国家より企業が強くなる時代に、個人はどう生きるべきか
国家が企業の下に入る時代は来るのか――国家・グローバル企業・個人の新しい関係
私は以前、いずれ国家が世界的企業の下位に置かれる時代が来ると考えていた。
資本、技術、情報、データ、人材、知的財産、生産拠点を国境を越えて移動できるグローバル企業に対し、国家は領土と国民を抱えたまま動けなくなる。
企業は税制や規制、電力価格、人件費、市場規模を比較して、活動する国家を選べる。また、データ自体は簡単に国家を超える。
一方、国家は企業が撤退しても、そこに暮らす国民、社会保障、道路、学校、医療、治安を引き受け続けなければならない。
この非対称性が拡大すれば、国家は企業を統制する主体ではなく、企業から選ばれる側になる。さらに言えば、国家が世界的企業の下(言いなり)になる時代が来るのではないか。
私はそう考えていた。
しかし、現在起きていることを見ると、構造はそれほど単純ではない。
国家が企業に一方的に従属しているわけでも、企業が国家から完全に自由になったわけでもない。
むしろ、国家と巨大企業が互いを切り離せないほど深く依存し、その主導権を争う時代になっている。
トランプ大統領は、企業を国家の下へ戻そうとしている
その点で興味深いのが、トランプ大統領の政治である。
トランプ大統領は、名だたるグローバル企業を国家の外で自由に活動させるのではなく、関税、輸出規制、政府調達、補助金、安全保障、国内投資要求などを通じて、再び米国という国家の戦略に組み込もうとしている。
国外で生産すれば関税を課す。
重要技術を競合国へ輸出すれば規制する。
米国市場を利用するなら、米国内へ投資し、工場を建設し、雇用を生み出すよう求める。
半導体、AI、鉄鋼、自動車、エネルギー、防衛、通信などを、単なる民間産業ではなく国家安全保障の一部として扱う。
これは、企業が国家を選ぶ時代から、国家が企業へ条件を突きつける時代へ戻そうとする動きとも言える。
もちろん、巨大企業が完全に国家へ服従したわけではない。
企業は依然として、資本、技術、雇用、データ、インフラを握っており、国家に対して強い交渉力を持つ。
それでも米国は、市場規模、ドル、軍事力、技術規制、政府調達という武器を使い、企業を自国の国益へ従わせることができる。
ここで重要なのは、国家が消滅するのではなく、企業を従わせることのできる国家と、企業に選ばれるだけの国家との差が広がっているということだ。
強い国家は企業を国家戦略へ組み込める。
弱い国家は減税、補助金、規制緩和を提示し、企業に来てもらうしかない。
今後の世界では、国家と企業の力関係以上に、国家間の力の差がより顕著に、重要になるのかもしれない。
世界的企業も、国家なしでは存在できない
グローバル企業は国境を越えて活動する。
しかし、国家から完全に独立しているわけではない。
企業活動は、国家が提供する基盤に依存している。
法律、契約、財産権、通貨、金融制度、道路、港湾、電力、通信、教育、人材、治安、外交、軍事、安全保障。
半導体企業は国家の補助金と輸出管理に依存する。
AI企業は電力、データセンター、著作権制度、政府調達に依存する。
防衛企業は国家の予算そのものに依存する。
エネルギー企業は航路、資源外交、軍事的保護に依存する。
金融機関は中央銀行、預金保険、決済制度、危機時の公的支援に依存する。
一見すると世界を支配しているように見える企業も、国家がつくった市場と制度の中で活動している。
企業は国家を越えることはできても、国家を不要にはできない。
国家もまた、世界的企業を生かし続けなければならない
一方で、国家も巨大企業を必要としている。
巨大企業は、税収、雇用、輸出、技術力、研究開発、金融、クラウド、通信、防衛、エネルギー、決済、データなどを担っている。
半導体企業が弱くなれば、産業競争力だけでなく防衛力も低下する。
クラウド企業が弱くなれば、行政、金融、企業活動の基盤が不安定になる。
エネルギー企業が弱くなれば、国家の供給能力が失われる。
海外で稼ぐ企業が弱くなれば、経常収支や通貨の信認にも影響する。
国家は巨大企業を規制する必要がある。
しかし、規制によって企業を弱体化させれば、国家自身の税収、技術、安全保障、年金運用も弱くなる。
そのため現代国家は、企業を規制しながら、同時に育成しなければならない。
ここに大きな矛盾がある。
企業を強くしなければ国家が弱くなる。
しかし企業を自由にしすぎれば、利益が国内の賃金、税収、設備投資へ戻らない。
現代の国家に必要なのは、企業を単に支配することでも、無条件で支援することでもない。
企業の力を国家の力へ接続することである。
日本は「輸出国家」から「資本所得国家」へ変わった
日本の経常収支を見ると、この変化が分かりやすい。
かつての日本は、自動車、機械、電機製品などを輸出し、貿易黒字を稼ぐ国だった。
しかし現在は、モノの貿易収支だけで安定して黒字を出す構造ではない。
