白饅頭日誌:8月5日「更生した不良のほうが、ずっと真面目な人より評価されてしまうのはなぜか?」
さて本日はこちらのお話から。

「更生した不良のほうが、ずっと真面目に生きてきた人よりも評価されてしまうのはなぜか?」って話、定期的に盛り上がりますよね。
「不良だった・グレていたけど、いまは更生して真面目に生きている人」が「ずっと真面目に生きている人」よりもしばしば高く評価されたり、あるいはそういったエピソードが「美談」のような語りで褒められたりするのはおかしい。かつてその人が“悪かった”ころの行いによって迷惑や被害を受けてきた真面目な人たちの苦しみは無視されているじゃないか!
という意見は、SNSでも定期的に話題になりますしそのたび大きく支持や共感を集めていて、もはやある種のネットミームといっても過言ではないかもしれません。
半ばミームと化している「更生した不良が褒められるのはおかしい論」の「初出」とでもいうべきなのはおそらく『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の第42巻の「仕事探し!の巻」というエピソードで、万引きなどをしていた元不良少年「まさし」が派出所にやってきて社会人になったのを、みんなから「えらい」と褒められているときに、両津が「こいつのどこがえらいんだいったい!」と批判するシーンがあります。

(集英社,ジャンプコミックスDIGITAL)
「こいつから金とられたまじめな学生やバイクとられた人の方が悲惨でしょう!? 『正直者がバカを見る』の手本を示しているこいつのどこが立派なんすか?」――とぐうの音も出ない“正論”を大原部長に畳みかける両津は、まさに現在のネット民の主張の原型をつくっていると思います。
不良から更生した人を「えらい」と考える風潮に個人的に同意するかどうかは別として、世の中がその風潮になんとなく賛同しているのには、しかしながら相応の理由があるようにも思います。
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「なぜ更生した不良のほうがずっと真面目にやってた人より褒められるのか問題」について、note深津さんやプロ奢られヤーさんの考察を見ると、ようするに、これまで生きてきた舞台の「振れ幅」みたいなものが評価されているのではないかということのようです。

ずっと同じ場所にとどまっている人・ずっと同じシステムに居続けている人より、かつて別の場所にいた人・別のシステムに居た人のほうが、人間としての「幅」をもっているからこそ評価される――というものです。
たしかに一定の納得感があります。移動してきた「幅」とは、すなわちその人の見識とか経験値とかを示すものでもあるし、あるいは「幅」のある移動をこれまでの人生でしてきたこと自体が、その人の行動力とか意志力の裏付けであると評価するのは、なるほど理が通っているように思います。
ただ私はそれに加えて別の意見も持っていて、それはなにかというと
「ずっと真面目にやってたやつ」というカテゴリに数えられている人のなかには、「グレるほどの度胸がないだけでべつに本当は真面目ではない人」が結構な割合で含まれているからではないかと思います。
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