大河「べらぼう」第38回「地本問屋仲間事之始」 蔦重を原点に戻す人の縁
はじめに
複数の仕事を同時に進めなければならない事態になったことがある人は珍しくないでしょう。流行りの言葉でいうところのマルチタスク。実際は、それぞれの仕事についてオンオフを繰り返すことで、同時に進めているような気分になっているだけ。シングルタスクの応用でしかないと言われます。ただ、それが出来るためには、物事の優先順位が、自分のなかで出来ている必要があります。その優先順位がわからなくなる、あるいは混戦状態になったとき、人はにっちもさっちもいかなくなるのでしょう。
どうしていいかわからなくなったときは、どうするか。さまざまな方法があると思われますが、効果的なものの一つが「初めに戻る」です。最初に戻ると、自分が何故、それをやろうとしていたのか、その目的が改めて明確になります。目的がはっきりすると、どういうプロセスでそれを行えばいいのか、手段とその順番が見えてきます。また、その際、余計な行動をしていれば、そのことに気づくことも出来ます。そして、何よりも、思い込みなど自分を圧迫する負の感情から解放され、精神的に楽になることも、大きいでしょう。
しかし、この「初めに戻る」ということが、人間なかなか出来ません。パソコンの初期化のイメージの如く、それまで積み上げてきたもの、経験値などがすべてリセットされ無になるように思われるからです。特に実績があった人ほど、こだわりが多く、捨てられないものです。しかし、実際は無駄にはなりません。科学系の実験は、そのほとんどが失敗です。しかし、その失敗は無駄ではなく、それがあるからこそ真理を解き明かすことが出来ます。これと同じく、原点に戻ったことで、人はそれまでの経験や業績を別の形で再構成することが出来るのでしょう。ですから、「初めに戻る」行為は、恐れることではないのです。まあ、面倒くさいというのは、ありますけど(笑)
春町の死に囚われ、書をもって世に抗うことに固執し、笑わなくなった蔦重。その様子に心を痛めている方々もいることでしょう。彼もまた、本づくりの原点を見失っているのかもしれません。にもかかわらず、彼を導く年上、あるいは目上の人々は少なくなっています。どうやって、彼は再び自分を取り戻すことが出来るのか。今回は、その点に注意しながら、蔦重が原点回帰するプロセスを見てみましょう。
1.鶴屋喜右衛門の配慮
(1)意固地と柔軟さの狭間で揺れる蔦重
寛政2年正月に出された黄表紙、山東京伝「心学早染艸(しんがくはやぞめぐさ)」は、当時流行りの神儒仏習合による庶民向けの道徳である心学を材に取った教訓ものでした。心学は倹約、正直、勤勉を柱としており、謂わば、定信の政と同調するもの。したがって、「心学早染艸」は定信の政を礼賛するものでした。しかも出来が良い。このことに烈火の如く腹を立てたのは蔦重です。京伝の入り浸る扇屋へ怒鳴り込んだ蔦重は、京伝を詰問し、口答えをする彼を黄表紙で叩きつける始末。とうとう京伝は「俺、もう書かねぇっす…蔦重さんとこでは一切書かねぇっす」と、蔦重へ絶縁宣言をしてしまいます。
第38回は、その直後から。京伝の絶縁状に怒りのあまりかえって冷ややかな表情になった蔦重。「いい度胸だな…日本橋を敵に回して書いていけると思うなよ」と傲然と見下ろし、言い放ちます。当時の版元と戯作者は対等の関係にありません。例えば、二代目西村与八(鱗形屋孫兵衛の次男。「べらぼう」では万次郎と呼ばれていましたね)は、「版元は、絵師や戯作者の才能を宣伝してやっているのだから、こちらから頭を下げる必要はない」と豪語しています。勿論、劇中の蔦重は、本づくりに関わる人々に対して仲間として扱っており、ここまで尊大ではないでしょうが、二代目西村屋与八のような考え方が版元の一般であったでしょう。
ですから、感情的には互いに売り言葉に買い言葉ですが、互いの立場の違い、年齢差からすれば、立場を利用した恫喝、パワハラとみなしてもよいでしょう。またこの発言には、成功した日本橋の大店店主特有の傲慢さも窺えます。勿論、自身が吉原者であることへの卑下や、吉原の弱者の眼差しを忘れているわけではないのですが、日本橋に耕書堂を出店して7年の間の華々しい成功が無自覚に驕りをまとわせているのでしょう。もっとも若い戯作者や絵師を金銭的に援助し育ててきました蔦重からすれば、京伝のしたことは飼い犬に手を嚙まれたようなものですから、感情的にならざるを得なかったのでしょう。
暴言を吐き捨て立ち去った蔦重。その捨て台詞に京伝は、半ば涙ぐみ鼻をひくつかせます。彼が蔦重に叩きつけた絶縁状は、追い詰められた果ての苦し紛れの一手でした。しかも、運の悪いことに、蔦重はまったく知らないことですが、丁度、扇屋宇右衛門から菊園を身請けするよう迫られていたところでした。こちらは自業自得ですが、逃げ道を失っていたところに、折からプレッシャーをかけられていた蔦重の一方的な叱責。たまったものではありません。
苦し紛れに言ってしまったことへの後悔はないわけではありませんが、最早、蔦重のもとで書くのが楽しくないのも本音。ですから、泣きそうになりながらも、蔦重を追うようなことはありません。なるようになればよい…そんなところでしょう。
さて、事の顛末を蔦重から聞いた鶴屋喜右衛門の第一声は「何を勝手なこと言ってくれたんですか」というもの。山東京伝を特に力を入れてプロデュースしてきたのは、喜右衛門と蔦重の二人です。劇中では描かれていませんが、2年ほど前には、蔦重、鶴屋喜右衛門、山東京伝の3人で日光東照宮参詣の旅行するような仲でした。そんな喜右衛門からすれば、蔦重と京伝の喧嘩は意地の張り合いのバカバカしいものに見えたのではないでしょうか。しかも、年かさが上の蔦重が、若い戯作者へ日本橋を代表するかのような恫喝をかけるなど、大人げないったらありゃしない。叱るよりも呆れた口調になってしまうのも仕方ないでしょう。
さすがにその場の勢いで言った暴言は不味いと思ったのか、蔦重も「すいません…けど…もう言っちまったんで…」と神妙ですが、後には引けない気持ちも覗かせます。定信を持ち上げる黄表紙が、ますます言論統制を強める結果へつながるという主張だけは間違いではないと確信しているからです。ですから、京伝とのことは、喜右衛門に預ける他ないと預けたのでしょう。
そして、喜右衛門から借りた「心学早染艸」を返しながら、ふとそれを出した大和田安兵衛なる版元について問います。彼には聞き慣れないものだったようですが、京伝はその前の年から大和田安右衛門なる人物と黄表紙を出しています。安兵衛と安右衛門…どちらも大和田ですから関係はあるでしょうが、同一人物か関係者か、浅学な私はわかりません。ただ、本作では、寛政2年に現れた上方の版元ということにしたのでしょう。
上方出身の版元と喜右衛門から聞いた蔦重は、上方の本屋が江戸の地本問屋が混乱にあるなか、その隙を突いてきたのではないかと警戒を露わにします。「今や江戸のほうが、商いが大きくなりましたから」と、その可能性に同意した喜右衛門ですが、「そりゃあ鶴屋さんとしても面白くねぇですよね。西の出の本屋が江戸で幅を利かせて来るってなぁ…」との言葉には、乗ってきません。「いえ…うちほどの商いに育つには50年はかかると思いますんで(笑)」と余裕綽々で笑ってみせます。京都が本家の仙鶴堂は、1600年代中期には江戸に出店しています。かれこれ100年以上、ブランドを守り続けた老舗ならではの言葉です。
この反応が面白くない蔦重は「けど…政演引っこ抜かれるかも知れないですよ?」としつこく問い質します。そもそも、蔦重は自分よりも面白い本をつくってみせた大和田安兵衛の存在を警戒し、喜右衛門から同意を取り付けたいのですね。そんな蔦重の心中を見抜いている喜右衛門は、一枚上手です。その煽りにも「いえ。そもそも京伝先生は面白ければどこでも書く人ですし」と、まったく動じません。京伝の気質をよくわかっているからこそ、喜右衛門は「江戸生艶気樺焼」の一件で、自らお抱え戯作者の京伝を差し出し、以降も蔦屋で書くことを認めているのです。
自分が鎌をかけてくるのを、ことごとく正論で鮮やかに躱す喜右衛門のすまし顔にようやく、遊ばれていると気づいた蔦重は、「からかってます?」と苦笑いします。「ええ…(笑)」とあっさり認めた喜右衛門は、「実に面白いですねぇ…あの蔦重が、かつての己のような輩を潰そうとするのは…はっはっはっ」と愉快そうに破顔します。この揶揄にむっとした蔦重は「…だったら、俺にしたのと同じようにしてくだせぇよ。俺のこと、あんなに追い出そうとしてたじゃねぇですか?」と何故、此度は、そこまでしないのかと不満そうに切り返します。その表情は半ば以上本気で、喜右衛門がからかった理由がピンと来ない様子です。この辺りの意固地ゆえの余裕の無さが、常の蔦重ではないのですね。
喜右衛門は、突っかかる蔦重に「おや、懐かしい」とすっとぼけて躱します。あくまでからかってくる喜右衛門に、さすがの蔦重も「いやいや、懐かしいじゃねぇですよ(苦笑)」と苦笑いするしかありません。ようやく苦笑いとはいえ、多少の笑顔を見せた蔦重を見た喜右衛門。今度は「ま、何か手立てを考えてみますよ」と宥めます。
喜右衛門が何故、安易に上方の地本問屋を締め出さないのか。それは、蔦重の存在を認めているからです。そもそも、鶴屋喜右衛門は、地本問屋たちの間でも、通油町においても実質的なリーダーを務めています。常に全体に目を配り、そこを守ることに腐心してきました。また、先にも述べたとおり鶴屋仙鶴堂は老舗です。世情には敏感な反面、ブランドを守ることも彼の経営においては重要です。つまり、彼は立場上、保守的であることが求められています。その着実にして堅実な手腕で、日本橋を、地本問屋たちをリードしてきました。
そこへ新風をもたらしたのが蔦重です。異質な彼の存在は、保守的な組織維持で成果をあげてきました。彼の目利きと経営手腕は認めつつも、その破天荒さはいずれ自分の守るものを壊すと警戒してきました。何故なら、それがなくとも、喜右衛門の力のみで鶴屋は盤石だからです。しかし、皆を巻き込み、盛り上げていく蔦重のやり方に自身も引き込まれ、自分にはない蔦重の人柄に触れ、彼のような新しいものを引き受けることで、より発展的に地本問屋業界を、日本橋を守ることが出来ると踏んだのです。それは、蔦重を受け入れるときの「「江戸一の利者…いや、江戸一のお祭り男はきっとこの町を一層盛り上げてくれよう」(第25回)という口上が象徴しています。
