テニス上達メモ161.明石家さんまさんのテニスに学ぶこと
▶完璧主義とテニスは相容れない
完璧主義とテニスは相容れないという話は、何度もしてきました。
テニスは、どうしてもミスするスポーツだからです。
絶対王者のノバク・ジョコビッチでさえ、いまだにアンフォーストエラーを犯すこともあります。
後述するマルチナ・ヒンギスも、アマチュア相手に平気でスマッシュをミスしています(14分20秒付近)。
いえテニスに限らず野球のバッティングだって、3割打てば一流。
なのに人生に完璧主義を持ち込むと、生きるのがつらくなります。
▶「減点方式」では集中力が下がる
完璧という100点満点ありきでは、残された目に映るものといえば、100点満点を「脅かすもの」ばかり。
完璧な100点満点という理想のイメージに対して、「あれが足りない!」「これができていない!」という減点方式の思いが支配的になるのだから、つらくなるのは必然です。
そしてつらくなると集中力が下がるから、かえって完璧から遠ざかる……。
完璧であろうとするほど、完璧ではないダメな(と主観的に評価する)自分に落ち込むから、完璧にはなりにくいのです。
逆に言えば、100点満点ありきの完璧主義を手放せば、「ここまではできた」「やれるだけのことはやった」という加点方式になるから、機嫌・気分・気持ちが上がって、かえって完璧に近づきます(関連記事「『気分・機嫌・気持ち』が大事」)。
当然ですが、結果的に「完璧になる」のは、もちろん望ましいですね!
▶人間である以上、私たちは完璧ではない
機械ではない私たちは人間である以上、疲れもするし、体調も崩すし、バイオリズムもさまざまです。
いえ人間に限らず、諸行は無常。
いつもいつも完璧な評価を求めようとするのは、「傲慢」とすら言えます。
傲慢だからプライドが高くなり、自己肯定感も下がる相関です(関連記事「世界は、温かかった」)。
「完璧にやりたい」「完璧な自分を認めてもらいたい」と思うのは、人の性かもしれませんけれども、そうすると自分には足りない・欠けているところばかりに目が行きがち。
その時々でできる限りのベストを尽くせばいいのであり、100点満点ありきの完璧主義を手放せたとき、もっと楽に生きやすくなる。
テニスで言えば、もっと楽に、上手く、プレーできるようになるのです!
▶「大人になる」ということ
以前の『テニス上達メモ』でも述べましたが、忘れられるものならば、忘れてしまっていいのです(関連記事「『忘れる』ことの素晴らしさ」)。
なのに「全部を覚えておかないと気が済まない!」という完璧へのこだわりは、「人間の限界」を認めない傲慢。
そのせいで、実務として覚えておかなければならない優先順位を見失って、混乱し、仕事の効率や生産性も落ちてしまいます。
「完璧主義を手放す」とは、優先順位を定めて、何かを「切り捨てる」のです。
私たち人間は、努力すれば何でもできるわけではありません。
そして「何でもできる!」という夢見がちから、「人間には限界がある」という現実へとシフトするのが、「大人になる」ということ。
▶他者も「加点方式」で見る
自分だけではなく、他者も加点方式で見てリスペクトするのが、自己肯定感を高めるポイントなのでした。
「他者肯定感=自己肯定感」の相関だからです(関連記事「相手から嫌われても、自分からは『好き』」)。
つい私たちは、「あの人のあそこが良くない」「あそこがなってない」などと、他者を否定的に評価しがちだけれど、「他者否定感=自己否定感」の相関。
ですからそのような思いでいると、自分についても「自分のここが良くない」「あそこがなってない」などという、自分に対してダメだしする否定的な目を向けてしまいがちです。
その「つらい思い」が、「つらい人生」を引き寄せます。
なぜならイメージは現実化するからです(関連記事「ライバルの存在を意識していては『ゾーン』に入れないし、上達も望めないという事?」)。
▶落ち込まない人!
明石家さんまさんは、「落ち込むことは?」と問えば「ない!」と断言するのだけれど、それは「自分を過信しない」からなのだとか。
つまり私なりに意訳すると、「自分を完璧とは思わない」。
「『俺はまだまだ。ここまでか』と思って生きてる」のだといい、「その日が頂点」ゆえに「悔いはない」とおっしゃいます。
完璧にできない自分について落ち込んでいたら、あれだけのサービス精神や神対応は、出てこないと思うのです。
だから、ベストを尽くせるのでしょう。
実は私にも、「言いたいことが言えなかった……」という経験があります。
それは、誰からも非難されない「完璧な意見」を言おうと、しすぎたから。
「完璧にできないと気が済まない!」思いでいると、サービス精神も神対応も、そして発言も、躊躇しがちだからです。
▶さんまさんほど振り切れる?
ちなみにもう20年弱ほど前になるのですね。
覚えていらっしゃる方もいるかもしれませんけれども、テレビ番組『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』で、天才少女として名を馳せた当時16歳のマルチナ・ヒンギスと試合する企画がありました(ヒンギスは1997年に「16歳3か月」で全豪オープン女子シングルスを制覇。「16歳6か月」で史上最年少の世界ランキング1位となる)。
番組の性質上、茶化されてはいたものの、さんまさんはしっかり打点に入り、振り切って、ショットにはスピンもかかっており、テニスも「かなりの腕前」だったのではないでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=idTndG1QPxQ
こちらでも述べているとおり、試合になると「全力を出し尽くせないテニスゆえの『歯がゆさ』」があるものだけれど、さんまさんはゼーゼーと息を切らしながら全力を出し切ってヒンギスに応戦。
頭上を抜かれたロビングにも追いつくし、お決まりの毎回ずっこける笑いも交えながら(そのせいかひざを擦りむく出血が認められたのが18分23秒……)という事情を踏まえれば、これだけのプレーパフォーマンスはまさに「あっぱれさんま大先生」です!
8000人が見守る衆人環視の中、私たちはさんまさんほど振り切れるテニスが、できるでしょうか?
▶日本で広まり始める「オープンスタンス打法」
またこの時代に、さんまさんのフォアハンドが「オープンスタンス打法」になっているところが、常識にとらわれない自己肯定感に基づく自由なプレーの現われ。
1997年、当時世界ランキング66位でノーシードだった愛称「グーガ」ことグスタボ・クエルテンがいきなり全仏オープン男子シングルス優勝を果たした活躍を機に、後ろ足を軸にして体の回転を使って打つオープンスタンス打法が日本でも広まり始めました。
それ以前は、前側の足を踏み込んで、後ろから前へ体重移動せよという指導が一般的で、「踏み込まないのは横着」と戒められていた。
とはいえ状況しだいではあるものの、横着できるから、楽で、簡単な側面もあり、打点に入りやすく、ボールに力を伝えやすいなどの効果も当時は期待されたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=CN7IMVl6RdA
▶「ミスしても大丈夫な自分」になる
自分に完璧を求めないのと同様に、他者にも完璧を求めないでいると「お互い様」が腑に落ちるから、人間関係の質が上がり、さらに自己肯定しやすい自分にもなる。
そしてテニスはミスするスポーツだから自己否定に向かいやすいきらいがあるけれど、「ミスしても大丈夫な自分」でいられるから、ミスを引きずらずにテニスも上手くなるという好循環に入れます。
さんまさんのいう、「俺はまだまだ。ここまでか」でいると、テニスも完璧に近づくというパラドクスです。
テニスでミスするのは当たり前。
ミスしない「完璧なテニス」にこだわると、地獄を見ます。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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