遅ればせながら、『推しの子 ファイナルアクト』を観てきました
最初は観る予定なかったんですけどね。ガンダムジークアクスを観てこようかというときに、むしろ推しの子の方がオススメ。思ったより良かった(意訳)という意見も聞いたので、観てみるかということで予定作って見てきました。
原作マンガの賛否両論のラストとは異なる印象がある、と聞いてそれなら見てみようかというのもありました。
なんだかんだでバタバタしてたから原作ラストに関してぼくの感想なども書いていなかったですからね。今回の映画の感想と併せて記載していこうと思います
・映画【推しの子 ファイナルアクト】のおおまかなあらすじ
実写版は配信サイトでドラマとして公開していたらしい。本映画は単品でも観れるということなので、配信のほうは視聴せずに観に行きました。
前半1時間くらいは、星野アイがアイドルになってルビーとアクアを産み育てて殺されるまでを丁寧に描いています。原作で知ってるストーリーなので、ここまで濃厚に描くと、本編も始まってないけど完結できるの?、って疑問が湧くくらい長かったんですがちゃんと完結しました。
15年の嘘、のストーリーをなぞる展開なので後半の映画では作ってる作品の説明がかなり省かれてる。そのぶん、ルビー・アクア・カミキヒカルの物語に焦点を置いて後半 15年の嘘と真犯人との対峙は描かれています。
・映画と原作の違い
先述したとおり先行配信のドラマは観てないので、ルビーもアクアもどうにも原作のイメージとは異なってしまう。カミキヒカル役の二宮さんは一見の価値ありというシーンはありましたね。アクアにインタビューするところから、カミキヒカルがインタビューされるという場面展開での演技は引き込まれるところはあった。
ポイントとなる大筋『真犯人はカミキヒカル』『15年の嘘で真犯人を追い詰める』『アクアはカミキヒカルと心中する』は原作と同じですね。
ただ、わりと重要な行動選択肢が異なってるので視聴後の印象は異なる。
端的にいうと、映画版は比較的理解のしやすい悪役になっている。映画では、15年の嘘公開試写会でカミキヒカルに唆されたと思われる女の子がアクアを刺してルビーはカミキヒカルに攫われる。そしてアクアはカミキヒカルと対峙して、カミキを殺すのではなく心中して海の中に消える。
原作では15年の嘘公開直前のルビーのライブ中にアクアはカミキと対峙している。五体満足である。16巻見直すと、元B子町のニノは「カミキさんは 『なにもしていない』 いつもアイの話をしてくれただけ アイのことをわすれさせてくれなかっただけ」とコメントしてる。映画と異なり、原作は手を出さず現場にも顔を出さずに他人の心を操ることのできる怪物として描かれてる。アクアは「意図的に他人の心を燻り 弱った者に狂気の炎を灯し 自分の都合のために殺す者と殺される者を生み出し続けた 自分の手は一切汚さない 教唆犯」と表現している(神様みたいな存在は「星野アイを超ええるものを殺めることで 星野アイの重みが増すなんていう妄執に囚われ」とも言ってるが)。いずれにしても、2時間半程度の映画で表現するには非常に難しい感情だろう。
映画という点では、簡略化した方が分かりやすい一方、原作のほうが重みや深みは感じる
・原作『推しの子』ラストの感想
これは本当は原作完結のときに書いておいたほうが良かったんですが、正直忙しすぎてタイミングを逸しました。なので、この場を使って書いておきます
ぼくは、ラストにアクアが死んでしまうエンディングはやはり物足りない。
結末としては誠実だったと思います。アクアの物語としてみると、妹の未来を守るために立ち塞がる邪悪と対峙して心中するというラストは非常に美しい。
しかし、それだけとも言える。
本作完結のときに、どうしても引き合いとして『鋼の錬金術師』(以下ハガレン)を思い出してしまう。
ハガレンは、はじまりのホムンクルスを打ち滅ぼしたあとに失われたアルフォンスを取り戻すという、本来の物語の目的に返ってくる。エドとアルの父親は自身のうちにある賢者の石を使ってアルを取り戻す提案をしている。
これは、残酷な世界にたいして尊いものを手に入れるには等価の犠牲を支払え、ということである。原作のハガレンは、これに対して見事な回答を示したといえる。未読の人は一読の価値がある。(ちなみに『シャンバラを征くもの』は逆に残酷な世界と対峙し続ける、これはこれで過酷であるが素晴らしいエンディングだった。是非続編を見てみたい…ってこれは、話が逸れたな)