新しい価値を、新しい存在を受け入れることの意味を、蔦重から学んだ鶴屋喜右衛門。今の彼ならば、安易に新興勢力を削ぐことは望みません。彼もまたリーダーとして、さらに一皮むけているのです。そういう喜右衛門なれば、蔦重に求めるのは、古いやり方や今までに固執するのではなく、新しいものを敏感に感じ取り、それを取り入れる貪欲さと柔軟さです。
ですから、「実に面白いですねぇ…あの蔦重が、かつての己のような輩を潰そうとするのは…」との揶揄は、「蔦屋さん、貴方、そんな人ではないでしょ?」といなし、諭す意味合いがあったのだと思われます。喜右衛門は、蔦重のあり方を危なっかしく思いつつも、大いに期待してもいるのですね。
さて、その蔦重。京伝との拗れた仲も憂鬱の種ですが、ようやく絵師として花開いた歌麿のことも心配でした。というのも、歌麿の伴侶きよが、瘡毒(梅毒)に罹患、容体が思わしくないからです。彼女の病状は、そのまま歌麿の精神状態を摩耗させていくことは目に見えています。そのことは既に歌麿に依頼する予定だった富本本の表紙も頼めそうになく、既に仕事に支障も出始めていました。
その最中、北尾重政が弟子の政美を連れて謝罪に訪れました。というのも、京伝の「心学早染艸」の挿絵を描いたのが政美だったためです。前回note記事で触れたように、京伝が「心学早染艸」を書いたのは戯作者としての性と葛藤、蔦重への反発、世情への打算など、確信犯的なものです。しかし、政美のほうは恐らくは同門の京伝に誘われ、気軽に受けたのだと思われます。蔦重と京伝の決裂を聞いた重政が、政美に仁義を切らせに来たというわけです。
「世話焼きは俺の性分だからよ」(第21回)とは重政自身の弁ですが、つくづく弟子や若い絵師たちの面倒見のいい男です。ですから、「政演に政美がやらかしまってよぉ」と渋い顔は一応するのですが、「先生んとこの弟子は悪びれねぇのばっか」と蔦重に突っ込まれると「どうものびのびしちまってねぇ(笑)」と、軽口で何となく庇ってしまいます。
普段ならば、苦笑しながらも謝罪を受け入れる蔦重です。しかし。此度の京伝との仲違いは、黄表紙の危急存亡の秋、春町の死があるためどうにも譲れず、許す気持ちにもなれません。そこに歌麿の妻女の病という悩ましい問題が加わっています。鬱々としている蔦重は、重政の軽口に「師匠に似るんですかね」と棘のある言葉を淡々と返してしまいます。思わず、「手厳しいね、今日は」と返す重政のほうがやや驚きながらも大人の対応です。勿論、蔦重も重政を本気で責める気はあります。その代わりに、と富本本の表紙を頼める若い絵師を紹介してほしいと頼みます。看病でそれどころではない歌麿の代役です。
その依頼に政美が思いついたのは、勝川春朗。名が出た途端、重政をして「あいつなぁ…うひゃひゃ」と笑ってしまう存在のよう。重政曰く「唐絵や蘭画にも手を出したり、揉め事ばっかり起こしてんだけど…何っすか、先の読めねぇ奴」とのこと、「重政先生に読めねぇって言わせるのはいいですねぇ」と蔦重も興味津々になります。多くの弟子を育ててきた重政は、大体はその画風の先が見定められます。その彼が、先が読めないとその可能性に期待と寄せたのは、歌麿だけです(第21回)。
つまり、その春朗なる男は、歌麿同様、可能性と伸びしろの塊のような才能のようです。こうして新しい才能に興味津々になるところを見ると、蔦重の版元としての嗅覚は鈍ったわけでもなさそうです。春町の死と政への危機感が、彼を焦らせているのだと思われます。
因みにこの勝川春朗こそが、若き日の葛飾北斎です。北斎は、春章の「春」と別号「旭朗井」から「朗」の字をもらい、春朗を名乗りました。師匠から二つも字を賜る…このことだけを見ても、春章が北斎を気に入ったであろうことが想像されます。重政の弁にもあるように、勝川派以外の画風も貪欲に学んだこの時期の北斎は、仕事についても役者絵を中心に、美人画、子供絵、武者絵、浮絵、そして黄表紙の挿絵と精力的だったと言われます。後の北斎の基礎は、この時期に磨かれたのです。
蔦重が興味を示したことで、富本本の表紙は、春朗で内定。重政は「春章先生も喜ぶと思うぜ、蔦重の富本本は縁起がいいから」と笑います。意外な言葉に驚く蔦重に「あれやると売れるじゃない?政演も歌も…みーんな、そっからだろ?」と重政。蔦重自身が狙ったわけではありませんが、富本本の表紙の仕事は、新人絵師の名が人に知れ、また腕試しになっているようです。つまり重政や春章など弟子を抱える二人が、蔦重との縁を大切にしているのは、蔦重の「そう来たか!」の企画が面白いということもありますが、それと同時に弟子を売り出す登竜門コンテンツを蔦重が持っていることも大きいのですね。同時にそれは蔦重もお抱え絵師を増やすきっかけになります。持ちつ持たれつの太いパイプが、蔦重と絵師たちにある。このことが、第38回の後半に生きてきます。
とはいえ、ここでは春章が殊更、春朗に仕事を回せるのを喜ぶのは、「ここんとこ仕事が減って弟子に回せるもんが欲しいとも零してたし」という事情もあります。春章は、似顔絵風の役者絵の先達で、勝川派と言えば、やはり役者絵でした(既に晩年にある春章自身は肉筆画に専念していましたが)。しかし、天明の大飢饉の上に寛政の改革による奢侈禁止、質素倹約による不景気は、歌舞伎の興行を許されていた江戸三座(森田座、中村座、市村座)を深刻な経営難に陥らせます。丁度、第38回の時代、1790年は森田座が経営破綻で休座した年です。となれば、役者絵の仕事は、自然と減り、絵師たちも死活問題となっているわけです。重政の言葉に蔦重が「芝居町もそりゃそうか…」と深刻な顔をして受け止めたのは、こうした事情を踏まえたものです。
勝川派の不況は、少なくなった画業の仕事というパイの取り合い。北尾一派も他人事ではありません。陽気な重政も「どうなっちまうのかねぇ…これから…」と暗くなります。蔦重もまた沈み込んだ表情で、「心学早染艸」をめくり、利太郎を引っ張る悪玉に視線を落とします。一体、本当の悪玉は誰なのか…人々の楽しみを奪い不景気を生み出すふんどし守の政こそ悪玉ではないのか。ますます蔦重は、書をもって悪政に抗うことに固執していくことが仄めかされていますね。それは、京伝との和解が遠いということも意味しています。
(2)蔦重のしくじりを指摘する京伝
奉行所の町方への監視の目も日に日に厳しくなるある日、鶴屋喜右衛門が蔦重を呼び出します。喧嘩別れした蔦重と京伝の仲を取り持とうと一肌脱いでくれたのです。江戸一の利き者の版元と随一の流行作家が疎遠になることは、地本問屋業界全体にとっても好ましくはなく、喜右衛門個人としても仲良くやってきた二人のことが気掛かりだったのでしょう。とはいえ、この一件は、蔦重の恫喝めいた言動が、京伝を追い詰めたことがきっかけ。喜右衛門は、別室で控える蔦重へ「くれぐれも短気は起こさないでくださいよ」と釘を刺すことを忘れません。
やがて、「鶴屋さんどうも~…へへへ」と何も知らず、相変わらずの調子でやってきた京伝ですが、奥から蔦重が現れたのを見るや、反射的に逃げ出します。折から蔦重からかけられてきた重圧と過日の扇屋での恫喝が、京伝の心に今もダメージを与えていることが窺えます。因みに、この場面の後半出てくる出版統制の町触れが1790年5月のものと思われますから、正月早々の扇屋での一件から既に半年弱経っています。にもかかわらず、この逃げ腰ですから、トラウマのようになっていて気の毒と言えば、気の毒です。
「まあまあまあまあ、京伝先生」と宥めた喜右衛門は、「座ってくださいよ。今日は蔦屋さんも怒らないって言ってますんで」と、顔を立てるよう積極的に仲に入ってくれます。喜右衛門の配慮に蔦重も神妙な態度で静かに丁寧に座ります。こうなっては、安易に逃げ出すわけにもいかず、かと言って蔦重に対してはバツも悪いし、恐い。蔦重に顔向けないよう横向いて座るのが精一杯です。
世話になってきた版元二人に対する態度ではありませんが、喜右衛門はそこを指摘するような野暮はせず、「この度は、ご婚礼おめでとうございます、京伝先生。これは私と蔦屋さんからです」とまずは別件とそのお祝いです。
通説では一途な愛を実らせ、京伝の両親を説得するため扇屋宇右衛門が一芝居打ったとされますが、本作では、菊園改めお菊との婚礼は、九郎助稲荷のナレーション曰く「散々遊ばせてやったのだから一人くらいは…と扇屋さんに年貢を納めさせられた」とのこと。嬉しそうに京伝を見るお菊とは対照的に、引導を渡された京伝は今にも逃げ出したい様子で落ち着かず、彼女を横目でチラチラ見、最後には諦めたように愛想笑いをしてしまいました。
無論、月の半分も彼女のもとへ入り浸るくらいですから、お菊が嫌いなのではありません。ただ、所帯を持つことで、お菊の生活に責任を持たなければならなくなることを恐れているのでしょう。それは、これまでの気ままな人生の終焉のように京伝には思われます。それは、身請け…即ち、他人の人生を引き受けることは生半のことではないという自覚があるということです。つまり、婚姻に逃げ腰な京伝の態度は、皮肉にも責任感の裏返しと思われます。京伝は、戯作執筆については春町と同じスタイルでとことんこだわり抜くタイプ。こちらの面でも実は生真面目です。一事が万事というわけです。
「ありがとうごぜぇます」と苦笑いで返す京伝は、婚姻について面倒なことになってしまったという本音が隠し切れません。もっとも彼のこういう心中をお見通しの喜右衛門は「どうですか、所帯を持つと何かと入り用でしょう」と同情するかのように話を振ります。思わず、ため息が漏れた京伝は「家賃に米、酒…へへ…着物に調度、色々かかるもんですねぇ…(苦笑)」と苦笑いしながらも、喜右衛門の期待通りに答えてしまいます。予想通りの流れに、満足そうに微笑む鶴屋喜右衛門、「でしょう。で、私と蔦屋さんで相談したんです。これからは先生に年30両、決まってお渡ししようと」と本題を切り出します。
