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体制を憎んでいても、国が壊されることは望まない


イランをめぐる戦争の話で、一番見落とされやすいのはここだと思う。

「反体制」と「親米・親イスラエル」は同じではない。
「イスラム共和国に不満がある」と「外国による攻撃を歓迎する」は同じではない。
「今の政権を変えたい」と「国土が破壊されてもいい」は同じではない。

ここを雑にまとめると、イラン情勢はかなり読み間違える。

体制に不満を持つ人は多い。
経済制裁で生活は苦しい。
物価も厳しい。
自由も制約されている。
神権政治に嫌気が差している人もいる。

それでも、外から爆撃され、都市が壊され、文化遺産が傷つき、国境の変更まで示唆されれば、話は変わる。

その瞬間、問いは変わる。

「あなたは体制に賛成か反対か」ではなく、
「あなたはこの戦争に賛成か反対か」になる。
「あなたは政権を倒したいか」ではなく、
「イランという国が壊れてもいいのか」になる。

この問いの変化は大きい。

外圧は、必ずしも体制を弱らせない

外から見れば、こう考えたくなる。

イラン国民は体制に不満がある。
だから、軍事攻撃で体制が揺らげば、国民蜂起が起きるかもしれない。
政権は崩れ、より親米的な政府が生まれるかもしれない。

だが、これはかなり甘い見方だと思う。

外圧は、体制を弱らせることもある。
しかし同時に、国民を国旗のもとに集めることもある。

自分の家族が危険にさらされる。
自分の街が燃える。
自分の国の歴史的な都市が攻撃される。
自分の国境が変えられるかもしれない。

こうなると、政権への怒りよりも、まず国を守る感情が前に出る。

これはイランに限らない。

どの国でも、外敵の存在は国内対立を一時的に凍結させる。
体制への不満が消えるわけではない。
でも、優先順位が変わる。

「今は内輪揉めをしている場合ではない」となる。

これが、外部からの体制転換が難しい理由です。

イランは短距離走ではなく、持久走で見ている

アメリカやイスラエルのような軍事大国は、圧倒的な火力を持っている。

制空権。
ミサイル。
空爆能力。
情報能力。
経済制裁。
同盟網。

正面から比べれば、イランは不利です。

しかしイラン側の発想は、単純な火力勝負ではない。

「どちらが大きな爆弾を持っているか」ではなく、
「どちらが長く痛みに耐えられるか」
という見方をしている。

短距離走では勝てない。
だから持久戦に持ち込む。

相手に「この戦争は高くつく」と思わせる。
米軍基地への攻撃リスクを上げる。
エネルギー市場を揺らす。
湾岸諸国に不安を与える。
米軍の中東駐留そのものを問題化する。

つまり、イランは戦場だけを見ていない。

アメリカ国内政治。
イスラエルの迎撃能力。
湾岸諸国の安全保障不安。
原油価格。
世界経済。
反米感情。
グローバルサウスの世論。

これらを含めて、戦争コストを引き上げようとしている。

軍事力では劣るが、痛みを分散させ、相手の継戦意欲を削る。

これがイラン側の長期戦略なのだと思う。

「最後の戦い」という認識

イランにとって、この戦争は単なる一局面ではない。

体制側は、これを「最後の戦い」に近いものとして見ている。

47年にわたるアメリカとの対立。
経済制裁。
中東での包囲網。
イスラエルとの衝突。
ヒズボラやシリアでの防衛線の崩壊。
国内経済の疲弊。
そして本土への攻撃。

ここまで来ると、従来の「抵抗戦略」は限界に来ている。
だから、イラン側の選択肢はかなり極端になる。

このまま押し切られて崩れるか。
それとも、相手に高い代償を払わせ、ゲームのルールを変えさせるか。

体制側から見れば、これは延命戦ではなく、生存戦です。

この認識を理解しないと、「なぜまだ降りないのか」「なぜここまで耐えるのか」が見えない。

歴史の記憶が、今の戦略を作っている

イランの対米不信は、単なる反米思想だけではない。

イランには、外国勢力に翻弄されてきた歴史の記憶があります。

第二次世界大戦期の占領。
冷戦期の介入。
1953年のモサデク政権転覆。
イラン・イラク戦争での孤立。
サダム・フセイン側に傾いた国際社会。
長期の制裁。
米軍基地による包囲感。

この歴史認識の中では、アメリカは単なる交渉相手ではない。

イランの主権を脅かしてきた外部勢力として記憶されている。

もちろん、この認識がすべて正しいとは限らない。
イラン体制側の被害者意識や正当化もある。

だが、重要なのは、彼らがそう認識しているということです。

安全保障は、客観的な軍事力だけでなく、歴史的な記憶によっても動く。

イランは「誰も助けてくれない」「自分たちで守るしかない」という学習をしてきた。

だからミサイルを作る。
ドローンを作る。
代理勢力を育てる。
ロシアとも接近する。
中東各地で影響力を持とうとする。

外から見れば、これは破壊的な拡張政策に見える。
イラン側から見れば、孤立した国の非対称防衛戦略に見える。

このズレが、対立をさらに深くしている。

核問題は、むしろ悪化する可能性がある

この戦争の最も危険な帰結は、核開発を止めるどころか、核武装の動機を強めることです。

もしイランがこう学習したらどうなるか。

「IAEAに監視される形で核計画を持つのは失敗だった」
「交渉しても制裁される」
「合意しても破棄される」
「透明性を出しても攻撃される」
「結局、核兵器を持たないと安全は守れない」

