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誰も買わない成功論

最近はAIをネタにした記事が停滞気味です。ある程度、行き着くところまで行ってしまったと言うのがあるのでしょうか?

そんな中、noteでよく読む記事も季節とともに移り変わっています。
特に、最近は、売れそうな気配が全くしない「有料記事を売るには…」のような有料記事を出しているクリエイターさんの記事をついつい見てしまいます。
文章が好きと言うよりは、その人自体が気になってしまうんです。

実際に、その動向を追っている方が何人かいたりして。
少ないフォロワーにスキの数、そして無機質に整えられたサムネとありがちなタイトル。
文章の中に自分の体験や失敗から得られた考察があれば、それは貴重な内容になりそうなものですが、概ねこういう記事は一般論を並べただけに終始します。
おそらくAIに作ってもらってるのですが、仮にそうであっても、構想からアップまでを5分でできるものでもないので、それなりに労力がかかっているはずです。

すこし話がそれますが、その昔、早期退職で会社を辞めた時に次の就職まで期間があったので、Google マップで太陽光パネルがついているかどうかを調べてリスト化すると言うアルバイトをしたことがあって、そんな感じのアルバイトの方がいいんじゃないかなと思うことすらあります。
もちろん、大当たりして毎月何十人もの人に安定して購入いただける可能性が無いわけではありませんが。

AIに対する何かの相談か、他の誰かの記事がきっかけで始めたんだとは思います。
今のところ私がチェックしているその数人の方たちは、記事だけは安定して量産されているものの、note上は売り上げが立っていません。
もしかすると、他に導線があって、本業の方で収益しているのかもしれませんが、特にリンクがあるわけでもないのでnoteだけの方なんでしょう。

お盆の時期の法要で、若いお坊さんが来ると、どこかありがたみを薄く感じてしまうことがあります。例えが悪くて失礼ですみません。
お経そのものは誰が読んでも基本的に同じで、節回しに多少の違いがあっても、形式としてはきちんと成立しています。
けれど印象に残るのは、その人の佇まいであったりその後の説法の部分だったりします。似たような内容のお話をされても、経験を積んだお坊さんの言葉には不思議な重みがあります。長い時間の中で迷い、考え、そして積み重ねてきたものが、言葉の奥ににじむからなんだと思います。

最近noteで見かけるこのような有料記事にあたると、ときどきこの構造を思い出します。文章は整っていて間違いもないけれど、それが誰の言葉なのかが見えてこない。
お経だけを読み上げ、「次があるから」とそそくさとその場を後にされる感覚です。
でもまあ、お盆は忙しいですからね。

文章の型は誰でも再現できる時代になりました。しかし、その人にしか語れない経験の部分は、やはりその人の財産です。

個人的に、今チェックしている数人の方が、このまま何年か続けてくれないかなと願うばかりです。


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