つまり、喜右衛門は、金銭による懐柔策をもって、そのついでに蔦重と京伝の仲裁をしてしまおうとしたのです。実際、寛政以降、京伝はそのほとんどを耕書堂と仙鶴堂で書いています。こうした抱え込みがあったと考えるのは妥当でしょう。この場合は、京伝は足元を見られた形なのですが、「年30両?!」とその破格の契約条件には身を乗り出してしまいます。喜右衛門は心得たもので「ええ、作料とは別に」と付け加えることを忘れません。となれば、40~50両(520~650万円)くらいの収入です。思わず、喜色満面になります。
ただ、「まあ、私たちの仕事をいの一番にやっていただくことになりますが…」との条件となると、その額でも京伝は引き気味になります。未だあの一件は彼のなかで尾を引いているようです。「あの…それ、鶴屋さんだけって話には出来ねぇですかね」と卑屈な愛想笑いまでされると、さすがの蔦重も黙っていられず、「この間のことなら悪かったよ(怒)」とぶっきらぼうな物言いで返してしまいます。喜右衛門に「怒らないで」と窘められますが、返す「謝ってるだけじゃねぇですか」という語調と顔が、まったくもって怒りそのもの。隠せてもいません(苦笑)
これ以上言っても、、ムキになるだけですので、喜右衛門は、プイっと横を向いたままの京伝のほうへ「京伝先生もそこまで嫌がることないんじゃないですか」と、和解を促します。
ややあって、京伝は、ばつが悪そうに、ちらちら蔦重を見ながら「俺ぇ…モテてぇから絵やら戯作を始めたんですよぉ。ありがてぇことに向いてて、向いてることすんのは楽しくて…へへ…面白ぇ人たちに囲まれて…へへ…何よりモテ(笑)どこ行ってもモテて…へへ…あ~、ほんと…楽しかったぁ(笑)」と遠い目をして、仰ぎ見ます。かつて、蔦重のもとへ売り込みに来たとき、彼は「払いは吉原でいいんで」とうそぶき、「絵なんてモテるため書くもんでしょ?」(第15回)と喜三二に豪語していたものです。
また、色男で話し上手なこの男は、吉原でもすこぶる人気でした。ですから、この言葉に嘘はないでしょう。ただ、「あ~、ほんと…楽しかったぁ(笑)」と過去形になっていますね(苦笑)お菊と所帯を持ったことが、そんなに残念か…しょうもない奴ですね。
そこまで言ったところで、真顔で蔦重の顔色を窺う京伝ですが、蔦重はニコリともせず、目を京伝に据えています。気圧されて、目を剃らしまう京伝ですが、これ以上、プレッシャーを掛けられてはたまらないと意を決して、向き直ると「蔦重さんの言うこともわかんですよ。春町先生のことだって大好きだったし!」と切り出します。そして、声を震わせながら「けど…正直なとこ、世に抗うとか、柄じゃねぇってか。俺ゃあ、ずっとフラフラ生きていてぇんですよ、浮き雲みてぇに」と、場を誤魔化すように笑います。誰だって気楽に生きていたい、そういうもんじゃないですか…京伝は、一般人はそういうものだと言いたいのでしょう。
しかし、世が、不景気の上に自由な気風も許されなくなりつつあるなかで、太平楽を決め込もうとする京伝の態度は、蔦重には駄々っ子の我儘にしか見えません。喜右衛門に怒らないよう忠告された手前、蔦重にしては抑制的に「あのよ…遊ぶな、働け、戯けるなってなかで…どうやったら浮き雲みたいに生きてくっつうんだよ…」と詰問します。京伝の心持ちに対して、理屈で押し通してくる蔦重、嫌だ嫌だと苦虫を噛み潰すような表情で「…俺一人…雲一個くらいなんとかなるんじゃねぇですかね(苦笑)」と減らず口を叩きます。なんでわかってくんないかな、この人…という苛立ちすら匂わせています。蔦重のことを鬱陶しがっているのです。
あまりに手前勝手な物言いに堪忍袋の緒がブチ切れた蔦重は「てめぇだけよきゃそんでいいのかよ(怒!」といきり立ちます。喜右衛門が宥めようとしますが、最早、止まりません。ああ言えばこう言う京伝の軽口に怒り心頭の蔦重は「おめえがそんな生き方出来たのは、先にその道を生きてきた奴がいるから、周りが許してくれてたからだろうが!!」と声を荒げ、その甘えを許しません。今はそういう場合じゃないとの危機感が強いからです。
蔦重の言い分ももっともと思うのか、喜右衛門は怒りを露わにする蔦重を沈鬱な表情で見守ります。同じく版元である喜右衛門は、今の時世の閉塞感については、対処法は別として、危機意識については近いところがあるでしょう。加えて、生真面目な喜右衛門は、京伝の遊び人気質は戯作者の個性としては尊重するものの共感するところは薄いと思われます。
しかし、喜右衛門が仲裁に入ってくれない京伝はたまったものではなく、迫ってくる蔦重に今にも逃げ出しそうな勢いで横を向きます。その肩をがっしりとつかんだ蔦重は、高飛車に「な…今度こそ、てめぇが踏ん張る番じゃねぇのか!」と、自分の願望を押しつけようとします。志の高さ、夢の大きさは蔦重の魅力ですが、それは他人の気持ちを慮り、その上で共に夢を見ようとするときはよいですが、その配慮を欠いたとき、あるいは思いが強すぎるとき、それは押しつけがましいものにしかなりません。
歌麿を当代一の絵師にするとの蔦重の夢が、逆に歌麿を追い詰め、闇落ちしてしまったことがよい例でしょう(第30回)。もしも、あのとき鳥山石燕が、現れていなかったら…歌麿はとうに壊れていたでしょう。闇落ちに気づいたつよが何とかした可能性はありますが。
今、京伝の気持ちは、蔦重と真逆を向いています。にもかかわらず、蔦重は、春町が志半ばに散った書をもって抗うことを強要してきます。個人的な戯れで戯作と絵を描いてきた京伝にとって、それは命をかけろというに等しい。逃げ腰は、当然です。それをふざけたようにしか言えず、蔦重との間にディスコミュニケーションが起きたことは、京伝にも問題がありますが。ですから、「おめえがそんな生き方出来たのは、先にその道を生きてきた奴がいるから、周りが許してくれてたからだろう」という真っ当な理屈も、ただただ京伝を追い詰めるばかり。
恩義から強くは言えなかった京伝ですが、遂に彼も堪忍袋の緒が切れます。「しくじったのは蔦重さんじゃねぇですか!」と、蔦重にもっとも刺さる強烈な一撃をお見舞いしてしまいます。それは、過剰防衛のなせる業なのですが、蔦重の虚を突くには十分でした。その一言こそは、蔦重自身が心に秘め続けた、自分が春町を死なせてしまったという慚愧と罪の意識を刺激します。一瞬、呆気に取られた後、呆然としてしまいます。
そんな蔦重へ、さらに「これ以上、俺に乗っけねぇでくだせぇよ!」と痛恨の一撃をかます京伝。これも蔦重は堪えたようで、返す言葉もなく唇を噛みます。蔦重とて、自分に才あらば、軟弱な京伝の尻を叩かず、自分でバンバン書きもしたでしょう。しかし、自ら書き上げた「本樹真猿浮気噺(もときにまさるうわきばなし)」の売れ行きを見れば、己の才がないのは明白です。一方、面白くなるとも思えなかった吉原の指南書として企画された洒落本「傾城買四十八手」を、京伝は、抜群の面白さで仕上げてきました。蔦重は、思わず「これが才って奴か…」と絶句、驚嘆してしまいます。蔦重は、ますます、今の世を変えられるのは、京伝しかないと思い込んだと察せられます。
自分の独り善がりの志、自分では書けない忸怩たる思い、春町を死なせたことへの慚愧と罪滅ぼしの意識…京伝の苦し紛れの罵倒によって、蔦重は我に返ったように愕然としてしまいます。お互いの感情をぶつけ合い、引くに引けないという最悪の事態になってしまったことを受けた喜右衛門、苦々しい思いを隠さず、畳をバンと叩き「はい、今日はここまで…」と仕切ります。二人の拗れ方の根深さに暗澹たる思いもあるでしょう。
そこへ手代たち二人が、奉行所からの呼び出しだと飛び込んできます。それは地本問屋への町触れです。定信が幕閣に対して話して曰く「黄表紙、浮世絵などそもそも贅沢品。良からぬ考えを刷り込み、風紀を乱す元凶である。ならば、初めからそんなものは出さねばよいのだ」とのこと。今後、新しい戯作と絵を出すなという後の世で言う出版統制令がくだされたのでした。その骨子は、享保期の大岡忠相の出した法令を厳格化したものですが、そこには暗に蔦重が出した絶版3作品が、この統制令のきっかけだと仄めかされていました。
丁度、京伝によって、自らの罪の意識と向き合う羽目になった蔦重は、追い討ちをかけられるように今度は、出版業界全体から、絶版黄表紙を出した罪を問われることになってしまいました。喜右衛門の「さて、どうしますかね…」との言葉に先行きの不透明さが窺えますね。
2.出版業界の一致団結へ
(1)人の縁こそが蔦重の原点
新しい本や絵を出してはならぬという町触れは、暗に絶版になった蔦屋耕書堂の黄表紙3冊がきっかけであるような書きぶりでした。「しくじったのは蔦重さん」という京伝の的を射た指摘が、町触れにより裏打ちされた形になりました。また江戸の黄表紙関係者たちに、蔦重が此度の締め付けの元凶であると一気に広まることになったのは、手痛いところです。見せしめにされたばかりか、締め付けの恨みが蔦重に向くことは避けられません。
おそらく頭の回転の早い定信は、そこまで見越して町触れを出したのでしょう。蔦重を人身御供にすれば、怒りは締め付けをする公儀にではなく、蔦重に向くことになると。それは、春町の自死について分も弁えず定信に意見して来た本屋風情への意趣返しもあったかもしれません。万が一、内輪揉めで地本問屋業界ごと傾くとしても、所詮は風紀を乱し、人心を惑わす本屋たちが無くなるだけのことです。それはそれで構わないというのが彼の腹づもりと思われます。
京伝の「心学早染艸」に触発された若者が、悪玉提灯を片手に市中で狼藉を働く者が増えた件も、自身の政による不況の煽りであるにも関わらず、「田沼病に冒されたものがあぶれ出されてきたということ」と狙い通りと豪語する。自信満々の定信が思い描く世界とは、ある意味シンプルです。自分の目指す正しき世に添う者か、添わない者かだけしかいません。白黒が明白です。勿論、炙り出された者たちを更正させる人足寄場という救済措置を講じたこと自体は画期的です。ただ、定信が「真人間、真人間」と繰り返したように、それは自立支援の側面よりも、定信の正しき世の構成員へ矯正、洗脳する強制収容所の面が強調されています。
定信の真意がどこにあるにせよ、事態を切り抜けるには、蔦重が皆の前で弁明することは避けられません。信用の問題もありますが、蔦重自身も主張の正しさ以前に、まずは「書をもって抗う」と息巻いた結果、業界全体を危機に陥れたという事実と向き合う必要があったということでしょうか。
