エロ本の境界線
息子よ、昭和の男子にとって「平凡パンチ」は、ただの雑誌ではない。
あれはな、“大人の世界への入り口”だったんだ。
今みたいにスマホを開けば何でも見られる時代じゃない。
昭和のガキどもは、「どうやって見るか」に命を懸けていた。
まず本屋だ。
今みたいにセルフレジじゃない。店主のオヤジが全部見ている。
しかも、田舎だと顔見知りだ。
「おう、〇〇んとこの息子、何買うんだ?」
この一言で終わる。
心拍数は既にレッドゾーンだ。
だから、平凡パンチを買う時には“作戦”が必要だった。
漫画雑誌を上に乗せる。
明星や平凡を混ぜる。
文房具を抱き合わせにする。
あるいは、友達に頼む。
だがな、本当に勇気のある奴は単騎突撃だ。
レジに「平凡パンチ」を置く。
店主の沈黙。
後ろに並ぶ客。
小銭を出す手が震える。
まるで爆弾処理班だ。
そして無事に買えた時の、あの達成感。
「俺は…ついに大人になった…」
たかが雑誌一冊だぞ?
だが、昭和男子には、それだけで人生イベントだった。
しかもな、あの頃のエロには“想像力”があった。
今みたいに全部見せない。
ちょっとした胸元。
脚線美。
水着。
風呂場の湯気。
ブラジャー広告。
それだけで全国の男子中学生は三日戦えた。
そして、「平凡パンチ」は妙にオシャレだった。
ただ下品なだけじゃない。
都会の匂いがした。
車。
洋酒。
サングラス。
ディスコ。
綺麗なお姉さん。
“東京”という魔境。
福島の団地で育ったガキから見れば、あれは別世界だ。
だから昭和のエロ本は、単なる性欲だけじゃない。
「大人への憧れ」が詰まっていたんだ。
隠れて読む。
親の足音に怯える。
押し入れの奥に隠す。
友達同士で回し読みする。
あの背徳感込みで、“文化”だった。
今の時代は便利だ。
だが、「見たいのに見られない」という、あの焦燥感は消えた。
だから昭和男子は、たった一冊の「平凡パンチ」に、
青春全部を詰め込んでいたのである。
エロトピアはダメで平凡パンチはギリOK
昭和っていいな。
