本雑綱目 103 ドクター・カバネス 鞭と梅毒 ヨーロッパの一裏面史
今回はドクター・カバネス『鞭と梅毒 ヨーロッパの一裏面史』です。
ASIN: B0DGFVM1VK
NDC分類では230。歴史>ヨ-ロッパ史. 西洋史
前提知識必要度(西洋史):★★☆☆☆
これもノーブランド? 自費出版とかそういうやつ?
これは乱数メーカーを用いて手元にある約6000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。時々恣意的に選んでいることもあります。
★図書分類順索引
1.読前印象:ドクター・カバネス 鞭と梅毒 ヨーロッパの一裏面史
鞭はわからんけどヨーロッパで梅毒っていうとローマのテルマエで梅毒が流行して廃止されたっていうイメージ(前回も書いたけど)。梅毒はたしかコロンブスがアメリカ大陸発見してから持ち帰った説が確か有力で、イタリアではフランス病と呼ばれフランスではナポリ病と呼ばれるとか名前で押し付け合っていた記憶。抗生物質によって治療できる、というかサルファ剤が発明されるまでは水銀療法とかしかなかった記憶。日本には宣教師がもってきたのかな。ヨーロッパ史は詳しくない(日本史もだが)。
とりあえず開いてみよう~。
2.目次と前書きチェック
前書きがないのでいきなり目次。
『ルソーは自殺だったのか』、『クレオパトラと毒蛇』、『雅の世界で「花柳病」はどのように予防されていたか』、『狂える王妃ファナ』、『十八世紀における王家の結婚事情』、『モードは病気から生まれるのか』、『ポンパドゥール夫人を診断したら』、『宮廷ならびに巷間における鞭打ち』。
んんー……なんとなく漂うゴシップ感。クレオパトラと毒蛇あたりからヨーロッパでは一般的な話題選びな気がしなくもないけれど、そもそも西洋史に知見が乏しい僕にとってはファナって誰っていうレベルで、わからないものは内容がさっぱりわからない。
わからなさそうなところと興味が向いたところから、『雅の世界で「花柳病」はどのように予防されていたか』、『狂える王妃ファナ』、『モードは病気から生まれるのか』、『宮廷ならびに巷間における鞭打ち』を読んでみます。
いつも通り前段はまとめ、後段は感想・雑感。
3.中身
『雅の世界で「花柳病」はどのように予防されていたか』について
ーまとめ
15世紀のフランスの薬販売では、慈善家もいたがそれ以上に詐欺師まがいが多かった。薬剤師ブレニーはありとあらゆる手管を用いて王儲けした。ブレニー自身は花柳病(梅毒)の治療として水銀を用いていたが、商売敵の治療師を詐欺師と呼び、客を騙してるだとか出まかせを言っているだとか評しつつ、ブレニー自身も薬商とぐるになって客から金を巻き上げた。
16世紀には性病(淋病)特効薬であるコパイババルサムが存在したが、同時に性病に効くチョコレート等も同じ棚で売られていた。ギルベールは性病に効く予防薬があると述べ、自ら公開で重度の梅毒患者と性行為を行い、貴族らから大喝采を浴びた。しかし医学部の品位に反するということで除名になりかけ、何度もの裁判を経てその地位を確保した。
このように当時のフランスでは様々な有象無象な薬が生まれ、病が速やか確実に完治するように広告さたため、若者は病気になっても薬で確実に治ると信じるようなありさまだった。売春を助長するものとしてコンドームが生まれた。これは発明したイギリス貴族の名称をとったものとされるが名鑑にはその名はなく、その評判によって名称変更を余儀なくされたらしい。
ー感想
グルダン婦人からラ・カーユ嬢への書簡詩というのが章末についているんだけど、上品ぶった文体(翻訳のせいなのか?)なのにうxことかおxxことか何も隠していない文字が飛び交う不思議なテンション。なんていうかジェイクスピアの古風なセリフまわしの劇に卑語を大量投入したようなっていうか。