蔦重は、絶版3品が極めて危うい戯作であることを認識していました(ていには強く諌められました)。それを承知の上で、売れたら世が変わるという希望的観測で強行したのです。となれば、春町の死は想定外でも、出版統制という最悪の事態は想定内。予測し得たことを無視したと言われても仕方中橋でしょう。
鶴屋喜右衛門は、この緊急事態に戯作や錦絵など出版に関わる一同を集めることにします。この招集自体、蔦重の申し出もあったでしょうし、蔦重の責任を追及しようと言うのではありません。寧ろ、喜右衛門は、蔦重に弁明の機会を与えようと配慮したのでしょう。そもそも、この危機は立場を越えて一致団結が必要な案件です。勿論、蔦重にも協力してもらわねばなりません。そのための通過儀礼として、こうした場が必要になると判断したのではないでしょうか。万が一、蔦重が周りの糾弾に屈し排除されるなら、そこまでの人物だったということです。温情とドライさ、そのバランスがあってこそ、地本問屋のリーダーが務まるのでしょう。
本屋、版木屋、絵師、狂歌師、戯作者…錚々たる面々が集まり、そのねめつけるような視線は、蔦重へ集中しています。その責める視線が耐え難い蔦重は、居心地の悪い緊張感と不安が隠せません。しかし、これが此度の件における罪なのかもしれません。本づくりは多くの人間が関わっています。企画、製作において、彼らへ仕事を差配し、取りまとめるのが、版元の役割の一つです。そして出来上がった本を地本問屋仲間が売り広めるというシステムです。
それは裏を返せば、版元は彼らの生活を預かっているということです。最悪の事態を想定し得なかったということは、彼らの命を預かるという現実を、彼らの顔が見えていなかったということを意味するでしょう。蔦重に見えていたのは、「書をもって抗う」ことを告げ、企画や読み合わせをした戯作者と絵師までだったのではないでしょうか。使命感から耕書堂という店すら見ていない節が見られたことは、ていの度々の苦言からも察せられます。
ですから、こうした針の筵に置かれて、蔦重は、ようやく自分の失敗が何なのかを自覚したかもしれません。それは、春町を死なせたことではありません。春町の死は、彼を生き延びさせようと皆で最善の努力をしたけれども間に合わなかったという結果論です。しかし多くの業界の人々の命運を視野に入れず、我意を通して突っ走り、その生活を脅かしたこととは慢心でしょう。吉原時代、戯作者、絵師、狂歌師、彫師、摺師、細見改など世話になった人々を一同に集めて、感謝の忘年会を開いていた蔦重です。この見過ごしは痛恨です。
本屋は、多くの人々に支えられ、それゆえにその一挙手一投足が、支えてくれる仕事仲間たちの命運を変えてしまう。「旦那さまは所詮、市井の一本屋に過ぎません!」(第37回)とは、女将ていの分を弁えろとの諫言です。彼女の言葉は、市井の一本屋は、その時点で身に余るほど守るべき人も仕事もあるのだということを逆説的に蔦重に伝えたものでもあったのでしょう。
会合が始まり開口一番、蔦重は「此度の触れは間違いなく私のしくじりがきっかけ。まことに申し訳ございませんでした」と深々と謝罪します。 松村屋弥兵衛が「どうすんだよ、これ、新しい本や絵は作っちゃならねぇって!」とお触れの冊子を叩きつけたことをきっかけに、堰を切ったように蔦重を責める声が溢れます。
蔦重には馴染みの彫師の四五六すら「これからは摺り直ししか作っちゃならねぇってことかい?これからどうやって食ってけって言うんだい」と怒り心頭です。四五六は、往来物の版木について枚年20両の使用料を貰うという、所謂、サブスク契約を蔦重と交わしています。つまり彼は蔦重から生きていくのに十分な安定収入を得ているはずです。
それでも、このような言葉が出るのは、あれから10年近く経ち、四五六もその20両を元手に仕事を手広くし、弟子も抱えるようになったのでしょう。折からの物価高に加え、養い手が増えたとすれば20両も十分では無くなるでしょう。
こうした抗議一つ一つに対して、ひたらすらに平謝りを続ける蔦重ですが、怒号は止みません。つまるところ、西村屋与八が「謝られたって困るんだよ。どう落とし前つけてくれるって言うんだい!」と言う通り、謝罪しても先行きの見通しが立たない問題は解決しない、そのことです。
蔦重を責める声が飛び交うなか、京伝は責めに耐える蔦重を恐る恐る見やります。仲違いしてはいますし、京伝から見てこの事態は、蔦重の自業自得。巻き込まれなくてよかったという安堵の反面、世話になった恩義もある蔦重が苦境にあるのを見るのは気分がよいものではないのでしょう。
皆の不満がある程度、出たところを見計らった鶴屋喜右衛門が「お静かに」と一同を穏やかに鎮めると「何か手は考えてるんですか?蔦屋さん」と蔦重に改めて意見を求めます。この男はただでは終わらない…喜右衛門が蔦重に弁明の機会を与えた理由の一つは、彼なれば打開策を思いつくかもしれないとわずかに期待したからでしょう。
案の定、自信ありげに「へい」と答えた蔦重は「ここは一つ、お上に触れを変えさせようと考えております」と突拍子もないことを言い出します。公儀が、自身の言い出したことを変えることは、極めて異例です。行政、司法にかかわる権力者とは、今も昔もなかなか自分の間違いを認めないものです。2025年現在ならば、冤罪が確定してなお、妄言を言い放つ司法トップの見苦しい発言も記憶に新しいことでしょう。
まして、あの堅物の四角四面、文武両道に優れるがゆえに他人の意見には耳を貸さず独断専行、何事も自分の手で行いたがるほど人を信用せず、プライドは人一倍高く、ああ言えばこう言う口減らずでもある…あの松平ふんどし守定信が、意見を変えることなど、あり得ないと視聴者すら思うところでしょう。
意外なことを自信満々に言う蔦重に「はあ?触れを?変えさせる?」と村田屋治郎兵衛は、すぐには理解が追いつきません。鱗形屋孫兵衛も「お上にやっぱり新しくつくってもいいぜって言わせるってことか?」と、発言の意図を確認するほどです。孫兵衛の問いで蔦重の打開策を無謀と感じた西村屋与八は「出来るわけねぇだろ、べらぼうが!」と、ますます怒り出す。松村屋弥兵衛が「そりゃいくらなんでも無理だろ!」と呆れると、隣の奥村屋源六「無理無理」と手を振ります。主だった地本問屋たちは、割り台詞のような形で揃って猛反発します(孫兵衛は内心違うと思われますが)。
ただでさえ、お上を怒らせて、この事態だというのに、ますます刺激するようなことを言い出すのですから、蔦重に反省なしと見て腹を立てるのも無理はないでしょう。戯作者、絵師、狂歌師たちも「そんなことが出来るんですかねぇ」と半信半疑です。
パンパンと柏手と「お静かに」の一言で、再び紛糾しかけた座を一旦鎮めたのは、鶴屋の一声。頭を冷やしたところで、蔦重は「皆さま、今一度触れを見ていただけますか?」と町触れの中身を確認させ、「新規の仕立ては無用。けど、どうしても作りたい場合は指図を受けろってあんでしょ?」とある個所に注目させます。何事も例外はある、起きるものです。それを想定したらしい町触れでは、新しく本をつくることを全面禁止にしたものの、例外項目が儲けられていたのでした。
これを特例と解釈するか、抜け道と解釈するかです。蔦重は当然、後者。「だったら、江戸中の地本問屋が指図を受けに行きゃあどうかと。山のように草稿抱えて。んなのたまんねぇでしょ。根上げて指図は受けずともいいってなんねぇかって」と、蔦重が法の網の目をくぐる提案したのは、江戸中の地本問屋による草稿物量作戦でした。
いかにも有効そうな策に「けど、それじゃ指図もクソもなく、一切出すなってことにはなんねぇのかい?」と真っ先に問題点を指摘したのは、鱗形屋孫兵衛です。偽板騒動で入牢の憂き目にもなっている彼は、武家というものが信用のならない、融通の利かない連中であることをよく知っています。
面倒くさいとなれば、そもそも草稿を握り潰し、今後一切出すことならずとなる可能性もあります。そうなれば、せっかくの例外項目すら断たれ、今度こそ地本問屋を始め、出版業界は冷え切ってしまいます。蔦重の打開策は、危ない橋…いや綱を渡るような面があるのです。松村屋と奥村屋が「そうだよ」「そうなるよ」と口々に言うのもさもありなん。
これには蔦重も「まあ…上手く話を持っていかなきゃなんねぇですが」と、まだ思案中であることを白状しますが、その言葉を遮って、「その前に持ってくもんはどうすんだよ、山のような草稿ってどこにあるって言うんだ?」と、もう一つの根本的問題を指摘したのは、西村屋与八です。何度か蔦重に煮え湯を飲まされている彼は、自分がかつて蔦重を罠に嵌めたことも棚に上げて、隙あらば意趣返しをしようと思っている胡乱な人物です。すっかり日本橋の大店になったとはいえ、蔦重を安易に信用する人ではありません。
しかし、蔦重は「それは皆さまに急ぎつくっていただくとか…」とあっさり。これには、地本問屋たち一同、全員呆れて、またまた紛糾し始めます。この成り行きを、冗談じゃないとそっぽを向くのは京伝です。蔦重に無茶ぶりをされ、圧迫を受けてきた彼からすれば、蔦重の強引かつ無茶な策に皆が答えないのは当然に見えるでしょう。それ以上に、この草稿づくりに自分が巻き込まれちゃ溜まったもんではないという思いが強くあるでしょう。もし本決まりになれば、鶴屋のもとでも、書かされますから。
すると、「その山のような草稿って一体いつまでに必要なんだ?」との声が上がります。この質問は、時間さえあれば…という前向きなものだったかもしれません。しかし、時が惜しい蔦重は「出来ればひと月で」と無茶を承知で、依頼します。これまた地本問屋たちは「ひと月?!」「ひと月で出来るわけねぇだろ、べらぼうが!」「そんな早く書ける奴いるわけねぇだろ!」と口々に蔦重の無謀を罵ります。
この蔦重と地本問屋たちのやり取りは、双方の問題点が炙り出されていますね。蔦重は、大胆かつ意外な策を思いつく点が長所ですが、独断専行で向こう見ずなです。それゆえに巻き込まれた人が、失敗したときに多大な損害を被る可能性があります。
