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「鳥の巣」から始まった25年|birdという名の謎

もし彼女がアフロヘアーじゃなかったら、その名前も、その歌も、世に出ていなかったかもしれない。

シンガー bird。1999年3月20日、シングル「SOULS」で鮮烈にデビューし、同年7月のファーストアルバム『bird』は70万枚を売り上げ、日本ゴールドディスク大賞新人賞を獲った人だ。25年経った今も、彼女は歌い続けている。2025年3月には12枚目のオリジナルアルバム『Reconnect』を出した。

私がbirdを知ったのは「SOULS」だった。あの声を初めて聴いたとき、これは日本人の歌じゃない、と思った。低く、しなやかで、それでいて軽やかに飛ぶ。日本人離れした歌声に、惚れた。

でも、その「bird」という名前自体が、髪型から生まれていた、と知っている人は意外と少ない。


1. シルク・ドゥ・ソレイユに憧れた大学生

bird、本名は北山有紀。1975年12月9日、京都生まれ。ノートルダム女学院高校を卒業して、関西大学社会学部に進学した。

大学で彼女が一番情熱を傾けていたのは、歌ではない。ジャグリングだ。高校生のとき、大阪でシルク・ドゥ・ソレイユの公演を観て、震えるほど感動した。パンフレットを買い込み、「どうしたらここに入れるんだろう?」と本気で考えた。インターネットもない時代、入団方法もわからないまま、彼女はとりあえず大学のジャグリングサークルに入った。技を覚えるためだ。

軽音楽部にも所属したが、こちらは「友達ができるよ」と誘われて入っただけで、ボーカルを選んだのも「楽器を買わなくていいから」という理由だった。本命はジャグリング、歌は副業。それが大学1年の彼女だった。

2. 阪急電車で、彼女は歌の力に気づいた

転機は、大学2年か3年のとき。先輩から借りたカセットテープのなかに、毛色の違う曲が入っていた。

アレサ・フランクリンの「Respect」。

阪急電車で家に帰る途中、彼女はそれを聴いた。声の持つ力に圧倒され、「自分もこういう存在になれないだろうか」と思ったと、2024年のリアルサウンドのインタビューで語っている。

ここから、彼女のなかで何かが切り替わる。友達に声をかけてアレサ・バンドを組み、アレサの曲ばかり歌うようになった。歌が、いつのまにかジャグリングを追い越していた。

大学卒業後、彼女はニューヨークへ渡る。1年間滞在して帰国し、大阪のジャズクラブで歌い始める。70年代のソウルとロックばかり聴いていた彼女は、自分が「クラブミュージック」と呼ばれる新しい音楽の存在を、まだ知らなかった。

3. 大阪のジャズクラブで、大沢伸一は何を見たのか

ある夜、その店に大沢伸一が来ていた。

MONDO GROSSOの大沢伸一。1990年代を通じてUA、Chara、Monday満ちるといった女性シンガーを次々とプロデュースしてきた、日本のクラブシーンの中心人物だ。

歌い終わった彼女に、大沢は話しかけた。好きな音楽は何かと訊かれて、彼女はダニー・ハサウェイやマリーナ・ショウの名前を出した。大沢は「いま、そういうソウルでめちゃくちゃカッコイイことをやっている人たちがいる」と言って、エリカ・バドゥやディアンジェロを聴かせた。

彼女は、自分が好きな音楽が「過去」だと思っていた。でも、いま現在進行形で、自分の好きなものを更新している人たちがいる。そのことに気づいた瞬間だった。

このときの大沢伸一は、Sony Music Associated Recordsに移籍したばかりで、自身のレーベル「REALEYES」を立ち上げる準備をしていた。1999年のことだ。そのレーベルの「第1号アーティスト」として、彼女はプロデュースされる。

4. 「鳥の巣みたい」── bird's nestが、birdになるまで

ここで、彼女の名前がついた。

当時、彼女の髪型はアフロヘアーだった。大沢たちのチームのなかで誰かが言った。「鳥の巣みたいだから、bird's nestがいいんじゃないか」。これは2019年のOTOTOYのインタビューで本人が証言している、一次情報だ。

そこから短縮されて、「bird」になった。小鳥のように歌声を響かせてほしい、という願いも込められたという。

もし彼女がアフロにしていなかったら、この名前は生まれていない。

そして、この偶然はもう一つの偶然を呼ぶ。2005年、彼女は自身初のベストアルバムを出すとき、そのタイトルに『bird's nest』を選んだ。デビュー時に却下されたはずの名前を、6年後に自分のキャリアを総括するアルバムタイトルとして拾い上げたのだ。

