自分とは何か。 ~自分って、あるの?ないの?~

こんにちは。紘平です。
今回は、「自分とは何か。〜自分って、あるの?ないの?〜」というテーマで書いてみようと思います。

こちら、現在noteさんで、「読書の秋2025」というキャンペーンを実施しているようで、面白そうだったので、私も専門領域に近い分野ということで書いてみることにしました。

本は、サンクチュアリ出版さんの『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(しんめいPさん 著)なのですが、本の感想と合わせて、私がこれを読んで捉えた世界についてお話をさせて頂きますね。

私がお伝えしたいことは、この本と若干意見が異なる部分もあるのですが、決して著者さんを批判したい訳ではなく、この本の『考察』として書かせて頂こうと思います。

(なんなら、この本の理解を深めるための解説として使って頂けるくらいのものを書きたいと意気込んでます。笑 まあ、実際に使えるかどうかは別の話ですが。笑)

ですので、この記事をきっかけに、こんな捉え方もあるんだなーくらいの感覚で読んで頂けたら幸いです(^^)

この本自体は、『教養としての』というタイトルもついていますし、「自分」についてかなり分かりやすく書いてあると思うので、「ぜひ読んでみて下さい!!」というリスペクトを持っているという前提を踏まえた上で、書かせて頂きます!!

自分とは何か?

これを読んでくださっているあなたは、もし小さい子に「自分って、なあに?」と聞かれたら、何と答えますか?

また、「本当の自分って、何?それって、存在するんですか?」と中高生に聞かれたら、何と解説をするでしょうか?

(あなたの答えも少し考えてみた上で、読んでみて下さい^^)

私自身、元々塾の講師をしていて、子ども達と関わる機会が多かったので、こういう疑問を聞くと、ついそのようなことを考えてしまいます。

そしてそれは、私自身が小さい頃からこういった話に興味を持っていたからでもあります。 
「人は何のために生きるのだろう?」「なぜこの世に生まれてきたのだろう?」といったことをよく考えているような子どもでした。

そして、その答えはなかなか見つからず、それがどこにあるのかということをひたすら探し、探求を続けてきました。

ガンを通して見えたこと

このストーリーは、他の記事に書いてあるので、詳細はそちらを読んで頂けると嬉しいのですが、私は2023年の春にガン(悪性リンパ腫)を患いました。

当時はまだ30代に入ってすぐの頃で、塾講師としての仕事をしていたのですが、会社の健康診断をきっかけに、その病気が発覚したのですね。

私の場合、その過程で「本当の自分とは何か?」ということのヒントを得る機会があり、言うなれば「心身の変容」を経験し、病気の前と後ではまるで別人になったかのような感覚になったのです。

ここで、私には一つの問いが生まれました。

病気の前と後では、同じ「自分」であるのにも関わらず、「治療を終えた後の自分」というのは、「治療前と同じ自分」とは決して思えなかったのです。

じゃあ、"自分"って何なんだ?と。

自分とは"関係性"のことである。

自分って何?という問いに対しては、一つの明確な答えがあります。

それが、「自分=関係性」である、ということです。

この本の中では、「自分=無我」という表現で説明されていますが、ここが難しいところですよね。("無我"という表現自体が難しい。)

これはつまり、自分自身というのは、「固定的な自分」が存在している訳ではなく、"自分"というのは、常に周りとの"関係性"によって生じるものだということです。

これは、「役割」という視点から考えると、もっと分かりやすいかもしれません。

例えば、主婦で、パートをされている、お母さんがいるとします。
このお母さんは、"主婦"であり、"パートの仕事"をしていて、"母"であるという「3つの顔」を持つ訳ですよね。

この時、旦那さんに見せる顔と、仕事先で見せる顔と、子どもに対して見せる顔というのは、全く同じかといえば、きっとそうではないと思うのです。

もしかしたら、それは完全に同じという人もいるかもしれませんが、旦那さんに甘えるのと同じように、仕事先の上司に甘えたりはしませんよね?笑

そういう風にして、私たちは、周りの誰かとの関係性の中で、「出てくる自分が異なる」ことがあり、それはもしかしたらあなた自身も体験されたことがあるかもしれません。

これが「自分=関係性」ということの意味です。

この中で、「どれが本当の自分ですか?」と言われたとしても、「どれも本当の自分」としか言えないのですね。

なぜなら、それらは全て"関係性"によって、その出方が違うだけだからです。だからここには、嘘も本当もなくて、どれも「自分」であるということを知る必要があります。

(これは、本の中では、主に1章の部分で書かれているのではないかなと捉えています。)

自分とか、ないから。の意味

つまり、ここでいう「自分とか、ない」というのは、言い換えれば、「固定的な自分」というものが存在しない、という表現をしても良いのかもしれません。

絶対的な自分、とか、決まった自分とか、そういった固定的な自分が存在するようなものではなく、それは常に「関係性」の中で色々な面が引き出され、そのどれもが、実は「自分である」ということが言えるのですね。

じゃあ、自分って、本当にないのか?