一方、この場にいる地本問屋たちは、鶴屋、西村屋は言うに及ばず、村田屋、松村屋、奥村屋も揃ってヒット作を出す有能な地本問屋です(本作ではガヤみたいになっていますが)。彼らの商売は経験に裏打ちされ、手堅く、慎重です。ただ堅実ゆえに冒険をあまりしないため、奇抜な発想には長けていません。
今も、蔦重の打開策のマイナス面だけを見て、やる前から無理だと決めつけています。彼らの商売は間違いはありませんが、発展が薄い。鶴屋喜右衛門が、蔦重に期待するのは、地本問屋業界に新風を入れてくれることだったのでしょう。蔦重の無謀は、喜右衛門が手綱を絞ればよいのですから。
現に無理だとの意見が大勢を占めるなか、京伝だけは作家の性か、思わず思案げな表情になってしまいます。そう、天才山東京伝は書けてしまうのです。そして、この場にいる優秀なクリエイターは、京伝ほどではないにせよ、出来る人々です。地本問屋たちは自分たちと組んでいるクリエイターの底力が見えていないのです。結局、「そこを何とか皆さまの力をお貸しくだせぇ」と頭を下げる蔦重の言葉を最早、聞くだけ無駄と見た一同、口々に「帰るぞ」「無理だよ」と言うと、散会しかけます。
万事休すか…と思われたとき、それまで様子を見ながら怠惰に座っていた勝川春章、「じゃ、助太刀に行きますか…」と仕方中橋とばかりに隣に座る北尾重政に声をかけます。待ってましたとばかりにニヤニヤする重政に否応はありません。蔦重への罵倒で紛糾するなか、敢えて火中の栗を拾いに出る二人に京伝は驚きを隠せません。気ままに浮草の如く楽しく生きていたい…それは師匠の重政や春章とて同じはずと京伝は思っていたのかもしれません。
しかし、「潰れちまうからねぇ(笑)勝川一門も北尾一派も」「そうそう、弟子が世に出られなくなっちまうからね」と事も無げに答えた春章、重政は示し会わせたように立ち上がります。多くの弟子を抱える師匠二人にとって、絵は己の生業であり、性分であると同時に次代へと引き継がれるべきものでもある。自分たちの流儀が、弟子たちによってどう変わっていくのか、それもまた面白くてたまらない。
なれば、そうした場を守り、また新たにつくろうとする蔦重の危機を救うのは当然です。富本本の表紙が若手絵師の登竜門となったように、蔦重の仕事は絵師たちを世に売り出す仕組みをつくってくれました。それは、重政や春章が蔦重と組んで、面白いものをつくろう、「そう来たか」を楽しもうとしてきた成果です。例えば、蔦重の書肆として最初の本、「一目千本 華すまひ」。女郎を花に見立てるというアイデアは、「ツーンとしてる女郎は、山葵(わさび)の花とか」「おお、夜冴えないのは昼顔とか」「無口なのは山梔子(くちなし)な」(第3回)と、蔦重と重政が意気投合した結果、生まれました(抛入花(なげいればな)が流行っていたことも功を奏しました)。
あるいは、春章。彼は重政の紹介で「青楼美人姿合鏡」を描いてもらったのが、最初の仕事になりますが、本作での蔦重との仕事と言えば、、「俄」のライブ感を再現して大ヒットを飛ばした「明月余情」でしょう。「俄」の公式錦絵だった礒田湖龍斎「青楼俄狂言」を見た春章、芝居絵の第一人者として悔しがります。そこへ「錦絵は難しいけど、墨擂りの冊子なら出来ますよ」(第12回)と蔦重が声をかけて、「明月余情」は生まれました。更に朋誠堂喜三二との縁もこの本で「序」を書いたことが始まりでした。
このように蔦重と絵師たちと戯作者たちは、作品を通して誼(よしみ)を通じ、江戸の本を盛り上げてきました。蔦重の思いつくアイデアや企画は、クリエイターたちがやる気を唆られる上に、実利をもたらすものでした。互いにありがた山な、これまでの縁と絆が、彼らを蔦重の危機を救おうとさせます。それは、今後の絵師や戯作者のためになるからです。絵師たちが立ち上がれば、挿絵で彼らの世話になっている戯作者や狂歌師もそれに乗ります。芝全交も宿屋飯盛も次々立ち上がります。一人置いてけぼりになった京伝は、呆気に取られ、彼らを見上げるばかりです。
皆が無理と決めつけ、帰らんとするなか、なおも諦めることなく「皆さまの力をお貸しくだせぇ。お願いします」と平伏する蔦重。そのさまが痛々しくなりかけたとき、「おう!ちょいと失礼するよ」と一同の前に躍り出た春章と重政たち。蔦重の肩を叩くと「よ。俺たち役に立てっかな?」との重政の言葉に、その場にいた地本問屋たちが驚きます。いかにも無理筋な蔦重の願いに、一番苦労するだろうクリエイターたちから地助け船を出したからです。
持つべきは人の縁…感謝に満ちた笑顔になった蔦重は「勿論!」と力強く答えると、クリエイターたちを見回し、改めて「ありがた山にございます」と感謝の地口。それを口火に、クリエイターたちはいつものごとく、早速、案思を練り始めます。
春章「それにしてもべらぼうな案だねぇ」
飯盛「でも草稿持ってって奉行所困らせるなんて面白そうですよね」
政美「奉行所困らせるならやっぱり数かなぁ」
重政「それとも絶妙な具合で同心たちを穿ってみるとか」
芝全交「わからないようにってな腕がなりますね…
締まりがいいほうが面白いものが」
と意外に過激な話を始めている辺りに彼らが楽しげな様子が伝わります。蔦重たちはいつもこうして企画を練っていきます。「面白れぇこと言ってくんだよな、蔦重ってのは」(第12回)とは喜三二の弁ですが、彼らもその思いは同じでしょう。
その様子を、鶴屋喜右衛門は特段、驚くでもなく静かに成り行きを見守っています。蔦重の人徳を目の当たりにしている喜右衛門には、この展開は予想の範囲内だったかもしれませんね。静かに目を瞑る鱗形屋孫兵衛もまたやはりこうなるかという納得が窺えます。彼が蔦重の目論見に厳しい指摘をしたのは、一歩間違えたら危うい話だけに彼の覚悟と算段を確認する必要があったからでしょう。心情的には協力したい気持ちはあったでしょう。対照的なのは西村屋与八、その渋面はまだ判じかねるといったところでしょうか。他の地本問屋らも同じでしょう、
一方、京伝は、遠巻きに案思で盛り上がる諸先輩らの話を真顔で聞いています。その横顔にカメラは少しずつ寄り、彼の心中へ踏み込んでいきます。わずかに唾を飲み込んだ京伝の脳裏に閃くのは、蔦重の「おめえがそんな生き方出来たのは、先にその道を生きてきた奴がいるから。周りが許してくれてたからだろうが!!」の言葉です。自由闊達に見える重政や春章たちが、どうやって京伝の生きる場所、許されるような空気をつくってきてくれたのか、その心意気と蔦重と丁々発止とやり取りしていく様を、京伝は目の当たりにしています。
耳に届く彼らの熱く、それでいて楽しげな会話…これほどに追い詰められた状況にありながら、いや、そういうときこそ、楽しく戯けるという物づくりの原点に還っているようです。何故、自分はあそこで案思について加わっていないのか。羨ましいのか、熱の籠った眼差しを重政たちへ向けます。
そして、再び心に響く「今度こそ、てめぇが踏ん張る番じゃねぇのか!」との言葉。今なら蔦重の言葉の真意もわかる…いや、本当はただ逃げ出そうとしただけで、わかっていたのかもしれません。この頃には京伝に私淑する者たちがいましたから。となると、彼が蔦重に告げた「しくじったのは蔦重さんじゃねぇですか」がいかに彼を傷つけるものであったかもわかろうというものです。
諸先輩方に刺激され、本来持っていた戯作者としての矜持と創作意欲がふつふつと湧き、蔦重の言葉の真意を受け止めたとき、呆然と重政らを見ていた京伝は、思わず「蔦重さん!」と大声で声を掛けてしまいます。驚く蔦重、そして周りの視線も京伝に集まります。その視線に戸惑い、照れくさそうに笑った京伝は「俺…戻って草稿書いてきますね」と丁寧な言葉で、執筆宣言をします。
瞬間、呆気に取られた蔦重ですが、すぐに嬉しさで目が潤んできます。込み上げる喜びに、一寸涙を堪える仕草をした蔦重は、再び京伝を潤んだ目で向き直ると「いっそ、そのまま出せるもん、頼むぜ…!」と不敵な顔をします。そして、すぐに破顔…「京伝先生」と精一杯の敬意をニッコリとした笑顔で送ります。その言葉を本当は待っていたのかもしれません。「はい!」と素直に答えた京伝、まるで子どものように無邪気な笑顔を浮かべます。そんな二人を、その仲違いに気を揉んでいたであろう重政が嬉しそうに見やります。
そして、もう一人、二人の仲違いに手を焼いていた鶴屋喜右衛門が、嬉しさに涙ぐむ蔦重を見、そして同じく嬉しそうな京伝へ視線を向けていました。収まるべきところに収まった…そんな納得と安堵が喜右衛門にもあったでしょう。また、蔦重が持ってくるだろう打開策の要は、結局、京伝の協力を得られるかどうかだという算段もしていたかもしれません。ここが潮時を見た鶴屋喜右衛門は、初めてすっと立ち上がり、「まあ、京伝先生もやるっておっしゃってくれているわけですし」と、他の地本問屋を宥め、やりましょうと声をかけます。こうなっては他の地本問屋たちも納得せざるを得ません。元々、優秀な彼らは、心さえ決まれば心強い味方です。早速、皆と案思について、それぞれ車座になって話し合い出します。
なんだか、一番美味しいところを最後に鶴屋喜右衛門が持っていった気がしなくもありませんが、つくづく大した人物ですね。此度の蔦重と京伝の仲違いにしても、新作まかりならずの町触れにしても、蔦重に対して、ときに冗談めかし諫め、お膳立てもフォローをしっかりします。そのうえで、誰かの意見を揶揄するでも、肩を持つでもなく当事者を信じて事態の推移を見守るのですから、胆力も並々ならぬものがあります。皆の意見が出し尽くされ、煮詰まるか、方向性が決まったときだけ、動くという絶妙なスタンスゆえに事がまとまったのもたしかでしょう。まあ、笑って謀を進める鶴屋喜右衛門は、根が「腹黒い善人」ですから蔦重と京伝のやり取りも、紛糾した寄合も半分くらいは楽しんでいそうな気がしますね(笑)
さて、草稿による物量作戦が総意となったとき、ようやく嬉しそうな表情になった鱗形屋孫兵衛が「よし!蔦重、また面白ぇ案思考えようぜ!」と声を掛け、蔦重が「へぇ」とニヤリと笑ったシーンが懐かしくも、嬉しいものになっていましたね。そもそも、本作では、蔦重と孫兵衛の意気投合が「新しい青本」、黄表紙の始まりでした(第6回)。偽板騒動でそのときの案思は一旦立ち消えになりましたが、それはやがて恋川春町「金々先生栄花夢」となり、黄表紙の嚆矢となります。「一目千本」が蔦重の本づくりの原点とするなら、「新しい青本」の案思づくりは、蔦重の黄表紙づくりの原点でした。