1999年3月20日、彼女はシングル「SOULS」でデビューした。7月のファーストアルバム『bird』は70万枚を超え、日本ゴールドディスク大賞新人賞を獲った。

5. 「LIFE feat. bird」は、自分名義の曲ではない

代表曲は、と訊かれて、おそらく多くの人が思い浮かべるのは「LIFE feat. bird」だろう。

2000年5月、MONDO GROSSO名義でリリースされたこの曲は、ブラジリアンハウスのビートに彼女の歌声が乗った、当時のANA沖縄キャンペーンのCMソングだった。アルバム『MG4』に収録され、世界25カ国でリリースされている。19年経った2018年、ANA HAWAiiのCMソングとして再起用され、2019年5月、新録版「LIFE feat. bird (Retune)」が配信された。19年越しの復活劇だ。

ただ、本人はこの曲についてはっきり言っている。「自分名義の曲ではないんですけど、ライブでもたくさん歌ってきた曲なんです」と。

世間が「あなたの代表曲」と呼ぶものと、本人が「自分の歌」と思っているもののあいだに、ズレがある。彼女が25年間やってきたのは、おそらくこのズレを埋め続ける作業だった。

田島貴男や堀込高樹といったソングライターと共作する時期があった。2006年からは冨田恵一(冨田ラボ)と組み、『BREATH』『Lush』『波形』と、ジャズとR&Bとエレクトロを混ぜ合わせた新しいポップを作ってきた。クラブシーンの「フィーチャリング・ボーカリスト」だった彼女が、シンガーソングライターになっていく長いプロセスだ。

6. 25年目のアルバムが、なぜ『Reconnect』なのか

2025年3月12日、12枚目のオリジナルアルバム『Reconnect』がリリースされた。冨田ラボの全曲フルプロデュース。ARIWA、スチャダラパーがゲスト参加。冨田とのフルアルバムタッグはこれで4作目だ。

タイトルの『Reconnect』── 再びつながること。デビュー当時の大沢伸一とも、長く一緒にやってきた冨田ラボとも、25年間聴き続けてくれたファンとも、そしてこれから新しく出会う人たちとも、もう一度つながり直す。25周年に彼女が選んだのは、そういうテーマだった。

2024年9月のベストアルバム『25th anniv. re-edit best + SOULS 2024』には、大沢伸一の手による新録「SOULS 2024 Shinichi Osawa ver.」が収録されている。25年前にデビュー曲をプロデュースした人に、もう一度同じ曲を作り直してもらう。新人賞を獲った日からのループを、自分で閉じる作業だ。

2025年は「そうだ ○○、行こう。 25th Anniv. Acoustic Tour」と題して、岡山の蔭凉寺など、フェスや大ホールではない小さな会場を巡っている。70万枚を売ったアフロの新人は、25年かけて、自分のサイズで歌える場所を見つけたのだと思う。

おわりに

bird、という名前は、髪型から生まれた。

もしあの夜、彼女がアフロでなかったら、「bird's nest」という案も出なかった。短縮されて「bird」になることもなかった。「SOULS」というデビュー曲の歌い手は、別の誰かだったかもしれない。

でも、彼女はアフロにしていた。だから「鳥の巣」と呼ばれ、その響きから「bird」になり、25年間、そう呼ばれ続けて、いまもそう呼ばれている。

偶然のディテールが、25年の輪郭を決めることがある。

この記事をもっと深く知りたい人へ

推奨アイテム

『リスペクト アレサ・フランクリンの世界』── birdが阪急電車で「Respect」を聴いて衝撃を受けたアレサ・フランクリンの評伝。ひとりの歌声が誰かの人生を変える、その源を辿れる。



『Reconnect』── 2025年3月リリースの12thアルバム。冨田ラボ全曲プロデュース。Amazonで購入可能。



『25th anniv. re-edit best + SOULS 2024』── 25周年記念ベスト。大沢伸一による新録「SOULS 2024 Shinichi Osawa ver.」収録。Amazonで購入可能。



『MG4』(MONDO GROSSO)── 「LIFE feat. bird」収録の名盤。Amazonで購入可能。


#bird #SOULS #MONDOGROSSO #大沢伸一 #冨田ラボ #Reconnect #シンガーソングライター #音楽  

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