アクアとカミキの心中に何が物足りないのかというと、結局残酷な世界には勝てないのだという無力感が漂うからだろう。
アクアが死ぬのが悪いのではない。彼は死ぬことによって何を残したのか。それは死を賭してでも守るほど尊いものだったのか。そして、そこまでやって残酷な世界はその姿を変えたのか。
原作の内容に沿って言い方をかえよう。星野アクアは命を賭して星野ルビーを守った。そのルビーはアクア亡き後に残酷な世界を美しくするほどの魅力があったのか、ともいえる。
もちろんポテンシャルとしてはあるのかもしれない。読む人の中には感じ取るひともいるのかもしれない。
しかし、推しの子、という物語はラストまでみるとゴロー・アクアを中心とした物語であるとどうしても見えてしまう。ルビーはあくまで物語の重要な脇役になってしまっている。
物語内におけるアクアの魅力を上回るかというとどうしても首を傾げざるえない。
ペトロニウスさんのnote https://note.com/gaius_petronius/n/n8e4814fdf5c9 にもあるけど、悲劇を背景にその悲劇を如何に乗り越えるのか、が読者の期待してた逆転劇だったと思う。
ザ・スターみたいに、ルビーがアイドルで世界の戦争を止めるとか。テレビ版コードギアスみたいに、世界の膿を出し切って悪の象徴として滅びます。
までいけば印象は変わるかもしれないけど。
・原作 推しの子がラストで描きたかったこと
これは本編に描いてあるから、わかりやすいと思う。
どんなに苦しくても、ひとは立ち上がって前にすすんでいく。
言葉は異なれど、そういう趣旨を描いている。それは十分に読み取れる。
わかるんだけど、、それはここまで描いてきた推しの子のテーマから出てくる物語としては適切ではないようにおもえる。
雨宮ゴローの記憶を持った星野アクア、って表現が本編に出てたけど。
それはつまり、、18歳の子が悲劇的に死んだ、って、、ただの酷い話なんじゃないかと見えてしまう。
救いのない世界でなんとか耐えて生きていく物語って何があるかなと思って、、思い出した。瀬戸口蓮也さんのcarnivalですね。傑作です。
死に損ないの青(著者 乙一) の系譜ともいえる。
普遍的なテーマで、通してみても綺麗なエンディングではある。
・映画の感想
書いてなかった本編の感想書いてたら、なんとなく疲れてしまったので簡単に。
原作では、カミキは直接手を下さない怪物なのだけど実写ではそうではない。ルビーさらってますし。他にもアクアが刺されていたりと色々と原作と比して改変が見られます。
その結果、比較的カミキヒカルがわかりやすい悪者になってしまってる。
ラストの対峙シーン(そもそも妹攫われたんだから警察とか誰か呼べよとか思ったけど)でも、刺されて死にかけてるなら心中も割と説得力はある。
殺人犯の妹云々は、誘拐してて何言ってるんだろうとか思うところはあるが原作に倣ってるんじゃないだろうか。
映画はアイとカミキの物語に再構成してるようには見えます。思ったより悪くないけど、すごく良いとも言えないかなあ。個人的点数としては65点。
前半1時間がアイの物語にしたところは比較的挑戦的だったと思います。
個人的になんとなく見る気がおきなかったのは、わかる(たぶん予告の影響は大きい)。あまり場面転換してる印象もなく映像が「おもしろい」って感じではなかった。
原作の感想を書いててふと思ったけど、、推しの子は展開が変えられないなら、神様の視点にしてアクアの死亡から再構成して描いてたらもう少し面白かった…かも。ラストの展開を見ると、非常にミニマムな人間ドラマ・一生を描いてる。
key原作のAIRとかみたいに、、第3の視点から描いた物語になれば多少印象も異なったんじゃないかなと。
とりあえず徒然なるままに書いたので、これで終わります
追記
アクアと神様のような子の対話をみると、アクアはアクアなりに十分に生きたんだ、って物語的に描きたかったのかもしれないとは思う。似たような物語だとなんだろう。半分の月が昇る空、とかだろうか。本文にも出したテレビ版コードギアスとかも近い部分はあるだろうか。