その二人が因習を超え、再び意気投合したのが恋川春町再生計画(第19回)です。結果、春町は蔦屋耕書堂お抱えの戯作者として復活します。そのとき、出来たのが、100年後の江戸を想像した恋川春町「無益委記(むだいき)」でした。そして、このとき赤本「塩売文太物語」の版木と共に、孫兵衛から版元の魂を受け継ぎました。そして、それから約10年…再び、二人は「新しい青本」のときと同じ原点に戻り、黄表紙づくりに意気投合するのです。この寄合の場面は、蔦重の熱い想いが皆を動かすという流れなのですが、実は重政や春章、そして孫兵衛によって、蔦重自身が版元としての原点に立ち返るものとなっています。行き詰まり、版元としての在り方を見失った蔦重は、その原点のときにいた人々との縁で救われていくのですね。
(2)切り札はカモ平
黄表紙に関わる者たちの一致団結により、地本問屋たちは大量の草稿を手に次々と奉行所へと指図を願い出、遂には現場の役人に根を上げさせます。ただでさえ町方の監視など様々な業務をこなしているのです。降って沸いた黄表紙の検閲など、定信のような黄表紙マニアでもない限り、苦行でしょう。定信の命は、配慮する割には自分が基準になっていますから、下々がついてこれなくなることが多々あるのです。
ただ、この物量作戦も孫兵衛が指摘したように、もう指図などやってられないから、「一切出すなってこと」になれば、一巻の終わりです。ここは言い出しっぺ、「上手く話を持っていかなきゃなんねぇ」と宣った蔦重が骨を折るところ。彼が目をつけたのは、今や火付盗賊改方として市中に名を知られる長谷川平蔵宣以です。本作で平蔵と言えば、鬼平ではなくカモ平。まともに遊んだことのない「血筋自慢のチャクチャク野郎」(第1回)と蔦重に看破され、花の井もいいように金を巻き上げ、平蔵は家の蓄えを使い切ってしまったものです(史実)。今回もカモになってもらおうという算段です(酷い←
さて、吉原に招かれたカモ…もとい平蔵は、まずは「賂代わりのもてなしなら受けとることは出来ぬぞ」としおらしい先手で蔦重に釘を刺します。そもそも彼が火付盗賊改方に任じられたのは、定信に引き立てられたからです。本作の場合、功績より人材不足からの起用といった感が拭えませんが、平蔵からすればとにもかくにも望んだ現場の仕事です。率先して忠勤に励むべく、あの「本所の銕」も身綺麗を旨とするのです。
まして今は、父・宣雄もなれなかった町奉行の座を定信にちらつかされて、人足寄場も引き受け勤しんでいる最中です。定信の覚えめでたい今が平蔵にとっては一番大切な時期と言えます。定信が町奉行職は長谷川家悲願との話をしていましたが、そもそも本作の平蔵は若き日より、そのための猟官活動に余念がない人でした。出世コースでも建前と足の引っ張り合いばかりの書院番の空気を嫌った平蔵は、鱗形屋の偽板騒動では自ら申し出て、その手伝いをしました。「奉行所にでも移れねぇかって顔売ってんだ」(第6回)と、当時の彼が蔦重に話しています。
また天明の洪水では、いよいよ自分のような腕に覚えがある者の出番と平蔵は意気込み、当時としては異例の若さで先手弓頭に抜擢されました。通説では、そのときの仕事ぶりの評価が、後の火盗改就任につながったとも言われますが、自身でも納得出来ていたようで、蔦重と再会の折には、「次はいよいよ奉行かってことでな」(第31回)とうそぶいていました。いよいよ町奉行に手が届くかどうか…少なくとも平蔵はそういう気分。慎重にもなろうというものです。
ただ人は心根まではなかなか変われぬもの。賂は受け取れないというものの、吉原の女性たちに粋でいなせな男に見られたいというモテ願望やカッコつけは相変わらず。あの頃と同じく、色ジケを垂らすスタイルで吉原を楽しむ気満々です(笑)
カモ…いや、平蔵のそうした心中は心得ている蔦重は「手前どもは長谷川さまをお慰めしたいだけで」と旧交を暖めるだけと笑顔で酒を勧めます。その言葉に安心した平蔵は、早速、盃を一挿し「やはり…吉原はよいの(笑)」とおどけます。お調子者の性格も変わりませんね(笑)まあ、だからこそ南畝たちともすぐ打ち解け合えたのですけど(第23回)。
そこへ、駿河屋市右衛門から声が掛かり、座敷へやって来たのは、河岸見世、二文字屋の女将はまと先代女将きくです。懐かしの顔の二人、はまは、以前は、ちどりという名の女郎でしら。飢えに苦しんでいたところを、朝顔から食事(瀬川が朝顔のため松葉屋の料理をお裾分けしたもの)を与えられたのが彼女です。無事、食いつないだ彼女は、女将きくと共に、蔦重の本づくりも手伝いました。謂わば、彼女は蔦重の本づくりの最初期の仲間です。
そのはま(ちどり)が、過酷な河岸女郎の年季を勤めあげ、河岸の娘たちを見捨てないために二文字屋の暖簾を守り続けたきくの意思を継ぎ、二文字屋の女将となったのですね。あれから長い年月が経ちましたが、身を売るしかない女性たちが減ることはありません。年老いたきくも、いつまでも彼女たちを守っていけるわけではない。はまが後を継ぎ、苦界に身を沈める底辺の河岸女郎を守ってくれることになった。それはきくにとって、わずかな救いだったろうと察せられます。
さて、その二人が「長谷川さま、どうぞお納めくださいまし」との口上付で袂から差し出したるのは50両。序盤から「べらぼう」を見てきた視聴者の方々にはおわかりですね。この50両こそは、平蔵がカモ平たる所以。かつて、当時、花の井と呼ばれた瀬川が、入銀本をつくるからと平蔵から巻き上げた、蓄えの最後の金子が、この50両です。飢餓に喘ぐ河岸女郎たちを救うため、蔦重と花の井が一計を案じたのですが、50両はそのままきくの手に渡り、河岸女郎たちの糧となりました。
しかし、その裏事情を「一目千本」の刊行から16年、未だにまったく知らない平蔵は、「何の金だ。賂なら受け取れぬぞ」と先の弁を繰り返します。蔦重は澄ました表情で「賂ではなくご返金にございます」と応じます。訝る平蔵にきくは「長谷川さまが騙されてくださったおかげで、河岸は食いつなぐことが出来ました」、そしてはまも「私も今日この日を迎えられております」と心からの感謝を述べます。
「俺がいつ騙された?」とますます不思議そうな平蔵に、蔦重は「花の井のために入銀した50両。ありゃあそのまま河岸に流して、米買いました」と種明かし。ここまで言われてようやく思い当たった平蔵、「へ?え?だから花の井の、花の絵は無かったのか?」と16年間、きつねにつつまれたようであったことが腑に落ちます。因みに花の井こと瀬川の絵は、「青楼美人合姿鏡」における1枚だけ。蔦重が自分のために本を読む自分を仕立ててくれたことに、瀬川が涙した姿(第10回)を記憶している方も多いでしょう。
「ええ、まあ、情に熱い花魁でしたから。河岸を捨てておけなかったんでしょう」と瀬川のいなせを語る蔦重。この一件、言い出しっぺは蔦重で、それに同調した瀬川が事を成したのですが、自分のことは一切出さず、ただ瀬川のことだけを懸賞したのは、平蔵の思い出にいる花の井(瀬川)を刺激する。おどけて、彼女に代わり「どうかお許しを」としなもつくってみせます。
すると平蔵、「そうだったのか…さすが花の井。俺の金蔵を空にした女だぜ」と懐かしみ、笑顔を浮かべ遠い目をします。あの一件、後日、蔦重は大枚をはたいた平蔵だけが大損したことを悔やみました。瀬川は「50両で吉原の河岸救った男なんて粋の極みじゃないか」(第3回)と大丈夫だと慰め、蔦重も「そりゃ大通だ」と笑ったものです。あのときの瀬川の見立ては正しかったようです。
平蔵は、遠い過去、推しが自分を騙したことなど、恨むような器の小さい男ではありませんでした。もっともナルシストの気はあるので、「花の井に騙されてやる俺も大したもの」ぐらいには思ってそうですけどね(爆笑)後、「鬼平犯科帳」を知っていると、蓄えが亡くなった後、奥様の久栄が相当、苦労しただろうころが偲ばれるので、少しばかり腹も立ちますね(笑)
話が一段落したところで、「で、こちら利息にございます」と袂より、更に50両を差し出す蔦重。利息にかこつけた体の好い賄賂ですが、蔦重は「人足寄場は年、たったの500両。足りない掛かりは長谷川さまの工面。金繰りが大変だとお聞きしました」と、その真面目な働きぶりだけに苦労していることを口にし、世のため、人のために使う寄付だと伝えます。やましいものではないというわけです。
事実、公儀から配給された寄場の運営資金は到底足りません。平蔵は幕府から金を借りて銭相場に投資。また大名屋敷跡地を有力商人に資材置き場として貸して借地代を得る。こうして得た利益を運営資金に充てていました。普通の武家には到底出来ない破天荒な資金繰りは、批判もあったようですが、定信は平蔵の手腕を高く買う記録を残しています。
こうしたお家事情ですから、利息という建前をありがたく受け取ります。が、お調子者なので、つい「利息はこれしきか…」と冗談をつい言ってしまうのですが、これには控えていた駿河屋市右衛門が袂から50両を用意します。蔦重の目論見を聞き、彼もここぞというときのために用意していたのでしょう。慌てて「冗談だ冗談!」と咳払いをする平蔵を押し留め、「長谷川さま、どうかもう一度吉原を救ってくださいませんでしょうか」と平伏、懇願する市右衛門。不景気で日に日に悪化していく吉原を見ていられないのです。まして、蔦重に刺激され、吉原の改善を少しずつ進めてきた彼からすれば、逆戻りしていく姿は耐えられないものだったでしょう。
強引に50両を平蔵に握らせると「今、倹約と悪所潰しで河岸はてぇへんなことになってます。加えて、黄表紙、錦絵、細見も駄目になるって話もあります。そうなりゃ吉原はもう…」と頼み込みます。茶屋である駿河屋や大見世である松葉屋、扇屋ですら大変です。底辺の河岸見世の惨状は語る必要もないでしょう。今の二文字屋に返済のためとはいえ、50両もの金を出せるとは思えません。おそらくは、きくたちが差し出した50両も蔦重が仕立てたお金であろうと思われます。入銀話で救われたきくとはまは、大恩ある蔦重のため、そして今の河岸の窮状のため、50両返金の一芝居を打ってくれたのでしょうね。
