見出し画像

1年間で100冊読みたい人の読書日記 2026年4月


1年間で100冊読みたい人の読書日記 2026年3月


4/1 東浩紀『観光客の哲学 増補版』

ナショナリズムか、グローバリズムのどちらかに舵を切る時代はもう終わった。どちらかに振り切るのではなく、どっちもを行き来するような在り方が「観光客」という言葉が示すものでないかと思う。観光先に長期滞在する訳ではないが、でもその土地を堪能しようとする観光客的な在り方は、自由でもあるし、一方で自身の帰るべき場所も持っている。そういう政治的ではない観光客のある種の「ゆるさ」がこれからの世界で生き延びていく次の方法のように読めた。

4/8 京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』

事件が一向に解決しないのは謎が解き明かせないからではない。そこにはそもそも解決するような謎も、殺人事件もなかったのだ。全てが明らかになった時に疑いもせずにその結末を受け入れられたのは、いつの間にか皆が同じ価値観を抱いている危うさに気が付いたから。同じ人間であったとしても、見えている景色も、そこに対して感じることも全く同じであることは有り得ない。それぞれが生まれながらにして持ってしまった当たり前の価値観が引き起こした出来事は悲しいという言葉では括れないことが一番の悲劇のように思えている。

4/9 小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』

ケアすることはただ受け止めることでも、共感することでもない。それは水平だからこそ成立するものであって、ケアを受ける側と与える側での上下関係が生まれてしまえば成立しなくなる極めて繊細なものだと思った。そんなケアを繊細だからこそ語りにくく、触れにくいままにするのではなく、まずは文学作品からその可能性を探っていくこと。ケアを求めている人々に耳を傾けるのにまず必要なのは文学作品を読むという想像力を養うことから始まるのだ。

4/11 藤田雅史『ちょっと本屋に行ってくる。』

まだ読む本があるのに、また別の本を手に取ってしまう。そんな人だからこそ分かち合える読書のやめられなさがあるのだが、その感覚があるからこそこの本に無条件の共感を覚えるのだと思った。どれだけ書店が減ろうとも、本よりも夢中にさせるような娯楽があったとしても、本を手に取り、そこに費やした時間を知っている限り、本はこれからも読まれるし、残り続けていく。そんな本を読むことの可能性を思い出した。

4/12 パリッコ『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』

いつの間にか忘れてしまうことがある。それが日常の中でワクワクしながら生きることだよなと思いながら読んだ。そういうワクワクを取り戻すために必要なのは、何か特別なことではなくて、当たり前の中で見落としてしまいそうな細部に目を凝らすこと。そして、どんなことでも真剣に取り組んでみること。そういう些細なことの中に宿る真剣さを確かめながら生きてみたい。

4/12『随風01』

自分の話をするためではなく、自分を導いていくためにエッセイがある。横田祐美子の『わたしがエッセイである』を読みながら、そう考えた。恋愛の思い出話をしていたはずが、いつの間にか忘れていたその別の思い出が蘇ること、あるいは今の自分に繋がる価値観が滲み出てくることがある。それはエッセイを書くことに限らず、誰かと話している時にいつの間にか違うことを話していることにも繋がるのではないか。そういう偶然の導きみたいなことが楽しいからエッセイを読みたくなるし、書きたくなるのだ。

4/20 佐々木敦『未知との遭遇』

ありとあらゆる情報が蔓延しているから、良い意味で諦めることが筆者のいう「起こったことは全て良いこと」に繋がるのかなと思った。無限の中に有限を何とか見つけて、ひとまずの限界があるからまずはここで止めておく。そんな良い意味での諦めの哲学がまだ通用したのがこのテン年代を終えて、次の年代に進んでいく時期だったと思う。一方で、2020年に入ってもう6年も経つ今の時代においてそんな哲学はもう通用しなくなり、むしろ、短い時間で簡単に分かりたいという欲望のように思える。未知のものをまずは飲み込んでみることよりも、どんな形でも良いから簡単に飲み込めるように咀嚼してほしい。そんなある意味でお客様モードの価値観が今の時代を占めているのではないか。


4/20 京極夏彦『邪魅の雫』

人を殺そうと思ったのではなく、「雫」に魅せられたから殺してしまったのだ。果たしてそれは悪いことなのだろうか。確かに人を殺すことは悪いことで裁きを受けるべきことだ。それでも、ただ「雫」を使ってみたいという純粋無垢な気持ちで起こされた殺人はどうなのか。衝動的に殺してしまったと言えば簡単に割り切れるような気もするが、そうで済まされないからこそ、この物語は複雑なのだろう。それは悪いことだと断定的に裁くことの難しい悪意に直面した時、人はどうすれば良いのか。そういう悪の厄介さが残る作品だった。

4/20 堀田秀吾『科学的に証明されたすごい習慣』

習慣を作ることは難しい。だが、それは一度定着したら違和感がないくらい当たり前のことになる。そういう当たり前が自分の生活に弾みをつけたり、過ごしやすいリズムを生み出すのだと思う。ここで紹介されている習慣は身近なものから、ちょっと工夫を凝らしたものまで様々だ。どうしても意識的に取り組まないと身につかないものは確かに難しいかもしれない。それでも、少しずつ日常生活に取り入れていくことがいつの間にかそれが疑いもしない習慣になるのだ。これからどんな生活を送りたいかを想像しながら手に取りたい1冊になった。

4/29 京極夏彦『今昔百鬼拾遺 月』

何よりも現実が一番不可解で、謎に満ちている。3つの事件が起こったのは妖怪のせいでも、何か不思議な力が働いている訳でもない。そこには人間の屈折した想いが複雑に絡み合っている。そして、たった一人の歪んだ想いが、積み重なって理解しがたいものになる。その時になって事件が起こるのだし、そこで起きたことは不可解なものに見える。同じ現実を見ているようで、全然違う景色を見て考えているのが人間という生き物であり、だからこそ時としてお互いの認識がずっと合わないことが続いていく。そういう人間の分かり合えなさを思い知った作品だった。

4/30 滝口悠生『死んでいない者』

ここで綴られるのは葬儀で集まったちょっとだけ似ていて、親族というたった1つの繋がりで結ばれた人々の日常。そこでは過去に起こったことが掘り返され、何も大きな進展は見えない。それでも、そこで交わされる会話、食事、そして親族が亡くなった時に思うこと。そういう取り留めもない葬儀のワンシーンであるはずが、親族であるという繋がりが引き寄せた何かを感じる。そこに引き込まれるのだと思う。知らない家族の葬儀なはずなのに、いつの間にか親近感を覚えてしまう不思議さの中にいる気分だ。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集