原油、LNG、食料、原材料を輸入し、デジタル分野では海外のクラウド、広告、ソフトウェア、動画配信、アプリ、知的財産へ支払いを続けている。
いわゆるデジタル赤字は、貿易収支ではなく、主としてサービス収支に計上される。
それでも日本の経常収支全体が黒字を維持できるのは、海外投資から得られる配当、利子、海外子会社利益などの第一次所得収支が大きいからである。
つまり日本は、国内で生産して海外へ売ることで稼ぐ国から、海外に保有する企業や金融資産から所得を受け取る国へ変わりつつある。
国全体を一人の人間に例えるなら、労働所得だけで暮らす人ではなく、海外企業や株式、債券、不動産を保有し、そこから配当や利息を受け取る資産保有者に近い。
日本は国家単位で、資本家階級的な利益を享受している。
経常黒字でも、国民が豊かになるとは限らない
ただし、国家全体が資本所得を得ていても、その利益が国民全体へ均等に配られるわけではない。
直接的な恩恵を受けやすいのは、海外子会社を持つ大企業、株主、金融機関、保険会社、年金基金、投資信託や株式を保有する家計である。
一方、金融資産をほとんど持たない人は、海外利益の恩恵を受けにくい。
それどころか、円安、原油高、輸入物価上昇による負担だけを受ける可能性がある。
ここで重要なのが、第一次所得収支に含まれる再投資収益である。
日本企業の海外子会社が利益を出し、その利益を海外で再投資した場合でも、国際収支統計上は日本の所得として計上される。
しかし、その資金が実際に日本へ戻り、国内の賃金、設備投資、消費、税収へ使われるとは限らない。
したがって、
経常収支が黒字であることと、国内で自由に使える資金が増えることは同じではない。
国家は豊かでも、家計は苦しい。
企業利益は増えても、国内賃金は伸びない。
海外資産は増えても、地方の雇用や公共サービスは衰える。
こうした状態は十分に起こり得る。
日本の問題は、海外で稼げていないことだけではない。
海外で稼いだ利益を、国内社会へ接続する経路が弱いことでもある。
年金資金を国内へ向けようとする理由
政府がGPIFや公的資金、家計金融資産を国内投資へ向けようとする背景にも、この問題がある。
日本の年金や家計の資金が海外株式や海外企業へ投資されれば、海外企業の成長を支え、その利益の一部を日本が受け取ることができる。
これは合理的な運用であり、国際分散という点でも必要である。
しかし、資金が海外へ向かい続ける一方で、国内企業、インフラ、研究開発、スタートアップ、地域産業へ十分な資金が流れなければ、日本国内の生産力は弱くなる。
そこで政府は、海外投資を維持しつつ、国内にも資金を還流させたいと考える。
ただし、公的年金は政府の産業政策や株価対策の資金ではない。
本来の目的は、将来の年金給付に必要な運用収益を確保することである。
国内投資という政策目的を優先し、収益性の低い案件へ資金を振り向ければ、年金加入者が損失を負担する。
国内に資金を戻すこと自体が正しいのではない。
資金を投じる価値のある企業、技術、インフラを国内につくれるかが重要である。
良質な投資先がないまま資金だけを流せば、株価や不動産価格を上げるだけで終わる。
国家と企業の関係で最も危険な状態
国家と企業が相互依存すること自体は避けられない。
問題は、その関係から生まれる利益と損失が、どのように分配されるかである。
最も危険なのは、
企業が危機に陥ったときは国家が救済し、損失を国民が負担する。
企業が成長したときは利益が株主と経営者、海外子会社に残る。
という構造である。
損失は社会化され、利益は私有化される。
この状態では、国家が企業を支援しても、国民生活は豊かにならない。
国家が企業を生かし続けるのであれば、その代わりに企業利益を国内社会へ戻す仕組みが必要になる。
賃金、雇用、設備投資、研究開発、税収、人材育成、地域産業、年金、株主還元。
企業を国家戦略へ組み込むなら、企業側にも国内社会への責任を求める必要がある。
では、個人はどうすべきか
国家と企業の関係が変化するなかで、個人も労働者として働くだけでは、構造的に不利になりやすい。
資本所得が国家全体を支える時代に、個人だけが労働所得へ全面的に依存すれば、賃金停滞、物価高、税金、社会保険料の負担を一方的に受けることになる。
だからといって、全員が投機家になればよいわけではない。
必要なのは、国家、企業、市場、地域の複数に接続し、どれか一つへ依存しすぎないことである。
1.労働者であると同時に、資産保有者になる
個人が最初に行うべきことは、労働所得の一部を資産へ変えることである。
株式、投資信託、NISA、iDeCo、企業年金などを通じて、企業利益や世界経済の成長を自分の側へ少しずつ取り込む。
目的は短期間で大金を得ることではない。
資本所得を受け取る側へ、わずかでも立場を移すことである。
株価が上がれば豊かになり、物価が上がれば苦しくなる人と、物価上昇の負担だけを受ける人では、時間の経過とともに差が拡大する。
2.国内だけに依存しない
