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体を労ることは、弱くなることじゃない

急がなくていい話

体を労ることは、弱くなることじゃない。
むしろ“やさしく生きる準備”なのだと、ようやく気づいた。
お母ちゃんの姿と、畑の雑草が、ぼくの答えになった。


◇ 若いときのように立ち上がれなくなった日

おかあちゃんが作ってくれた夕食を、
じっと座って食べ終え、
よし、立とうと思ったときのこと。

昔みたいにサッとはいかん。

「どっこいしょ」と声が出て、
テーブルに思いきり手をつき、
その反動を利用して、なんとか立ち上がる。

膝がこわばったままで、
力を入れた瞬間に「チクッ」と痛む。

あぁ、そうだった、そうだった。
長いこと同じ姿勢でおったら、膝は怒るんじゃった。
膝よ、ごめん。

だけど、その痛みがあるからこそ、
“あぁ、今日も動けたなぁ” と実感する日もある。
若いころには気づかんかった小さな体の声が、
いまはなんだか愛おしい。

その「チクッ」は、
「若くないんじゃから、気をつけて座りなさいよ」
と教えてくれる合図だった。


◇ 年齢に抗わないという“やさしい選択”

昔のように働けん、と落ち込むんじゃなくて、
人間は年を重ねると、機械の部品が古うなるように、
労ってあげないけない、と気づいた。

今さら遅いことはない。
体が教えてくれた「チクッ」という知らせを、
“もうだめだ” と受け取るんじゃなく、
“無理せんで鍛え直す時期なんじゃ” と考えてみることにした。

それからユーチューブを見たりして、
いまからできる健康体操をぼちぼち始めた。
おかげで、あの「チクッ」の回数が少し減ってきた。

できんことが増えたんじゃなくて、
“やり方を変える時期に来ただけ” なんよなぁ。
そう思えるようになってから、心が少し軽うなった。

体が痛みで教えてくれたのは、
“もうあかんよ” という絶望じゃなく、
「いまの自分に合う動かし方を探しなさいよ」
という、やさしいサインだったのかもしれない。

そう思うようにしてから、
ぼくの人生は、“無理せんでええ人生” に変わってきた気がする。

まだまだこれから。
焦らんでええ。
健康な体を、長く、大切に使っていくために。

◇ お母ちゃんの姿から学んだ「労り方」

お母ちゃんは外に出ることが大好きで、
「買い物連れてって」と言いながら
気づけば友達と買いに出かけている。

そういう“自由で軽い身のこなし”を、
ぼくも少し見習って良いんじゃないかと思った。

自分を労ることは、
弱くなることじゃない。
家族を大切にするための“力”になるんじゃと
最近ようやく腑に落ちた。

◇ 畑を見ながら、ふと気づいた

畑を眺めていたら、
土の硬い場所に釣り合わんキャベツを植えていたことに気づいた。

あぁ、なんてことをしとったんじゃろう。
土にも土の性格があるのに、
それを見ずに植えてたんじゃなぁと。

「ごめんね」と畑に言いたくなった。

人の心も同じで、
合わん場所で無理をしても、うまく育たん。

少しずつ、釣り合いのとれた生き方に変えていけばええんよな。


ここから先は、膝の痛みがぼくの心まで変えていった話です。
お母ちゃんの姿、畑の雑草、そしてこれからの生き方のこと。
そっと書き残しておきたい“内側の気づき”になります。



◇ 体は、正直に年を重ねていく

若いころは、体のどこが痛くても
「まぁ、ほっときゃ治るじゃろ」と思ってた。

無理をしても寝たら回復してたし、
明日の自分に丸投げしてもなんとかなっとった。

けど──
五十、六十、七十と年を積むと、
体はもう、嘘をつかんようになる。

痛いところははっきり痛い。
疲れた日ははっきり動かん。
無理をすれば、きちんと翌日に残る。

体は、昔みたいに「だませる相手」じゃなくなった。

ウォーキングがしんどくなった日も、
膝がチクッと怒った日も、
全部つながってた、と今は思う。

「そろそろ、生き方を変えなさいよ」
そんな合図じゃったんだろうか。


◇ “できなくなる自分” は、終わりじゃなく“始まり”

