【人生の栞・葉】#06 母の背中、20年分の温度 ——缶の裁縫箱と、小さな背中が教えてくれたこと
こんにちは、てるてるです。
父の暴力から私たちを守り、昼も夜も働き続けてくれた母。
怖かったあの夜を、母はいつも静かに、身を挺(てい)して受け止めてくれていました。
母が用意してくれたお菓子の缶の裁縫箱と、お店で新しく買ってくれた裁縫箱。
私は今も使っています。
もう20年以上の付き合いです。
あの小さな缶の中に、母の愛情と、私たちが歩んできた日々が、静かに詰まっています。
卵しか買えない週があった
母はパートで働いていました。
父は給料日になると、振り込みではなく給料袋で受け取り、お酒とタバコ代を抜いてから、残りを母に生活費として渡していました。
父がどれくらいの金額を渡していたのか、子どもの私には分かりませんでした。
でも、卵しか買えない週があった——そんな記憶が、今も残っています。
世間的には共働き世帯でした。
それでも生活は苦しく、子どもながらに、私はそれを肌で感じていました。
母は何も言いませんでした。
ただ、黙って食卓に卵料理を並べていました。
あの沈黙の中に、どれだけの疲れと諦めが詰まっていたのか。
大人になった今だからこそ、少しだけ想像することができます。
お菓子の缶と、友達の裁縫箱
小学生のころ、クラブ活動がはじまりました。
裁縫が得意な母の影響で、私は手芸クラブに入ることに。
必要なものは裁縫道具。
母に伝えると、かわいいお菓子の空き缶に針や糸、チャコペンなどを入れて、手作りの裁縫箱を用意してくれました。
嬉しくて、クラブ活動の初回に友達に見せました。
でも、友達の裁縫箱は、お店で売っている、オシャレで機能的なものでした。
「こんな素敵な裁縫箱があるんだ」と、私は初めて知りました。
さっきまで世界一かわいいと思っていたお菓子の缶が、急に、色あせて、恥ずかしいものに見えてしまいました。
「お母さん、ごめん。」
数日後、母にそのことを話しました。
新しく買ってもらうつもりはありませんでした。
家の経済的な事情は、子どもなりに分かっていたから。
けれど母は、ピンク色の新しい裁縫箱を買ってくれました。
嬉しさよりも先に、「お金、大丈夫かな……」という心配が、胸を締め付けました。
その裁縫箱を、私は今も使っています。
20年以上の付き合いです。
針を通すたびに、あのころの母の背中が、静かに蘇ります。
静かな逃げと、支え合う日々
ある日、私たちは、父の暴力から逃げるために家を出ました。
私と妹、そして母。
物音を立てず、夜逃げのように、静かに。
ようやく父との離婚が成立したとき、私たちは母子家庭になりました。
暴力の恐怖からは解放されたものの、待っていたのは驚くほど厳しい生活の現実でした。
母は昼も夜も働きに出て、長女である私は母の代わりに家事を担い、家族を支える日々。
不登校をくり返しながらも、少しずつエネルギーを貯めて、母の支えでなんとか高校まで通うことができました。
私たちは間違いなく、家族で支え合い、戦友のように歩んできました。
それぞれの、新しい景色へ
やがて母は、自分の新しい人生を選びました。
あれだけ苦しい結婚生活に耐え、子どもたちを守り抜いた人が、幸せを求めることは、当然のことだと思います。
ただ、少しずつ、母との距離が変わっていきました。
感謝しているけれど、どこか遠く感じる。
大切に思っているけれど、どうしても埋まらない心の距離がある。
その霧は、今もときどき立ち込めます。
安易な言葉でこの関係に名前をつけて、分かったつもりになるのは、まだ私には難しいのです。
旅のおわりに
今の私と母は、適度な距離を保ちながら付き合っています。
深く踏み込みすぎず、かといって切り捨てるわけでもない。
その距離が、今の私たちにはちょうどいいのだと、少しずつ思えるようになってきました。
それでも、裁縫箱を手に取るたびに、胸の奥に温かいものが灯ります。
卵しか買えない週も、夜逃げのような生活も、昼も夜も働き続けたあの小さな背中も——全部、母が私たちのために生きてくれた証です。
答えはまだ出ていません。
でも今は、その答えが出なくてもいいと思っています。
お母さん、あの頃も、今も——ありがとう。
この記事が参加している募集
最後まで読んで頂きありがとうございます💐頂いたチップは、祖母へのお花のプレゼントに変えて、そっと想いを届けたいと思います🌼温かなお気持ち、本当にありがとうございます。