ここが、私自身の一番の疑問だった訳なのですが、ここでもう一歩踏み込んでみたいと思います。

先ほど、関係性によって「見せる顔が異なる」ということの例を挙げました。これは「固定的な自分がない」ことの例として表せます。

じゃあ、人はなぜ「自分らしい」とか「自分らしくない」と感じることがあるのでしょうか?

あなたも、ある人との関係性において、「何か今の自分、自分らしくないな・・・」と感じたことってありませんか?

明確に言語化できる訳ではないんだけれど、どこか違和感がある。何かスッキリしない感じがしてモヤモヤする。でも、それがなぜ起きているのかをはっきり言語化できる訳ではない。

私自身、そういった経験をしたことがあるのですが、ここでは「自分らしさ」がキーワードになってきます。

もし、「自分がない」のであれば、この「自分らしさ」という概念は、どこから生まれてくるのでしょうか?

自分って、本当にないのか?

ここ、すみません。
本のタイトルとは、若干ニュアンスが異なることを言ってしまうのですが、

ただ、非常に大事なことなので、書いておこうと思います。

"自分"ということに関して語るとき、自分というのはおそらく

「ないけど、ある。」
「あるけど、ない。」

なのだと思うのです。

(この部分、「空」の章で若干触れられているのですが、この解説をし出すと長くなるので、ここでは割愛します^^;)

この本を読んだ時、すごく印象に残っている部分がありました。

それは、この本の冒頭部分で「虚無感」というワードが、かなり強調して使われていることでした。

著者のしんめいPさんは、過去色々なことに悩まれてきたのだと思うのですが、ここで私は疑問に思ったのですね。

なぜ、そこまでの"虚無感"に襲われたのか?と。

これ、先ほどお伝えした、「自分らしくない」という表現にも関係するところなのですが、「自分って何なんだ?」と考えている時は、まだ自分が「見つかっていない状態」だとしましょう。

これは、私自身も含め多くの人が辿るプロセスなのだと思うのですが、「自分」というものが見えていない時、人は悩みます。

これは、別に批判とかではなく、私自身もそのプロセスを大いに辿ってきたから言えることでもあり、その経験をしたことがある方は多いのではないでしょうか。

でも、その逆で、私達人間って、本当に楽しいことやワクワクしている時って、すごく"充実感"がありますよね。

特に、好きなことをやっている時であれば、「何時間でもそれが出来る」と感じたり、「こんな時間がずっと続いたら良いな」と思ったり。

でも、この好きなことやワクワクすることというのは、あなたと私であれば、全く別物な訳ですよね。

私の場合は、こういった哲学的な話は好きな方ですが、人によってはほとんど興味がないという意見もあるはずです。(難しく考えすぎじゃね?で終わる人もいるということですねw)

私はシンガーソングライターのあいみょんさんが好きなのですが、最近読んだ雑誌のインタビューで、興味深い内容がありました。

その時、あいみょんさんは、曲作りについて、「曲作りが本当に大好きで、毎日ずっとやっていたいというくらい好きなんです。」といったニュアンスのことを書かれていたんですね。(正確な表現は忘れてしまいましたが・・・)

ただ、私はあいみょんさんの曲が好きだけれども、あいみょんさんのように、「曲作りをしたい」と思うことはありません。

そう考えると、何だかこの辺りに「自分」というものを考えるヒントがあるような気がしませんか?

特に、好きなことややりたいこと、夢中になることというのは、その人の「本質」「特質」ということも出来て、それは他でもない「自分自身」が好きなことであり、ワクワクすることです。

そう考えると、私としては「その人の本質」ともいえる「自分」というのは、あるのではないかと思うのです。

それが、関係性としての自分を生きている中でも、「変わらない本質」として存在しているようなイメージですね。

さらに言えば、これは、あいみょんさんと他のアーティストさんを比較しても言えることですが、アーティストさんには「オリジナリティ」というものがあります。

これもある意味「その人らしさ」ということが出来るのだと思うのですが、「他の誰とも変えが効かないもの」と考えると、「自分」という存在が全く「ない」ということも出来ないのでは?というのが、私が捉えている"自分"なのですね。

ここまでの話をまとめます。

かなり長くなってしまいましたが、ここまでの話をまとめましょう。

今回、最初の段階では、「自分って、ない」というところから始まりました。

しかし、それは、「固定的な自分」というものが存在しないという意味であり、自分というのは周りとの"関係性"の中で生じてくるものだというのが、前半の話ですね。(これは、本の中では「縁起」という表現でも解説されています。)

そして、それと同時に、私たちは日常の中で「自分らしさ」というものを感じたりすることがあり、それは、誰とも代わりが効かないことから「自分って、ある」とも言えるという考え方にもつながるということでした。

それは特に、好きなものやワクワクする対象への違いを見ると分かりやすくて、「その人じゃないと興味を持たないもの」があるのだとしたら、そこに「自分」というものはきっと存在するはずなのです。


そう考えると、やはり自分というのは、
「ないけど、ある。」
「あるけど、ない。」

という、同時にこの二つを含んでいるものなのではないかと思うのです。 

「言葉を捨てる」の意味

ここまでかなり色々と書いてきたのですが、ここまでの内容を踏まえて、あなたはどう思いますか?