できんようになったことを数えよったころは、
心がどんどん沈んでいった。

けれど、ふと思った。

“できん” のじゃなく、
体の使い方を変える時期が来た”だけなんじゃないか。

そう気づいたとき、
心の中にぽっと明かりが灯った気がした。


◇ 体とつきあう“新しいやり方”を見つけていく日々

七十を過ぎてわかったんだけど、
年齢を重ねるというのは、

「いまの体と仲良くなる作業」なんよな。

若いころは、体を“押し込んで”動かしよったけど、
いまは反対で、体のほうがぼくに話しかけてくる。

「今日は軽めにしとき」
「ここらでやめとこうや」
「もう少し伸ばしたら気持ちええよ」

そんなふうに。

無理せず動けば、体はちゃんと応えてくれる。
そんな当たり前のことを、七十にして学び直してます。


◇ “がんばらん勇気” が、自分を変えた

無理を続けとったころは、
毎日のウォーキングもしんどうてね。

歩きながら「なんか変だ…」と思いつつ、
無理をやめる勇気がなかった。

でも、この気づきから全部が変わった。

ゆっくりでも、短くてもええ。
今日の体に合う歩き方で歩けば、それでいい。

それから、できる範囲の小さな運動も始めてみた。

フットワークを毎日10回。
猫のように背中を丸めてゆっくり深呼吸。
たったこれだけで、体がぐんと軽うなる。

体は正直で、優しい存在じゃな。


◇ 「できない日」に落ち込まなくなった理由

体の声を聞きながら暮らすようになってから、
“できない日” に落ち込まんようになった。

前は
「今日は歩けんかった」
「またしんどくなった」
と、自分を責めよった。

けど今は違う。

「休息も、体の仕事なんじゃ」

歩ける日も、歩けん日も、
元気な日も、そうでない日も、
どれも“自分の生活そのもの”なんだと受け止められる。

そのおかげで、
毎日の生活に余白が生まれた。
心がすっと軽くなった。


◇ 体は“これからの人生を一緒に歩む“相棒”

若いころのぼくは、
体を「黙らせるもの」「鍛えつけるもの」だと思ってた。

けどいまは、まるで逆。

体は、
長いことぼくを支えてくれた相棒なんよな。

痛みも不調も、
壊れかけの警報やなくて、

「もっとやさしく扱ってくれ」
というメッセージにすぎん。

その声を拾いあげながら生きるようになって、
ぼくの暮らしはほんとうに穏やかになった。


◇ ゆっくり歩く人生は、思っていたよりずっと豊かだった

人生の前半は、
“がんばらんといけん”
“立ち止まったら負け”
そんな気持ちで生きてきた。

でも、七十を超えてようやくわかった。

立ち止まる人にしか見えん景色がある。

膝がチクッと怒った日も、
ウォーキングがしんどい日も、
全部、いまの自分につながっとる。

無理をやめて、
体の声を拾い、
できることをていねいに積み重ねる。

それが、年齢と仲良く生きるということなんじゃろう。


◇ 年齢は“やさしさ”の根になる

“若くない” んじゃなく、
“深うなった”だけなんよな。

できることは減ったかもしれん。
でも、見えるものは増えた。

体の声、家族の気持ち、
畑の土のやわらかさ──。

どれも昔の自分には聞こえんかったものばかり。

年齢とは、
自分も周りも大切にするための
自然な変化なのかもしれん。


◇ いまの体で、いまの人生をていねいに歩いていく

無理せんでええ。
焦らんでええ。

“今日の自分” に合う歩幅で生きられたら、
それだけで十分なんよ。

明日もまた、
フットワークを10回だけやって、
猫のように背中を丸めて深呼吸して、
体と仲良くして生きていく。

人生は、深呼吸。

ゆっくり、
やさしく、
これからも続いていく。

◇ 体とつきあう“新しい毎日の過ごし方”を

七十を過ぎて気づいたんだけど、
年齢を重ねるというのは、
「いまの体と仲良くなる作業」なんよな。

若いころは、体を“押し込んで”でも動かしてきたけど、
いまは反対で、体のほうがぼくに話しかけてくる。

「今日は軽めにしとき」
「ここらでやめとこうや」
「もう少し伸ばしたら気持ちええよ」

そんなふうに。

無理せず動けば、体はちゃんと応えてくれる。
そんな当たり前のことを、七十にして学び直しました。


◇ “がんばらん勇気” が、生活の質を変えた

ウォーキングがしんどくなったころ、
ぼくは「もうダメかもしれん」と一瞬思った。

でも、ある日ふと気づいたんよ。

しんどいと言えずに無理し続けとったこと自体が、
体をいちばん苦しめとったんじゃないか──
と。

それから、
自分にできる小さな運動を、ぼちぼち始めてみた。

たとえば、フットワークを毎日10回。
それから、猫のように背中を丸めて、ゆっくり息を吸って吐く。
ほんの数分じゃけど、これだけでも体がぐんと軽うなるんよ。

距離も時間も、誰かと競うわけじゃない。
“今日の自分に無理がないちょうどええ歩き方と動かし方” を選ぶだけ。

そうしたら、
あのしんどさが徐々に薄れていった。
体って、正直で優しいもんだな。


◇ 「できない日」に落ち込まなくなった理由

不思議なもんで、
体の声を聞きながら生活するようになると、
“できない日” に落ち込まんようになった。

前は
「今日は歩けんかった」
「またしんどくなった」
と、自分を責める日も多かった。

けれどいまは、こう思える。

「休息も、体の仕事なんじゃ」

歩く日も、歩かん日も、
元気な日も、そうでない日も、
どれも“自分の生活そのもの”として受けとめられるようになった。

そのおかげで、
毎日の生活に余白が生まれた。
心がすっと軽くなった。


◇ 体は“これからの人生を共に歩む“相棒”

体は、ぼくを長いこと支えてくれた“相棒”なんよな。

痛みも不調も、
壊れかけの警報やなくて、
“もっとやさしく扱ってくれ” という声に過ぎん。

その声を拾いながら生きるようになって、
ぼくの暮らしは、ほんとうに穏やかになった。

自分を労るすべは、
そのまんま家族を労ることに通じていた。

膝のチクッとした痛みが、
ぼくに教えてくれた生き方だった。


◇ じいちゃんのしめの言葉

これからの人生は、
急がんでいい、無理せんでいい。
体を労わりながら。


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