⌨️ 社会人一年生
仕事はじめ
約40年前のこと。
その時、私は社会人一年生だった。
短大を卒業して、データ入力を請け負う会社にキーパンチャーとして就職を決めた。
大阪のメインストリート・御堂筋に面したテナントビルの一角に会社を構える中小企業だった。
それらしい広さのフロアに入力機械が並ぶ。
パソコンではなく、机にキーボードと小さな小窓のディスプレイが付いた専用の物だった。
午前と午後、休憩時間を挟みながら、ただひたすらにデータを入力する。
時間の使い方は学生の頃と変わらない。
そんな会社の仕事にもようやく慣れてきた頃、私に出向の辞令が出た。
会社では「出向」と言っていたが、今でいう派遣のような仕事である。
依頼先の会社へ行き、そこの仕事をする。
そんな業務があることは入社前の説明で知ってはいたが、入社してまだ半年も経たない私に辞令が出たことに驚く。
仕事先はNTTだった。
当時、事務の仕事にパソコンが登場する。
今では当たり前のパソコンだが、パソコンというのは、まずデータベースがないと使えない。
NTTはこの少し前に電電公社から社名を変え、体制が新しくなったところだった。
そこで、これまでの管理も新しくする目的のようだ。
それまでの電話番号の管理はというと、細長いスマホを大きくしたタブレットほどの大きさの厚紙だった。
その厚紙に、電話番号、契約者の名前、住所、最寄りの電柱、局内の配電盤の位置など必要事項が手書きで記入されていた。
それを、この度パソコン導入でこのデータを入力しなければならない。
当時パソコン導入に伴い、私が就職したようなデータ入力の会社はいくつかあったので、他の会社でも請け負っていたに違いない。
通常の入力作業は、依頼先からデータを持ち出し、うちの会社で入力後データ移行するが、NTTには事情があった。
当時は今のような個人情報保護法はないが、通信の秘密に関する法律があった。
局内のデータは外部に持ち出せないとして、私たちが局内で入力作業をすることになったのである。
新たな仕事
8人のグループが編成された。
今年の新入社員から5人、先輩が3人いた。
最初の勤務先は兵庫県の宝塚局だった。
初日はうちの会社の営業担当も同行して、みんなで待ち合わせして局へ向かう。
通された部屋は、普段は物置きだったのでは、と思えるような部屋だった。
蛍光灯はあるが天井板はなく、いろんな配線や配管がむき出しになっていた。
とりあえずエアコンが付いていたので良しとする。
8台のパソコンが載った机が向かい合わせに並び、その前に長テーブルと3脚の椅子が置かれただけの殺風景な部屋だ。
NTTの仕事だが、仕事の発注者はNTT関連の子会社だった。
その会社の業務の責任者とする男性の挨拶があり、実務の疑問に対応する3人の男性が紹介される。
実務の疑問に対応する、とは電話番号ごとの台紙に書かれた不明確な文字に対する疑問だった。
手書きの為、癖字や、中には書き間違いもある。
正しく入力する為、文字の分からない時の質問に対応するための3人だった。
ひと目でNTTを定年退職した人たちと思しき人たちだった。
私たちはこっそり、この3人にあだ名を付けた。
3人のおじさん
ひとりのあだ名は『おじいちゃん』。
小柄で、いかにも孫と遊んでいるのがピッタリな感じの、いつもニコニコと微笑んでいる人だった。
ひとりは『マジメさん』。
黒縁メガネで、見るからに真面目そうな人。
長身の細身で、申し訳なさそうに立つ姿も真面目に見えてくる。
ひとりは『ジャイアン』。
あのドラえもんに出てくるジャイアンを、そのまま年配にした感じの人だった。
3人の中では一番若く、おじいちゃんとマジメさんは70代に届きそうなのに対し、ジャイアンはまだ60歳を過ぎたばかりのように見えた。
いざ仕事が始まると読めない字が多く、私たちは3人に質問するが、まともに質問に答えてくれるのはマジメさんだけだった。
おじいちゃんとジャイアンは
「きったない字やなぁ。読まれへんなぁ。こんな字、誰が書いたんや」
とぼやくばかりで解決しない。
唯一マジメさんは、電話帳や地図や漢字辞典を駆使して答えを探してくれた。
またお昼時ともなれば、みんなその場でお弁当を広げるが、おじいちゃんとジャイアンは年齢に似合わず中高生の男の子のような大きなお弁当箱。
一方マジメさんは女の子のような小さなお弁当箱で、これまた私たちの同情を誘う。
物事には理由がある
「仕事もせんとご飯だけはしっかり食べるんやなぁ」
私たちは陰口を叩いていた。
しかしこの問題は責任者にも伝わることとなり、やがておじいちゃんやジャイアンも辞書を片手に真面目に仕事をしてくれるようになった。
NTTの仕事はこの宝塚局の後も、大阪の豊中や東大阪、兵庫は神戸市の垂水局へも行った。
それぞれ2カ月を目処に仕事を終え次の局へ行くという、仕事は同じながら勤務先が変わる生活だった。
あちこち行ったにも関わらず、宝塚局以外の記憶はほとんどない。
最初のインパクトが最大だったか。
ある時、私はマジメさんと2人だけで、仕事を終えた垂水局へデータ修正に出掛けたことがあった。
大阪からJR1本で行けるとはいえ、長い道のりである。
よくも毎日通ったものだ。
当時はまだ明石海峡大橋の無い時代、瀬戸内の海を見ながら、私は初めてマジメさんと他愛ない世間話に花を咲かせる。
そのうち突然、マジメさんが思い詰めたように言う。
「私、いがないんです」
文字だとまだ分かりやすいが、会話では脈絡のない言葉は意味が分からない。
私がキョトンとしていると、マジメさんが話の補足をしてくれる。
「私、胃がんを患いまして。胃を全摘、全部取ったんです」
「あぁ、胃が無い。。。えぇ~!?」
ノリツッコミは大阪人の常識である。
思いもしないマジメさんのカミングアウトに、私は驚くと共にあることに気がついた。
「それで、いつもお弁当が小さいんですね?」
「そうそう。胃を取ったので少しずつしか食べられないんです」
マジメさんは嬉しそうに頷く。
___何事にも理由があるものだ
私はそんなことを考えながら、マジメさんの話を聞いていた。
つづく