そうなれば、イランはインドやパキスタン型の発想に近づく。

話し合いながら民生用核計画を維持するのではなく、秘密裏に軍事化する方向です。

これは、アメリカやイスラエルが長年防ごうとしてきたもののはずです。

しかし、軍事攻撃によってそのインセンティブを強めてしまうなら、政策としては逆効果になる。

さらに悪いことに、このメッセージは他国にも伝わる。

「アメリカに狙われる可能性がある国は、急いで核を持った方がいい」

この学習が広がれば、核不拡散体制そのものが弱くなる。

イラン問題は、イランだけの話ではなくなる。

ディアスポラも引き裂かれる

この戦争は、イラン国内だけでなく、国外のイラン人社会も引き裂いている。

体制に反対する人の中には、アメリカやイスラエルの攻撃を歓迎する人もいる。一方で、体制を嫌っていても、外国の爆撃には反対する人もいる。

この分裂は重い。

「政権を倒すためなら、どこまで許容するのか」
「国が壊れてもいいのか」
「外国軍の力で変わった政権に正統性はあるのか」
「イランの領土や文化が傷つくことを受け入れられるのか」

この問いは、簡単に答えられない。

亡命者にとって、祖国は遠い。
でも消えていない。
自分が住んでいる国が、自分の出身国と戦争をしている。
これはかなり残酷な状況です。

外から見れば政治的立場の違いに見える。
でも当事者にとっては、家族、記憶、言語、文化、喪失の問題でもある。

体制批判と国家破壊を分けて考える必要がある

イラン体制には問題が多い。

神権政治。
抑圧。
経済的孤立。
自由の制限。
抗議運動への弾圧。
地域での武装勢力支援。

これらを批判することは当然です。

だが、それと「だから外国から爆撃されても仕方ない」は別です。

体制を批判することと、国が破壊されることを歓迎することは違う。

ここを分けないと、議論は雑になる。

特に中東では、外部介入による体制転換が必ずしも自由や安定をもたらさなかった歴史があります。

イラク。
リビア。
シリア。
アフガニスタン。

これらを見れば、政権を倒すことと、その後にまともな国家を作ることはまったく別問題だと分かる。

だから、イランでも同じことを考える必要がある。

「イスラム共和国が倒れれば終わり」ではない。

その後、誰が治めるのか。
国境は維持されるのか。
治安機構は残るのか。
少数民族問題はどうなるのか。
周辺国は介入しないのか。
核関連施設や軍事施設は誰が管理するのか。

ここを考えずに体制転換だけを語るのは危ない。

戦争は、敵を弱らせるだけではない

戦争は、敵を弱らせる。

だが同時に、敵を固くすることもある。

穏健派を弱らせる。
強硬派を正当化する。
国内の反体制派を沈黙させる。
ナショナリズムを刺激する。
核武装論を強める。
対話派を裏切り者に見せる。

つまり、軍事力は短期的には破壊できても、長期的には相手の政治構造をむしろ硬化させることがある。

イランに対する最大圧力政策も、その一例だったのかもしれない。

制裁は痛みを与えた。
だが同時に、イランの中の強硬派を強めた。
中間層を痩せさせた。
対米不信を深めた。
「やはりアメリカは信用できない」という物語を補強した。

今回の戦争も、同じ方向に働く可能性がある。

イランを見るときに必要な視点

イランを単純化してはいけない。

「悪の体制」だけでは見えない。
「反米国家」だけでも見えない。
「核開発国」だけでも見えない。
「抑圧された国民」だけでも見えない。

そこには、体制への不満がある。
同時に、国家への愛着がある。
アメリカへの不信がある。
外部介入への恐怖がある。
歴史的な屈辱の記憶がある。
地域大国としての自負がある。
そして、戦争によって破壊される日常がある。

この複雑さを見ないと、イランは理解できない。

体制を憎んでいる人も、祖国が爆撃されることには耐えられない。
自由を求める人も、国境が壊れることは望まない。
政権交代を望む人も、外国軍による破壊を歓迎するとは限らない。

ここを見落とすと、政策も世論も誤る。

結局、戦争で「解決」できることは少ない

軍事力で施設は壊せる。
司令官も殺せる。
燃料施設も破壊できる。
一時的に能力を削ぐこともできる。

でも、それで国家の記憶や恐怖や被害者意識まで消せるわけではない。

むしろ強くなることすらある。

イランが何十年も抱えてきた「孤立」「包囲」「主権への脅威」という認識は、爆撃によって薄まるのではなく、濃くなる可能性が高い。

そう考えると、この戦争は短期決戦では終わらない。

仮に停戦しても、問題は残る。
体制の問題も残る。
核の問題も残る。
対米不信も残る。
ディアスポラの分裂も残る。
国民の傷も残る。

戦争は、分かりやすい決着を約束するように見える。

でも実際には、次の問題を作ることが多い。

イランの問題も、たぶんそうです。

体制を批判すること。
国を破壊しないこと。
核拡散を防ぐこと。
地域戦争を広げないこと。
イラン国民の尊厳を守ること。

この全部を同時に考えないといけない。

面倒だけど、それが現実だと思う。

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