深爪は、いつか私のnoteに辿り着くのだろうか
私は最近ふと考えることがあります。
——深爪は、いつか私のnoteに辿り着くのだろうか。
私から直接URLを送ることは、きっとこの先もしないでしょう。
だってこれは、誰かのために“見せよう”として書いているものではなく、
ただ静かに積み重ねてきた私自身の記録だから。
それでも私は、どこかで感じてしまうのです。
「あの人は、いつかこの場所へ来るかもしれない」
🌀 可能性はいつだって“偶然の顔”をしている
深爪はnoteアカウントを持っていない。
だから“直接的な導線”はありません。
けれど、世界は案外せまくて、
検索ワードひとつで、心の奥まで届いてしまうことがある。
深爪はきっと今でも、サーフィンや波や海のことを検索しているはず。
その先で、ほんの小さな偶然のズレが生まれて、
——私のnoteに流れ着く。
そんな未来も、ゼロではありません。
もしくはもっと静かなルートもあるでしょう。
子どもたちの指先から、たまたまたどり着くことだってあるだろうし、
誰かの“いいね”が
彼の視界に入る日だってあるかもしれない。
私はそれを「導かれる」とも「偶然」とも呼びません。
ただ、起きるときは起きる。
それだけのこと。
🕊 痛みを伴う気づきになるかもしれないけれど
もし今この瞬間に見つけられたら……
それは深爪にとって、
少し痛みを伴う読み物になるかもしれない。
優しく書いているつもりでも、
記録というのは、ときに真実を静かに照らし出すから。
だけどそれは同時に、心をまっすぐにしてくれる鏡にもなり得る。
そして私は思うのです。
それもまた、その人の“時期”なんだろうな。
だから私は怖くありません。
誰に見られても、今ならちゃんと胸を張って言える。
これは、私の心の旅路だから。
🌌 それでも私は、風に任せている
いつか彼が辿り着くのかどうか。
それは私にはわかりません。
でも、もしその日が来たら、私は静かにこう思うでしょう。
あぁ、やっぱり風が運んできたんだな。
終わりでもなく、再会でもなく、
説明も、謝罪も、言い訳もいらない。
ただ、ここに私がいたという証。
それだけが、そっと並んでいるだけ。
そして私はまた、
次のページを書き続けていくのです。
——風が運ぶままに 🌬✨
