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「読む順番」が回ってきた。もがく私に届いた『嫌われる勇気』の話。

「ベストセラー」や「不朽の名作」、「長期連載している漫画」には、やっぱりそれだけの理由があるということをよく感じる今日このごろ。

無理に読むよりも「読む順番が回ってきた」みたいなタイミングで対峙すると、ものすんごい効果を発揮する気がする。

まさに私にとって「読む順番が回ってきた」のが『嫌われる勇気』という本だった。

きっかけは、仕事をしているときにどうしても上司に認められたい、仕事できないと思われたくない、けど私は無力だ!!!という気持ちが爆発して、妹に泣きながら相談したとき。あなたはこれを読んだほうがいいとすすめられた。

本当に苦しく、早くこの気持ちから解放されたくて、その週の日曜日に一気読みした。

『嫌われる勇気』は、アドラー心理学者である哲人と、人生に悩む青年の対話形式でアドラー心理学について語られていくのだが、青年が本当に自分すぎて笑える笑える!

私が「そんなことできない!」と思ったら、青年が哲人に「そんなことできない!」と私の代わりに怒ってくれる。己の『嫌われる勇気』適正の高さに驚く。

ここからは、好きだった言葉を抜粋しながら、どんな気持ちでこの本を読んだのか再放送していこうと思う。

もしも「人は感情に抗えない存在である」とおっしゃるのでしたら、そこは明確に否定します。

救われ①。寂しいよ~とか、くそったれ~!と思う時、私はその感情に抗うことができる!!!確かに!!!!

己の怠惰さに苦しめられることもよくあるけれど、それにも抗うことができるんだ!と勇気をもらう。

まずは「いまの自分」を受け入れてもらい、たとえ結果がどうであったとしても前に踏み出す勇気を持ってもらうこと

カウンセリングに来た女性に、カウンセラーとしてできることを哲人が語ったシーン。

自分をよく見せるために、「いまの自分」をありのまま出すことが苦手なタイミングがあり、その時苦しくなることが読んでてわかった。

「たとえ結果がどうであったとしても」という一節に勇気をもらう。

変わることの第一歩は、知ることにあります。

これは私の大好きな作品『ひゃくえむ。』の海棠のセリフと通じるものがあるなと思った。

そしてあなたは変わっていくでしょう。私の言葉によってではなく、あなた自身の手によって。

この本では、繰り返し繰り返し、自分でしか自分を変えられない、ということが述べられていく。とても好き。

われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」

救われ②。これって本当にそうなのに、苦しんでるときに気付かないのなんでなんだろう!!!

このテキストを読むことで、苦しんでいるときに「自分が今苦しい解釈をしている」と理解できるようになるの、強すぎる。活字は力。

一歩踏み出す勇気をくじかれ、「状況は現実的な努力によって変えられる」という事実を受け入れられない人たちがいます。

単純に、一歩前に踏み出すことが怖い。また、現実的な努力をしたくない、いま享受している楽しみを犠牲にしてまで変わりたくない。つまり、ライフスタイルを変える”勇気”を持ち合わせていない。多少の不満や不自由が合ったとしても、いまのままでいたほうが楽なのです。

救われた!と思ったら、猛烈に図星なことをズバババーン!と言われてHPが削られる。

われわれは「同じではないけれど対等」

わたしはどうしても人と自分を比べてしまうのだが、この性質が一番自分を苦しめていることが明確になってきた。改めて改めて、「同じではないけれど対等」を肝に銘じていきたい。

「人々は私の仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方はまったく違ったものになります。

これはこの本を読む前に、実体験として感じていたことだった。アドラーさんも言ってるから本当だな、と思ったし、今わたしが勝手にライバル視しているすべてを、仲間だと実感できるようになりたい。

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。(省略)
その選択について、他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。そして課題の分離をしましょう。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引するのです。

他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

このあたりが、妹が私にこの本を勧めた理由だなと思った。

私は他者の課題にまで介入してあーでもないこーでもないと悩み苦しむことが多いが、もっと意識的に線引してみようと思った。

他者の自分の評価すら、自分がどうこうできるわけではない。ただ自分の課題として、がんばる、それだけなんだな~。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。

一人暮らしを始めるとき、親とたくさん喧嘩して苦しい時期もあったが、その先には自分の生き方があった。私はコストとその先の自由を知っている。

それがすべてのことに応用できるというのは超発見だった。

親は私のことを嫌うわけないと思ってるからできたのかもと、今なら思う。

でも、親くらい他者を信頼して、自分のやりたいことをやってもいいんだ!

他者によく思われたいからこそ、他者の視点を気にしている。それは他者への関心ではなく、自己への執着に他なりません。

ギクウウウウ!!このあたりのパンチライン半端ない。ボッコボコにされる。

趣味にいそしむ時や生活をしている時、私はとても自由だが、そうではない時、本当に不自由で、それは自分への矢印なんだなというのはうっすら感じていたが……

こうして言語化されると、自分がどれだけ他者に関心を持っていないのかが明らかになり、まだまだ大人になれないと思う。

普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。普通であることとは、無能であることではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。

私は「こういう人間になりたい」という気持ちが推しを応援する原動力になるタイプの人間だ。あこがれの人が多い。だからこそ、推しやあこがれの人のようになれない「普通」の自分を拒絶していると思う。

けれどこの本を読むにつれて、もうそういう問題じゃないんよな!と思えるようになってきた。

そこに至るまでの道のりは「仮のわたし」による「仮の人生」なのだと。

これもギクウウウウ案件。

「そこ」というのは目標や憧れのことを指している。

確かに、推しは夢を叶えようとするその姿が美しい。それはきっと自分にも適用できるはずなんだなと思った。

ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。

「普通」のまま、過程そのものを楽しむ。そしたらどこかにたどり着いているかもしれない。


仕事の悩みを解決したいと思って読んだ本だったが、その悩みは自分の生き方に由来しており、そこを紐解くことになった。

私は誰かと一緒にいる時どうしても「いい評価をされたい」と思ってしまう。先を見通して、より良い選択をしたくなってしまう。

この本を読んで、自分がそういう考え方をしていると第3者視点的に自覚できるようになった。

これだけでも本当にこの先人生全部変わるのでは?!と思えるのは、私がこの本に適正ありすぎるからなのかもしれない。

それでも確かに、私はこのタイミングでこの本に出会えてよかったなと思う。

本当はこういう自己啓発本を読んだ感想を上げるなんて恥ずかしい!と思っていたが、社会人6年目でもちゃもちゃやってる人間がこんな感じで救われたよ!というのを世の中に放流することに意味があるかもしれないと、この本を読んで思ったので、書きました!!

そういうパワーがあります。この本は。

アドラーと、著者の岸見一郎さん、古賀史健さんが、「いま、ここ」に生きてきた軌跡を感じられます。自己啓発本なんだけどそれ以上にソウルを感じる。良い読書体験でした。ありがとうございました!!


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