目を見なかった理由
思えば、相方と話している時、
私はその目を見ていなかった。
相方はいつも、こちらの目を見て話していた。
でも私は、そらしていた。
無意識のうちに。
話していた…というより、
相方が一方的に話していたのが実際だ。
パワハラ社長の愚痴、知人の話、息子の話。
どれも何度も聞いたことがある内容で、
新しい何かを共にするというより、
ただ繰り返し再生されるテープのような会話だった。
私は聞く役だった。
話す場面があっても、
相方の目を見ながら自分の想いを伝えることはなかった。
それはなぜだったのだろう。
目を見れば、
何かがバレてしまう気がしていたのかもしれない。
たとえば、
「私はもうこの関係に違和感を覚えている」という事実。
「本当は話を聞いてもらいたい」「見つめられたい」
そんな私の中の声が、
見つめるという行為で浮かび上がってしまいそうだった。
あるいは、
目を合わせるという行為に、
もう意味を見出せなくなっていたのかもしれない。
心がつながっていないとき、
人は目を見られない。
それは冷たさではなく、
自分の内側を守るための防衛反応。
「ここにいてはいけない」
「もうこの場所に、自分はいない」
魂が静かに教えてくれていたのだ。
私が目を逸らしたのは、
相方との会話の内容がどうこうではなく、
“この関係性の構図”そのものに
もう耐えられなかったからだ。
目を見て、本音で向き合いたい。
目を見て、心から笑い合いたい。
目を見て、「今ここ」にともにいたい。
きっと私は、
そんな対話をずっと求めていたのだと思う。