日本の人口、国内消費、社会保障、財政に不確実性がある以上、個人資産を日本国内だけへ集中させることにもリスクがある。
世界株式、海外債券、外貨資産、海外売上比率の高い日本企業などを組み合わせ、国単位のリスクを分散する。
ただし、生活費まで外貨へ置き換える必要はない。
日常生活に必要な資金は円で確保し、長期資産は世界へ分散する。
生活通貨と投資通貨を分けることが現実的である。
3.企業の外でも通用する技能を持つ
国家も企業も、個人を永久には守らない。
所属する会社や自治体の中だけで通用する技能ではなく、組織を移っても使える能力を持つ必要がある。
情報整理、問題発見、データ分析、設計、営業、交渉、会計、法務、セキュリティ、AI活用、現場運用、顧客理解。
重要なのは、AIに代替されない仕事を探すことではない。
AIを使って、自分の処理能力と価値を高められる人になることである。
4.勤務先や投資先と国家の関係を見る
これから企業を判断するときは、売上や利益だけでなく、その企業が国家とどのように接続しているかを見る必要がある。
政府調達があるか。
重要インフラを持っているか。
安全保障、エネルギー、通信、食料、医療に関係しているか。
規制によって守られているか。
逆に、国際政治や輸出規制で事業を止められる可能性があるか。
国家と企業の相互依存が強まるほど、この接続関係が企業価値を左右する。
ただし、国策企業だから安全というわけでもない。
政策変更、補助金依存、政治介入、非効率経営というリスクもある。
5.制度を信じすぎず、使える制度は使う
国家は年金、税制、医療、教育、住宅、補助金などを通じて、個人の生活へ深く関わる。
制度は利用すべきである。
NISAやiDeCoを使う。
年金記録を確認する。
補助金や控除を調べる。
社会保障制度を理解する。
しかし、制度が将来も同じ条件で続くと信じ切るべきではない。
制度を使うことと、制度へ人生を全面的に預けることは違う。
6.固定費を抑え、選択を断れる余力を持つ
国家や企業への依存を減らすうえで、資産額と同じくらい重要なのが固定費である。
住居費、車、保険、通信費、借入、定額サービス。
毎月必ず支払う費用が大きいほど、会社を辞めることも、仕事を断ることも、住む場所を変えることも難しくなる。
自由とは、単に収入が高いことではない。
嫌な選択肢を拒否できる余力があることである。
7.世界へ分散しながら、地域との接続を持つ
資産や仕事を世界へ分散する一方で、生活基盤まで完全に匿名化する必要はない。
災害、病気、失業、介護などの日常的な危機で実際に支えになるのは、地域、家族、知人、顧客、専門家といった具体的な関係である。
国家は制度を提供する。
企業は雇用や商品を提供する。
市場は資産形成の機会を提供する。
しかし、日常生活の最後の支えになるのは、近くにいる人間であることが多い。
資産は世界へ分散し、生活は地域へ接続する。
この二層構造は、今後さらに重要になる。
国家の下に企業を置ける国と、企業に選ばれる国
これからの世界では、国家が企業に負けるか、企業が国家に負けるかという単純な構図ではない。
企業を国家戦略へ組み込む力を持つ国家。
企業を引き留めるために条件を下げ続ける国家。
巨大企業と交渉できる国家。
巨大企業の撤退を恐れて何も要求できない国家。
その差が拡大する。
トランプ大統領の政治は、少なくとも米国について、国家が企業の下へ入るのではなく、国家の市場、通貨、軍事、規制を使って、企業を国益の下へ置こうとする試みである。
政治手法ややり方には賛否があるとは思うが、実際の意思決定は国家・国民(と自分・自分の仲間たち)のためものであり、真のナショナリスト(エゴイスト)の手法といえる。
それが長期的に成功するかは分からない。
関税や規制が企業コストと物価を上げ、米国自身を弱くする可能性もある。
それでも、国家が多国籍企業に従属する未来しかないわけではないことは示している。
問題は、すべての国家が同じことをできるわけではない点である。
米国だから企業を従わせられる。
米国市場、ドル、軍事力、技術力があるから条件を提示できる。
日本を含む他国が同じ政策を行っても、企業や資本が国外へ逃げるだけかもしれない。
したがって、これから重要になるのは、国家が企業を強制的に従わせることではない。
企業が国内に残り、投資し、利益を還流させる合理的な理由をつくることである。
結論
私はかつて、国家が世界的企業の下に置かれる時代が来ると考えていた。
しかし実際に起きているのは、国家の消滅ではない。
国家と巨大企業が互いに依存し、主導権を争う時代である。
そして、企業を自国戦略へ組み込める国家と、企業から選ばれるだけの国家との差が広がっている。
世界的企業を生かし続けなければ、国家も厳しい。
しかし、企業が成長すれば国民が自動的に豊かになるわけではない。
企業利益を賃金、雇用、設備投資、税収、年金、地域へどう戻すか。
国家の経常黒字を、個人の生活の豊かさへどう接続するか。
そこまで設計できて初めて、企業の成長は国家と社会の成長になる。
