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第11回|7つの習慣[対話編]|「選べなかった自分」を抱きしめる|神様とのおしゃべり

「後悔したっていいんじゃよ」

こんにちは、Haoパパです。

今回、取り上げる書籍は……

『神様とのおしゃべり』 さとうみつろうさん著

ページを繰るうちに、ある一言で手が止まりました。

「後悔したっていいんじゃよ」

登場する神様のセリフです。

物語の中では、正しいと思っていることと間違いと思っていること、本当はどちらも正しくて、それでも矛盾が生じる——そんな場面で、この言葉が出てくる。

どちらかを選ばなくていい。矛盾をそのまま認めていい。

そういう感覚が、ページの向こうから静かに伝わってきました。


「選べなかった自分」を責めていた

心が動いたのは、自分の中に「あ、これは自分のことだ」という引っかかりがあったからだと思います。

7つの習慣で「主体的である」ことを学んで以来、私は「刺激と反応の間には選択の自由がある」という言葉を大切にしてきました。でも、その意識が強くなるにつれて、うまく選べなかった自分が気になるようになっていた。怒ってしまった。落ち込んでしまった。嫌な気持ちが続いてしまった——そのたびに「主体的に選ぼうとした自分はどこへいったんだ」と、心の中でため息をついていました。

いつの間にか、「主体性」を磨こうとすることが、「反応を選べなかった自分への批判」に変わっていたのです。


第一の習慣と自己受容が、静かに重なった

『神様とのおしゃべり』の言葉を読んで、じわじわと気づいたことがあります。

「選べなかった自分」を認めることも、主体性の一部なのではないか、ということ。

アドラー心理学の言葉に「自己受容」があります。これは「できた自分だけを認める」ことではなく、「できなかった自分も、今の自分として受け取る」ことを指します。

第1の習慣が教えてくれる「刺激と反応の間にある自由」——この自由を使えなかったとき、次にできることは、その自分をまず受け入れることかもしれない。

自己受容のない主体性は、いつしか自己批判に変わる。

この気づきは、私にとって新しいパラダイムのようでした。「完璧に選び続けなければならない」という枠が、少し緩んだ感じがしました。

似たような感覚——「どれも正しい」がぶつかり合う場面について、以前こんな記事を書いたことがあります。よかったら合わせて読んでみてください。


以前の自分と、今の自分

学び始めた頃の自分は、「主体的であること」を「常に冷静に選べること」だと解釈していた気がします。

でも今は少し違う。冷静に選べる日も、選べない日もある。どちらも「主体的であろうとしている途中」なのだと思えるようになってきました。

後悔していいし、落ち込んでいい。それでもまた、上を向けばいい。

そういう「揺れながら進む」感覚が、インサイドアウトの本質に近いのかもしれないとも考えています。


「できなかった自分」に、あなたは今どんな言葉をかけていますか?


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「選べなかった自分を責めてしまう」——そんな揺れ、一人で抱えていませんか。

主体性を学べば学ぶほど、できない自分が気になる。そのもどかしさを、一緒に持ち寄れる場所があります。

答えを出す場所ではなく、「揺れながら考え続ける」ことを大切にしている実践会です。うまくいかない日があっても、ここに来ていい。そう思えるような時間を、一緒に過ごしませんか。

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https://haopapa.my.canva.site/7habits-jissenkai-note


関連する習慣や原則

  • 第1の習慣:主体的である

  • 基本原則:刺激と反応の間にある選択の自由

  • 基本原則:パラダイムとパラダイムシフト


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