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随想 《近代自我の萌芽》「過去生を見るということ」「鏡像とせごどん」「他者からの眼差しと明治維新」三篇収録🌟🌟🌟


「鏡像とせごどん」

ぼくら現代人は他者の視線の中にいると思っている自我存在であり、自我に無数の他者を映し出して自分というものの存在を確かめている鏡像的存在になっている。。。




薩摩藩、明治維新の英雄、西郷隆盛は写真や肖像画に自分の姿を写されるのを嫌がったという。(暗殺を恐れたからではないか)という言説があるがぼくは違うと思う。西郷は奄美幽閉生活や沖永良部での監獄瞑想生活を経て実存に辿り着き、自分の主体、魂、霊(天)というものを実感していた、いや、そのものになっていたのではないか、思う。
そして、写真、肖像画、または、鏡、そして他者視線の中に入ることによって魂が奪われる事に気付いていたのではないだろうか。

明治時代の庶民は写真を撮ると魂が取られると恐れていたという。これは現代人からすると迷信とされているが、現代人の方が本来の位置を見失い、鏡像的存在となっている。
明治人は一部を除いて他者視線に入るまいと踏ん張っていたのではないか。

文明開化の鐘の音は
西洋人の視点を連れてきて
その中に明治人を入れ込んだ。
感性優位で生きていた人々は
やがて思形空間にのみ込まれ
他者視線の中で
他人の他人として生きていく。


上野公園の西郷像を見て妻のイトはこんなのあの人じゃなかっ!!と、言ったそうである。

日本においてはこの時、

江戸の人々の前からやってくる時間は過去現在未来へと流れるようになり、巷間から妖怪は姿を消したのであろう。


「他者からの眼差しと明治維新」




明治維新というのは日本人に近代自我を持たせようという、潜象からの存在論的「他者」からの強烈な眼差しが現象化して来た出来事だったのだろうなと思う。

西洋に遅れること200年くらいか。その歪が大きく顕れたのだろう。無血開城で済んだのは幸いだった。
西郷の死は「最後の侍の死」として例えられるが、日本の自我の弱かった時代から近代自我の萌芽の象徴として捉えることも出来る。



今、「自我をさらに成長させるべき新たな時代」が来ているとヌーソロジーやシュタイナーでは言われる。流れに遅れればまた、大きな歪を是正させるがべく他者側からの強烈な眼差しが来るのかもしれない。柔らかな眼差しに変えるがべく個々が自助努力をしていく、そんな時代が来ているのだろう。

表象世界にはいろんな流れが顕れる。その流れを潜象世界からの流れとして、見極めてまた、潜象世界に返していく。そんな事が出来たらいいな。


「過去生を見るということ」




過去生リーディングというものがある。生まれ変わりを信じていると自分の過去生がどうだったか知りたいというのは自然な心情だ。
しかし、過去生をちゃんと見るためには2つの時代があるということを知らないとだめだと思う。
近代自我が確立されてからの過去なのか。
自我が確立されていない時代の過去なのか。

マヤ時代の過去を見て吐いてしまった人がいると聴いたことがある。
マヤには生贄の儀式があった。
その光景を見て気分が悪くなり吐いたというのだ。自我がある人から見れば自我がない、または弱い時代の事を見てもそのままでは理解出来ないという典型的な例だと思う。
死と生の価値観が全く違うし、集合意識、高次存在とのつながりの濃さも全く違うからだ。自我の弱い時代は死と生は今のようにはっきりとは分離していなかったし、マヤ文明のようなところでは死ぬことで高次存在と一体化出来ると信じられていた、いやそういう感覚そのもので生きていたであろう。生贄に選ばれることは喜びでありその儀式はエクスタシーに包まれたものになる。

過去を読む側も受け取る側もそれをわかっていないと酷いことが行われていたとだけ捉えるようになる。

近代自我とはなんなのか、自我がなかった時代とはなんなのか、そしてこれから目指すべき自我の在り方とはなんなのか。ぼくらは考えなくてはならないと思うのだ。



何が自我を生み出しているのだろうか!?
💫∞💫


以上三篇、以前に書いたものをまとめて見ました。いつも書いているようにぼくらは自我を持たされている存在であって、本来的自己の位置を見失ってしまっている。しかし、それには集団意識から自己を確立させるために必要な事であった。
歴史的に西洋では17世紀、哲学者のデカルトの登場より近代が萌芽したが日本では明治維新がその最大のきっかけと見るのがいいだろうと思う。

「シュタイナー思想とヌーソロジー」の引用記事でも書いたように高次の自我の存在に気づけば低次の自我の何たるか、わたしとは何なのか、も見えてくるはず。


非線形言語と線形言語、そして720度のメビウス。
昨年は自分の自我のことを考えすぎたので
今年はその自我が何によって創り出されるのか、
学びつつ、感じたり考えたりしていきたい💫

ChatGPTなどのAIは人間の神経回路を真似した開発技術で勝手に言語を学ぶように進化した。教えてない外国語に訳したり人間と猫の顔を教えてないのに識別したり。。。AIと人間の違いは意識、霊性を持っているかの差くらいになってきた。
17世紀にヨーロッパから近代自我をもった人間は、AI、物質に取り込まれていくか、霊性を取り戻していくか、2つの道の岐路に立たされている。。。

ご一読ありがとうございました🌟

ナマステ✨🐉🐍

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