キャンピングカーより大切なこと
〜“自由”を夢見る彼と、“本質”を見ている私〜
相方には、今「キャンピングカーが欲しい」という夢がある。
お金を貯めて、中古でもいいから手に入れて、
それに乗って、海へ行きたいと話していた。
その夢を語るときの相方は、どこか楽しそうだった。
明るく、少年のような表情で、ワクワクしているのが伝わってきた。
実際に、キャンピングカーを見に行ったこともあった。
そこまでお金に余裕があるわけではないけれど、
「いつかは手に入れたい」と、彼は言っていた。
だけど、私はその話を聞いても、
なぜか素直に「いいね」とは思えなかった。
心の中に引っかかるものがあって、
どこか冷めた気持ちになっている自分がいた。
むしろ、「キャンピングカーなんて、いらないんじゃないか」とさえ感じていた。
それは相方の夢を否定したいわけでも、足を引っ張りたいわけでもない。
でもどうしても──
そこに“本質”を感じられなかったのだ。
たとえば、もし相方が
「ずっと心にあった願いでね、ようやくここまで来たんだ」
と語ったなら、私はきっと応援できたと思う。
けれど、彼の語るキャンピングカーには、どこか現実逃避の匂いがした。
過去の痛み、報われなかった思い、
今も続いている義務や不自由さ。
そういったものから、一時的にでも逃れたい──
そんな“自由という名の避難所”に見えてしまった。
私は思う。
「キャンピングカーで海に行くことよりも、
まず内面を整える方が先だ」と。
本当の意味での自由は、
どこか遠くへ行くことじゃなくて、
“今ここにいる自分”と向き合うことからしか生まれない。
それを見ずに、ただ“次の夢”に向かって走っていく姿が、
私には少し、苦しく映ったのかもしれない。
だから私は、彼の夢に対して素直に
「いいね」とは言えない。
それは冷たさではなく、
本当に大切なものを見てほしいという、
静かな願いなのだ。
もし、いつか彼が
“何かを手に入れること”よりも、
“何も持たずに心が自由であること”に
価値を見いだせるようになったら──
そのときこそ、きっと本当に自由になれるのだと思う。
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