在である。

☃ ❄️ ☃ ❄️ ☃ ❄️ ☃ ❄️ ☃ ❄️ ☃

明日は冬至。
冬至点は22日0時03分。
冬の語源は【殖ゆ、振ゆ】から来ている。
春から夏に向けてマクロ方向に膨張していく魂は、秋から冬、収縮方向に向かう。古来、冬は魂を殖やし振るわせ、また殖やす季節。春から夏、そして秋の収穫のために。世界各地で冬はそのような祭りが行われ、冬至には大切な祭事が行われてきた。


☀️   ☀️   ☀️  ☀️  ☀️  ☀️  ☀️

ぼくは晩秋より太陽のワークを思いついて、暇さえあれば見つめているが、このゲーテの言葉に触れた後、ネットにヘッダーの絵がなぜだったか上がってきた。
ムンクの「太陽」である。

ムンクといえば「叫び」が誰しも知っているような絵で、叫びのイメージしかなかったので驚いた。
いや、この「太陽」自体に心を貫かれた。


ムンクの叫びはヌーソロジーで言えば歪んだ時空、AdS空間である。しかし、後年この「太陽」を描いた。この絵は逆にCFT空間だと思う。
精神を病んでいたムンクが苦しみの果てに平坦な時空に飛び出したかのようだ。


ムンクの太陽はノルウェー、
オスロ大学の講堂の壁に描かれている。


明日は1年で一番日が短い日。
この世界と自分という存在について考えるのにもってこいの日だ。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集