さて、「いや…賂は受け取れんのだ」と頑なな平蔵を「人足寄場は悪党とならざるを得なかった者を救う役目もあると聞いております。どうか身を売るより他ならぬ女郎たちにもお救いくださいまし」と深々、一礼し、情に訴えます。平蔵が何故、カモ平なのか。それは、彼が情に厚い男だからです。だからこそ、市井の人々を守る役目に手応えを覚えますし、火盗改の仕事に協力した町方がいれば、気軽に蕎麦を振る舞うなど町民の慰撫に心を砕いているのです。
そして、蔦重に合わせて、居合わせた花魁以下女郎たち、市右衛門、きくとはまも頭を下げます。これは、かつて花の井に入銀をせがまれたときと同じ構図…「…わかった!わかった!何をすればよいのだ!」、お人好しの平蔵は再びカモになることを引き受けます。
蔦重から頼まれたのは、定信から「ある言葉」を引き出すことです。人足寄場の運営手腕を定信から褒められた平蔵は、町奉行が困っている件を振ります。「市中の本屋がやたらと奉行所の指図を仰ぎに来ておる件か?」との返答には「さすがお耳が早い」。蔦重たちの物量作戦について「大方、こちらに根を上げさせ触れを緩めさせようという本屋どもの浅知恵であろう」との見立てには「ご慧眼でございますなぁ」。そして、「一店につき、年一点まで」という対策には「さすがのお考えにございます」と、プライドの高い定信を実に的確に誉めそやしているのが可笑しい場面です。そのおべっかにも、当然という満足そうにしている定信。存外、寂しい人かもしれませんね(苦笑)
十二分にいい気にさせた上で、さも定信の方針は素晴らしいと追随する体を装い、「本など上方に任せればよいとそれがしも考えます」と話します。実は、頭の回転の速い定信は、忠籌との会話でもそうですが、普段のやり取りでは、相手の言いたいことを察し、皆まで言わせず、話途中で返答するということが目立ちます。頭がよいと同時に人の話を聞かない性格が出たものですが、平蔵の話は予想外のものだったようで「上方?どういうことだ?」と珍しく訝ります。
平蔵は「実は上方の本屋が江戸に店を出してきておるようで。江戸で新しき本が出せぬとあれば、上方が待ってましたとばかり、黄表紙も錦絵もつくるようになる」と市中の本屋の現状を話し出します。これは大和田屋が京伝に「心学早染艸」を出したことを指していますから、蔦重はそのあたりの事実がネタになると伝えてあるのでしょうね。ここで、平蔵は「黄表紙と錦絵は江戸の誇り」と口にするのですが、この言葉に定信の目の色が変わります。
黄表紙好きという彼の本音が、「まさにその通りだ」と思わず反応させたようです。ですから、「渡してなるものかぁと躍起になっておるようです。まあ、くだらぬ町方の意地の張り合いにございますよ」と平蔵に淡々と、あっさり語られると、「くだらなくなど、なかろう!」とムキになって即答してしまいます。「江戸が上方に劣るなど将軍家の威信にかかわる!」と、定信はもっともらしい理由つけますが、要は自分の好きだったものを脅かす存在が許せないだけです。推し活にありそうな話ですが、プライドの高い定信はあくまで正当なこととして認めないでしょう。
さあ、ここまでこればあと一歩、「どうすればご威信を守ることが出来ましょうか?」とあくまで、定信の慧眼を立てて質問すれば、江戸の地本問屋を守る手段は、定信自身が口にすることになります。
蔦重の入れ知恵があったとはいえ、天下の将軍補佐と対峙しての小芝居。お見事でした。元来は黄表紙好きであったとの噂、武家の復権を狙うプライドの高さと原理主義、独断専行が過ぎる遣り口、定信の為政者としての特性を上手く利用された定信は。間接的に蔦重に一杯食わされます。
こうして、江戸文化の誇りを守るため、地本問屋も書物問屋同様、株仲間をつくり、そのうちで行事を立て、改めを行うことが内々に定まりました。つまりは、出版物を本屋同士で相互監視することでご政道批判、風紀を乱すものを出さないようにするということです。本来、株仲間は、独占権を公的に認めることで価格の安定をはかり、幕府は冥加金を得るというものです。しかし、地本問屋の株仲間は、言論統制の一環です。ただ、本作において、それは地本問屋たちが出版文化に火を消さないための苦肉の策という解釈になったようです。
さて、地本問屋同士の宴席で、地本問屋株仲間結成の内諾を蔦重が話題にしたところ、孫兵衛が「仲間に入れる店はどうするんだい?」と聞きます。蔦重は特段気にするふうもなく「入りたいとおっしゃる方がいれば誰でもと、話してはいんですが…」と返すと、「大和田ってのはどうすんだ? 昔のおめえさんみたいのがいるんだろ(笑)」と孫兵衛は笑います。今や日本橋を代表する大店になった蔦重、新規参入をどうするかは他の地本問屋にとっても興味深いところです。先には、江戸の利権を守るため、追い出そうと鶴屋喜右衛門に持ちかけ、喜右衛門に揶揄されましたが…
早速、鶴屋喜右衛門と蔦重は、皆を代表して、上方の版元、大和田安兵衛と面会することにしました。彼と組んで、「心学早染艸」を出した京伝も関係者として同席させられています。今となっては責任を感じないでもない京伝は、大和田安兵衛が地本問屋仲間から締め出されるだろうと神妙にしています。
まずは鶴屋喜右衛門が「早速ですが、こちらの黄表紙、私どもに一言もなくお出しになられたのは…正直、あまりいい気はいたしませんでした。江戸の地本の流儀にも反することです」と業界を代表して苦情を述べます。道理は道理、そのことは明言しておかないと、いかなる判断をしても、なし崩しになってしまいます。
その上で、素直に詫びる安兵衛へ、後の言葉を蔦重が引き継ぎます。蔦重曰く「しかしながら、出来はお見事。故にこちらは今後、黄表紙を盛り立てていくためにも、是非、仲間に加わっていただけないかと考えております」と、上方の地本問屋を江戸の地本問屋株仲間に加えることを打診します。あくまで大切なことは、黄表紙を盛り立て、江戸の出版が活性化していくこと。それが業界のためになるというわけです。
閉鎖的な江戸の地本問屋たちの英断に大和田安兵衛も戸惑い気味ですが、京伝もまた驚きます。にわかに信じがたい京伝は恐る恐る「え?いいんですか?それで…」と、二人にではなく、蔦重へ問いかけます。蔦重が「心学早染艸」の出来を公式に褒め、その版元を株仲間の一員として認めるということは、京伝がそれを書いてしまったことも許すということに他ならないからです。「いいんですか?」とは、定信の政に抗わなければならないという蔦重の信念が、納得出来るのか、ということです。
すっきりした表情の蔦重は、「そもそも黄表紙ってな、節操もねぇ、昔話や幽霊、廓話、言い伝え、面白ぇものを何でもかんでも心のままに放り込む」と語ります。黄表紙の真髄は「面白ければ何でもあり」ということ、つまり、面白いと感じる自由な心があってこそだと言うのです。
「心のままに放り込む」と言ったときの蔦重、意識してか無意識か、かつて「自らの思いによってのみ、我が心のままに生きる…わがままに生きることを自由に生きるっつうのよ」(第5回)と語ったときの平賀源内と同じ仕草をするのですよね。思えば、源内の言葉が、蔦重に地本問屋になる夢を抱かせ、事あるごとに蔦重の心の支えになっています。源内は蔦重のなかに生きており、蔦重は夢の原点に戻ったのです。
「だから、皆、夢中になった」と続ける蔦重の言葉を聞く京伝、蔦重ナメで切り取られたその表情は、驚きから喜びへと変わっていきます。蔦重の言葉は、正月の扇屋で京伝が蔦重へ口答えしたときの台詞「面白ぇことこそ、黄表紙にはいっち大事なことじゃねぇんですかね!」を受け入れたことに他ならない…自分の思いがやっと蔦重に通じた。それは、京伝の知っている常の蔦重は帰ってきたということです。嬉しくなるのは当然です。
勿論、蔦重は、定信の政がもたらす不景気と閉塞感に抗う心を忘れてはいません。前回note記事でも触れましたが、抗うことを忘れてしまえば、それは必ず更なる言論統制は強まっていくのも事実です。此度の町触れは、蔦重の一件がなくても、定信はやりかねない。後々出される寛政異学の禁は、その最たるものです。
ただ、それを前傾化させることが黄表紙のすべてにしてしまうことは、黄表紙の目指した自由闊達な楽しさを否定してしまう。そのことに気づいたというわけです。そう思えたのは、何をしても地本問屋たちから拒絶された日々のなか、「面白い本」を出すことだけは忘れなかった若き日の自分の思い、それを支えてくれた人の縁があったから。そこには当然、春町もいます。
だから京伝ナメで切り返しショットで、京伝の思いに応えるは、「読む方も、つくる方も。こんなご趣向を出される方を弾くなんて、春町先生から草葉の陰から嵐みてぇな屁放られるところだった」と、あの日の京伝の言葉「春町先生に嵐みてぇな屁放られるってもんじゃねぇんですかね」を引用し、京伝の正しさを認めます。「言ってくれてありがた山だ」と、目下の自分に頭を下げる蔦重に「蔦重さん…」と感動してしまう京伝。そんな二人を、喜右衛門も微笑ましく見ます。
ただ、肝心の大和田安兵衛から「その…うちは黄表紙、出す気はないんでございますが…」と切り出されてしまいます。蔦重たちが唖然とするなか、なかなか商売上手な大和田安兵衛は、その代わりに江戸の本を安く仕入れさせてほしいと提案します。黄表紙が人気になりつつある今、そうすることで、問題になっている偽板を封じられるのでは、というのです。上方の販路と偽板対策…上方の本屋の黄表紙参入は思わぬ形で幕を下ろすことになりますが、悪くはない結果、蔦重の表情も晴れやかなものとなります。
さて、こうした事の顛末を、蔦重はていたちに伝えます。京伝は蔦屋と鶴屋の専属として書くことに…その証拠に、善玉悪玉の続きは耕書堂で出すことになりました。その話を聞いたみの吉は「まことですか」と嬉しそうです。その素直に反応に「なんだよ、その嬉しそうな顔は」と問い返すと、みの吉は「だって、面白ぇじゃないですか」と胸を膨らませます。このみの吉の笑顔こそが、黄表紙をつくることの意味です。
「ああ、だよな」としみじみと呟いた蔦重、「詰まるところ、面白ぇものをつくるのを諦めねぇってことが黄表紙の火を守ることだ」と、当たり前のことにやっとたどり着きます。良人の言葉に表情を和らげたていの「私もそう思います」との言葉に、やっと久方ぶりの会心の笑顔を蔦重が見せます。夫婦の和解もなされたようですね。
