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辛抱と我慢

辛抱と我慢は似ているようで、意味はそれぞれ違う。
言語的に字面が違うのだから、
意味もそれだけの違いがあります。

辛抱は力が抜けないように、そのままを保持せよ、
とかそんなイメージ。
我慢の方は、怒りが心を占めそうなとき、
その感情に従わず、発散するな、
とか、そんなイメージです。

仏教でいう三毒、つまり、貪瞋痴ですけど、
やってはいけないから、
貪らず、怒らず、バカをせずと言って、
これを耐えるのは、我慢でしょう。

僕がなぜこんなことを言うかと言うと、
それは母に関係があることです。
母は僕がすぐそこにいると、指図を飛ばしてきます。
あれをやって、これをやって、と、
そんな感じです。
近くに僕がいなければ、諦めて自分でやるようですが、僕がすぐそこにいると、態度が変わります。
それで僕はムカつきをもって、
その指図を聞いてしまうことが多い。

でも、それは僕を頼ってのことなのであり、 
また悪意や他意はないことです。
僕はつい、その場にくると同時に指示が飛んできて、
ムカッと来てしまうのですが、
これは我慢をしないといけません。

日頃、あれやこれやを母にやってもらっています。
だから、自分が母の役に立てるのなら、
それは買って出ないといけないことはあります。
それでも、感情的になりそうな僕は、
瞋恚を抑え、言うことを聞きます。

当然と言えば、当然です。
辛抱がいるのは、指示された作業をするときです。
窓を閉めるとか、カーテンを閉めるとか、
お茶を入れるとか、何かを取り出すとかそんな雑用であります。
一個一個はつまらないチッサイことです。
でも、たくさん指示されると、
もともと小さな僕の器は溢れて、
怒りが湧いてきます。
それはお門違いなのは、少し考えれば、
分かるのですが、
条件反射的には、何で僕がそんなこと!
と息巻いてしまいます。

でも、なれてくれば、
自分から率先してやって、
指示が出る前にやってしまえるようになります。
つまらないと言えば、つまらないことです。
でも、家事をするのに、多少の抵抗を感じます。
男が家事を手伝うという構図にまだ慣れていません。
ジェンダーフリー的に、また、それに自分が将来、
一人で暮らすハメになったときにも役立ちますから、
それはそれでいいのです。

僕が言いたいのは、
自分の器の小ささ、未完成さです。
だから、まだまだ我慢や辛抱が必要なのです。
家事をやるにしても、融通無碍になれるように、
そうすれば、親の物故の後でも、安心して暮らせるでしょう。
親もそれを心配しています。
まだ早すぎますが、
親を安心させられるなら、
それを孝行というかは分かりませんが、
良いことであるのは間違いないでしょう。 

つまり、日頃の行いをよくするのは、
それまでのサボりが自分に露見する訳で、
それが冷静さを保ちづらい要因でしょう。
だから、単に耐えねばなりません。

そんなことは今後も増えるでしょう。
そもそも僕は親を当てにしすぎですから、
どうしようもないのです。
僕には自立が必要です。
その意味で、母は僕が自立する手伝いを知らず知らずにやってくれているのかもしれません。

親がいることに感謝して、
孝行できるように配慮していこうと思います。
こんな言い方は良くないかもしれませんが、
親に孝行したくとも、もともと親がいなかったり、
早くに物故されることもあるでしょう。
それに比べると、僕は恵まれています。
母に文句を言いたくなるというか、
過去には安直に文句言ってましたが、
そんな自分を今としては反省できます。

どうせ病気で、あまり外出しないし、
こんなに家に居られることも、寛解して、
仕事をするようになれば、
なくなるでしょう。
その意味で、僕は今を有意義に使っていると言えます。だから、そうであることに感謝します。

それに僕が好きな禅でも、片付けや掃除、
作務は大事なことです。
坐禅するのと、同じ功徳と思って、
そんなことに取り組めばいいのかなとも思います。

以上です。
終わり。

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