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燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

日常生活の微小な不便(使いにくさ)に文句を言う人を、神経質な人だなぁと思っていた。確かに言われてみれば不便だけど、そんなに気にする程度でもない。なんなら、私はそんなことを気にも留めないので、心の広い余裕のある大人物だと、良い気になっていた。私は鴻鵠ではないだろうかと。

燕雀は些細なことでストレスを溜め、さぞかし大変なのだろう、なんて高みから見物していたが、本当に私は鴻鵠なのだろうか。燕雀だと思っていた人の中には、微小な違和感に気が付き、その要因を取り除いている。それは自分のためだけではなく、他人にも恩恵がある。

私程度の感度の人間には気が付かない改善を実行する人は、燕雀などではない。むしろ鴻鵠であろう。私には微小な不便を拾い上げる能力がないだけである。それでは鴻鵠ではなく、単なるウドの大木だ。

文句を言うに止まっている人は燕雀だろうが、違和感に気が付いている時点で鴻鵠に昇格する可能性がある。ただ不満を口にするだけの人で終わるかは自分次第だ。何事も気が付かなければ始められない。

本当に問題なのは、私のような些細なことに気を留められず、それでいて自分が上位にいると勘違いしている輩である。気が付かないことに気が付かないのだ。気が付かないなら改善もない。

と、これだけ自分を卑下すれば、私の謙虚さが伝わるであろう。もしかしたら燕雀ではないかもしれない。

そもそもこの故事成語は燕雀に失礼ではないか。燕雀を身体の大きさだけで小人物だと比喩するのは気に食わない。ルッキズムにも程がある。逆に鴻鵠には燕雀の志が理解出来ないだろう。

と、燕雀へのフォローも忘れない私は、やはり鴻鵠かもしれない。

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