すると、蔦重は「実はもう一つ考えてることがあって。書物問屋の株を買おうと思ってんです」と、ていを立てるいつもの物言いで提案します。元より漢籍好きのてい、「書物の株?」と驚くその表情には喜びが隠し切れません。現実問題を言えば、書物問屋の株を手にすれば、物の本による固く、安定した収入が得られ、蔦屋耕書堂の経営基盤もより確かなものになります。しかし、蔦重の狙いは、それだけではありません。
彼が目を付けたのは、書物問屋の流通です。曰く「書物の株がありゃあ、諸国からの買い付けに頼らず、書物の流れを使って地本をどんどん流すことが出来る。江戸の外では狂歌や黄表紙に火が着いてきてるみたいだし」とその見通しを語ります。歌麿に肉筆画を依頼した栃木の豪商、釜屋伊兵衛の黄表紙と地口のかぶれぶり、大和田安兵衛から聞いた上方での黄表紙の評判、などから商売の可能性を嗅ぎつけたようです。やはり、江戸一の利き者、その嗅覚も戻ってきたようです。ていは、その話に息を飲み、自然とワクワクした表情になっています。
そこへ、蔦重「他所の国、異国にも黄表紙の火を灯して回ろうってか」と煙管とともに大望をふかします。「異国?!」と乗り出したていは、「それは…春町先生もどれほどお喜びになられるか!」と良人の夢に、自分も思いを馳せます。そのノリに「だろ?」と頷き合う夫婦。「まあ、べらぼうな夫婦だねぇ…」「はい」と呆れつつ、微笑ましく見守るつよとみの吉。蔦屋に束の間の幸せが訪れます。
おわりに
すべてが丸く収まったかに見えたそのとき、歌麿の弟子、菊麿から痛々しい報せがもたらされます。報せの一つは、瘡毒(梅毒)に罹患していたきよが亡くなったことです。きよの異変は、前回、歌麿の幸せな笑顔と対比するかのように、彼女の足首から足にかけてのできものが増えていくカットが挿入される形で示唆されていました。忍び寄る不幸という描写に不安を煽られた方も多かったでしょう。
疱瘡にも見えたその病は、吉原の女郎たちの3割が罹患していたという瘡毒(梅毒)でした。その前身が吉原よりも安く身を売る洗濯女であったきよが、なるべくしてなった宿命的な病であり、治療法もなかった時代、どうなるかは目に見えていました。
第3回でも、不衛生で栄養状態の悪い河岸見世では餓死か労咳か梅毒かといった状況であることが描かれました。その末路は、河岸見世女郎として亡くなり、裸で浄閑寺に投げ込まれた朝顔の顛末(第1回)として衝撃的に描かれました。そして、それが蔦重の本づくりの思いにつながる、吉原の女郎たちを救いたいという思いの原点にもなりました。
ただ、そのときは瘡毒がいかなる悲惨なことをもたらすか、そこまでは踏み込んで描かれませんでした。
きよの場合、第38回序盤、医者に見てもらった時点で取り返しのつかない状態であることが、医者の口から出ていました。朦朧とする意識のなかできよの視界に入ったのは、歌麿の肩に手をかけた蔦重の姿です。それは単に落ち込む歌麿を励ますだけの仕草でしたが、きよの目には歌麿の浮気と写りました。病床から這い出し、歌麿を責め、荒れ狂うきよ。どう宥めても収まらぬその姿に、蔦重は呆然となり、引き上げるしかありませんでした。
既に蔦重を蔦重と判別することも出来ず、被害妄想に陥る…瘡毒が脳へ達しているとおぼしき症状です。その後の菊麿の報告では、歌麿がきよを見ているときだけ癇癪が収まるとのことでしたから、歌麿が弟子と話すだけでも嫉妬に荒れたと察せられます。蔦重だからそうなったのではありません。
切ないのは、きよが歌麿が自分を観ることに固執した理由です。耳が不自由で口が聞けないきよにとって、「観る×観られる」だけがコミュニケーションの手段だったからです。何故、きよは歌麿と夫婦になったのかは明示されていませんが、数少ない描写から察するに歌麿が自分だけを熱心に見つめ、絵に写し取ってくれる…そのことが心地よかったのではないでしょうか。
普段より口の聞けない彼女と積極的に関わる人は少なかったでしょう。まして男どもは欲望を吐き出すだけ。誰も彼女の存在を気に止めなかった。孤独な彼女を歌麿だけが見出だした。きよは、歌麿の眼差しに愛でられ、癒された。だからこそ、瘡毒に冒され白濁する意識のなかでも歌麿の眼差しを求めたのでしょう。つよは「自分のことだけを見ててくれれば嬉しいんじゃないのかい?惚れた男がさ」と、その心中を察していますが、蓋し慧眼ですね。同じ人たらしでも唐変木の蔦重は、人の情の機微について、つよには遠く及びませんね(笑)
母に構われたかった歌麿と誰かに見ていてほしかったきよ。孤独な二人は響き合いました。それは、絵師と被写体…その関係だからこそ二人ならではね距離、二人だけにしかわからない会話、二人だけ世界となったのかもしれません。共依存とも呼べそうな濃密な関係は、お互いなしでは生きられなくしていきます。
きよの幻覚、そして聞こえるはずのない声が聞こえたとき、歌麿は急速にきよの死を直感します。たまらず、病身を抱きすくめ「いかねぇでおきよさん。お願ぇだから。俺にはおきよさんしかいねぇの…おいてかねぇで…ずっといてっから」とすがる歌麿。どちらが病で、どちらが世話をしているのか、曖昧になっていきます。
互いしかいない…そんな伴侶の死は残された側に暗い陰を落とします。報せを聞いた蔦重が深刻な顔つきで飛び出していったのはきよの死ではなく、残された歌麿の惨状を聞かされたからでしょう。歌麿宅に着き、襖を開けると死肉にたかる蝿の羽音、そして腐臭が鼻をついたようです(弟子たちが顔を鼻を覆う仕草)。蔦重がそれすらも気にしないのは、目の前の光景があまりに無惨だったからです。
まず、きよの遺骸です。その顔に包帯が巻かれているのは、瘡毒のせいでゴム腫が出来、顔が崩れてしまっているからでしょう。歌麿に観ていてほしいきよが見られぬような姿になる…惨い最期に思われます。しかし、それ以上に惨たらしいのは、きよの遺骸の脇で脇目も振らず、嬉々としてきよの絵を何枚も何枚も描き散らしている歌麿の姿です。髭も月代ものび放題。きよの傍を片時も離れず、寝食も忘れて描いていたのでしょう、目だけが爛々と輝いています。
蔦重は、腐臭漂う部屋に入ると傍らに座り、痛ましげに「てぇへんだったな」と、まず労います。異様な光景に、何やってんだとばかりに無理矢理、遺骸から歌麿を引き剥がさなかったところに、大事な弟分への心遣いが窺えます。とはいえ、そのまま腐りゆくきよの亡骸も無惨。「気持ちはいてぇほどわかっけど、旅立たせてやんねぇか?おきよさん成仏出来ねぇよ」と促します。
蔦重も大切な人を何人も無くしましたが、中でも自分を庇い凶刃に倒れた親友、新之助の死(第33回)は大きかったでしょう。何故なら、我が手で新之助の妻子の土饅頭を掘り返し、彼を埋めたからです。茫然自失の蔦重が歌麿の胸でむせび泣いたのは3年前でした。だからこそ「はいてぇほどわかっけど、旅立たせてやんねぇか?」と辛くても言えるのです。
しかし、歌麿は「まだ生きてっから」と笑顔で答え、筆を走らせます。人の顔は日々変わる、だから「おきよはまだ変わってから生きてる!」と謎理論を嬉しそうに語ります。自分が観続ける限り、描き続ける限り、きよは俺の傍にいてくれるはず…描き散らされた無数のきよの似顔絵は、彼女の命をつなぐため、あるいは自分の心を守るための般若心経なのでしょう。
加えて、そもそも歌麿ときよのコミュニケーションは互いの心を読み合うもので、声や音はありません。結果、きよが亡くなってなお、歌麿は自分の心のなかにいるきよを会話し続けられる…二人だけの世界に出口はありません。ですから、さすがに現実へ引き戻そうと「脈がねぇから」と脈を取らせても、きよは生きていると言い張ります。
このままでは本当に壊れてしまう…蔦重は遂に歌麿を引き剥がし、押さえ込み、歌麿弟子たちに「仏さん運べ!」と命じます。歌麿が生きるのは、どんなに辛くとも現実。蔦重は心を鬼にします。「おい!おきよはまだ生きてるんだよ!おきよはまだそこにいんだよ!」と必死に追いすがる歌麿でしたが、亡骸を運び出した後に広がる黒い染みを見た瞬間、きよの死を実感します。染みにしがみつき、慟哭する歌麿。
そんな彼に、蔦重は「お前な鬼の子なんだ。生き残って命描くんだ。それが俺たちの天命なんだよ!」と強い言葉で諭します。「鬼の子」とは歌麿の母が、彼に語った呪いの言葉ですが、一方で師匠の石燕も彼を「三つ目」と呼び、人ならざると呼びました。つまり、歌麿は異才の持ち主ということです。才を授けられ者は、生き残り、その才を振るい続けるしかない。命を写すのが、償いであるなら尚更です。
それは、多くの死を引き受け、思いを託され、今がある蔦重も同じです。加えて、歌麿を当代一の絵師にする夢もある…だから、「俺たち」の天命なのでしょう。弟分にして相方でもある歌麿へ、蔦重なりの覚悟を涙ながらに訴えると、蔦重は歌麿を抱きすくめます。
無論、やり場のない怒りと哀しみの渦中にある歌麿に、蔦重の一方的な気持ちは通じません。感情を爆発させた歌麿は、抱きすくめる蔦重の背中を強く殴り続けるだけです。蔦重は、彼の哀しみを受け止めようとひたすらに耐えます。
しかし、このやり取りは、歌麿を当代一にしようとする蔦重の夢と歌麿が自分の見出だしたささやかな幸せは、どうにもならぬほどズレていることを仄めかしているのではないでしょうか。失われた幸せに慟哭する歌麿に、天命を説く蔦重…それは離れがたい義兄弟だけに複雑な葛藤と軋轢を生むように思われます。きよの死は、二人の抜き差しならぬ対立の始まりかもしれません。
また、今回、黄表紙に関わる人々の一致団結で、公儀の新作をつくるな、という町触れを変えることに成功しました。充実を味わう一同ですが、定信の強権的な政は健在です。最悪を免れただけで、蔦重らが自由な出版が出来る環境を取り戻したわけではありません。ただの小康状態です。蔦重が読みたがえれば、すぐにまた大変な事態となるでしょう。蔦重の志は、人々を巻き込む危ういものになっていますから。蔦重は。公私共に、未だ不穏な空気のなかにあり、余談は許さぬ状況にあるようです。こうなると見守る視聴者のほうも覚悟が要りますね(苦笑)
