♯321|静 ― 私を作った人たち ―
静かな時間になると、
なぜか思い出す人はいませんか。
昔お世話になった先生。
何気ない言葉をくれた人。
もう会えなくなった人。
私は朝のランニングをしている時や、
ふと一人になる時間に、
そんな人たちのことを思い出す。
キジの鳴き声。
少し冷たい空気。
周りは静かなのに、
頭の中は静かじゃない。
患者さん。
先生。
職場の人。
次から次へと顔が浮かんでくる。
なぜだろうと思った。
私は静かな時間が苦手なのだと思っていた。
でも、そうではなかった。
静かになると、
自分の中に残っている人たちの声が聞こえてくるだけだった。
小学生の頃は先生と手紙のやり取りをしていた。
中学生になると、
たくさんの先生と話をした。
大人の話を聞くのが好きだった。
今でも書や篆刻を通して、
先人たちの人生の話を聞いている。
患者さんともよく話をする。
検査の話だけではない。
趣味の話。
家族の話。
昔の仕事の話。
私は昔から、
人に興味があったのかもしれない。
その人はどんな人生を歩いてきたのだろう。
何を大切にしてきたのだろう。
そんなことを考えてしまう。
癌細胞を見つけてあげられなかった患者さんがいた。
仲の良い患者さんだった。
もっと早く気づけていたら。
もっと力があったら。
その悔しさは今も残っている。
認定技師の資格を取ったのも、
その患者さんとの出会いがあったからだ。
今でもふと思い出すことがある。
そして心の中で問いかける。
私は、
あの頃に目指していた検査技師になれているだろうか。
返事はない。
でも、その問いは今も私を前に進ませてくれる。
死産もそうだった。
頑張ってもどうにもならないことがある。
医療の現場で見てきたはずなのに、
自分のことになると受け入れるまでに時間がかかった。
あの経験があったから、
人の痛みに少し近づけた気がする。
もっと勉強したいと思った。
誰かの力になりたいと思った。
自分の体を大切にしたいと思った。
家族を大切にしたいと思った。
無添加の暮らしも、
息子と向き合う時間も、
その延長線上にある。
あの経験がなければ、
今の私は違っていたかもしれない。
静かな時間になると、
楽しかった人だけではなく、
悔しかった人も、
悲しかった人も、
私を育ててくれた人たちの顔が浮かぶ。
静かな時間は、
誰かを思い出す時間であり、
自分を知る時間なのかもしれない。
あなたが静かな時間に思い出す人は誰ですか。
そして、その人たちは、
今のあなたにどんな影響を与えているのでしょうか。
その答えの中に、
「私はどんな人なんだろう」
のヒントが隠れているのかもしれません。