本のタイトルとは少し違った内容にはなってしまったものの、この内容というのは、著者さんへのリスペクトを込めた上での内容だと、今一度お伝えさせて頂きます。笑

というのも、それは、途中に出てくる「言葉を捨てる」という表現に集約されるのではないかと思うのです。

私が思うに、この「無我」とか「真我」みたいなことって、言葉だけで表現するには相当無理があるというか、これを文字だけで理解しようと思ったら、かなり難しいことなのではないかなと思います。

これは、もちろんこの本に限らず、全ての解説書において言えることだと思います。おそらく、本に書かれている"悟り"のようなものって、"体感"によってしか、理解することが出来ないんだと思うんです。

例えば、この本の中では「米つぶ1つに、宇宙を感じる」や「この世界は全てフィクション」という表現が出てきます。

では、この解説を見たからといって、米つぶを見た時に、その瞬間宇宙を感じられるようになるでしょうか?笑

あるいは、この世界が本当に「全て自分が作り出しているものだ」ということに気づくことが出来るでしょうか?笑

ここはあえて、こういうストレートな表現をさせてもらいましたが、それが「知識として知っていること」(=頭での理解)と、「体得すること」の違いなのではないかと思うのです。

おそらくこの著者さんは、これまでの人生ストーリーの中で、「自分」ということについて、東洋哲学と絡めで、何かしらその"片鱗"のようなものを体験しているのではないかと思います。

そして、その体験と東洋哲学で学んだことを言語化し、読者が受け取りやすいように、面白く、丁寧に言語化して下さっているのだと思います。

だから、これを理解しようと思ったら、頭での理解ではなく「体得」をする必要があるのだと思うのですが、じゃあ結局どうしたら良いの?ということになりません?

そのことについて、最後に私が思うことを書いて、この記事を締めようと思います。

最後に 〜「本当の自分」を生きるためのヒント〜

この本では、「自分って、ない」ということをテーマにして、話が展開していました。それに対して、自分って「ないけど、ある」「あるけど、ない」ということについて書いてきた訳ですね。

この時実は、「本当の自分」(≒「本来の自分」)を見つけるためには、ヒントがあるんじゃないかと思っているんです。

それはおそらく、というか確実に
「好きなこと」「ワクワクすること」「心が動くこと」
に隠されています。

私たちの「こころ」というのは、固有のセンサーのようなものがあります。

それは、途中であいみょんさんの例を挙げた通り、歌が好きな人もいれば、こうやって哲学的な話が好きな人もいる、といったように、心が動く対象はそれぞれ異なるものです。

ただ、一つ言えるのは、もしあなたが「本当の自分」を生きていたら、きっとその時あなたは、「楽しく、ワクワク、生き生きとした状態」になっているはずなんです。

それが、「本来の自分を生きているかどうか」の基準のようなものだと思って頂いて良いかもしれません。

「何か違うな・・・」って、もし感じることがあるのだとしたら、それはおそらく「調和」した状態からずれているからです。("違和感"とも表現出来る。)

そういう意味では、「自分」というものは、目に見えはしないけれども存在していて、きっと「ないけれど、ある」んです。

だから、自分自身に合わないことをやっていたり、「何か違うな」と感じるというのは、きっと「本来の自分」から少しズレているサインなのかもしれません。

ただ、「本当の自分」を見つける上で、好きなことやワクワクすることは、心のセンサーであること。
これさえ忘れなければ、あなたは「本当の自分」を見失うことはないのだと思います。

そしてそれは、"頭"で考えるものではなく、ハート(=心)で感じるもの。

ハートを開いて、目の前のことにワクワクしていたら、その瞬間、すでにあなたは「自分について」考えることを止め、そこには既に「本当の自分」が存在しているのだと思います。

(完)

かくして、本の感想というよりも、この本の考察になってしまいましたが、こんなにも長い文章を最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます!
(ここまで読んで下さったあなたは、こういう世界に対してかなりコアな興味を持っていらっしゃるのかもしれません。笑)

色々書いたものの、東洋哲学が「楽になるためにある」という部分でいえば、ここで書いた内容も、あなたの心が軽くなるものとして届いていたら嬉しいです。

あなたの幸せにとってのヒントになりますように^^

そして、著者のしんめいPさんにも、感謝。
このように「自分」について考えるきっかけを下さって、ありがとうございました^^

#読書の秋2025 #自分とかないから

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