さてそんな文体はさておき、当時は効く効かないが不明な怪しげな薬が飛び交い、そして性病になったこと自体は下世話な世間話になっていたと思われる時代感が感じられる。そのなかにもごく少数の慈善家というのはいたけれど、圧倒的多数は品性が下劣そうだなと感じられる不思議な章でした。
実際梅毒の治療は水銀じゃ対処療法だし、抗生物質で菌を殺せるようになるまでは根治は難しいはず。そして治療薬が開発されても怪しげな薬が沸いて出るせいで適切な治療薬が埋もれたんじゃないかと思うような文章なんだけど、揶揄は多いものの結論が見えにくい文である。
『狂える王妃ファナ』について
ーまとめ
神聖ローマ帝国カール五世の母ファナは夫の死に際して悲嘆のあまり気が狂い、夫の遺体を掘り起こして部屋に運ばせ他の女を死体に近づかせないほどだったというエピソードから狂女伝説が生まれた。しかし実際はその最後には類まれなる献身を見せたという証言もある。ファナは再婚の話が持ち上がっても拒否し、三年亡き夫の埋葬を許可せず棺を常に傍らに置いたと言う。
一方で1868年にドイツ人学者ギュスターヴ・ベルゲンロットの発見したファナについての資料では、ファナは父や夫、果ては息子によって監禁され、看守からまで拷問にもにた嫌がらせを受けていたと言う。窓もなく弱いランプの灯りだけの部屋でもファナは正気を保ち続け、しかし幽閉40年に至って幻覚症状が現れ始めたが、そのような中でもファナは自らを閉じ込めた息子への恨み言は一言も零さなかった。
この書簡の真偽については審議継続中。
ー感想
僕はこのファナという人は初めて知ったんだけど、wikiの様子では狂ってるっぽい書き方がされている。wikiの内容が必ずしも正しいとは認識していないのだが(AIの集合知のほうがひど過ぎるので最近参考文献つきのwikiの評価が高まっている)、この書簡の来歴と中身がわからないので真実かどうかはなんともいえないところ。
それはともかくとしてなかなかに運命に翻弄された人だなという印象だ。狂っていなかったとしてもお近づきにはなりたくない感じだし、正気は保っていたとしても政治には向かないタイプだったことは想像に難くない。ところでこのころ女性の地位は低かったという印象だが、女王でも気軽に幽閉できたものなのかな。この本では周りの人間が寄ってたかっていびってたように書かれていて、悪役令嬢ものとかのメイドにまで冷遇されるのってガチであったのかなと思った。
『モードは病気から生まれるのか』について
ーまとめ
モードの変遷にはムード以外の要因がある。
気候条件と関係し、征服民族の影響も受ける。コート、チュニック、半ズボンがガリア人・ブルトン人の服の基本になったのはローマ人に征服された後であり、形や色がかわっても現在まで続くバリエーションはこの征服の記憶に結び付く。モードは支配者によって禁止されたとしても、民族間の交換、移入等を繰り返し続けた。
政治が関係したものでは、軍艦ベルプルの海戦勝利を記念して女性の髪の毛で波を描き大きな帆船型の髪飾りが乗った。18世紀、マリー・アントワネットは好んで簡素な羊飼いの娘の身なりをした。
フランス革命直後の女性は帽子とベルトだけをみにつけてほぼ全裸で闊歩した。冬になっても全裸のモードは継続し、多くの女性が亡くなった。これらの人体を痛めつけるモードに医者や教会は反対し、特に協会は男子の長髪が流行した時には長髪の者には秘跡を行わない等宣言した。
その他、為政者の影響がある。フィリップ善良公が病で自慢の髪を失った時、威信を失うのを恐れて全ての貴族に頭を剃るように命令した。また、ルイ9世の娘は足が大きく、引きずるほど長いドレスを考案した。首の長いフィリップ三世の妻はハイカラ―、足のいぼを隠すために先のとがった靴、曲がった腰を隠すために輪骨入りのペチコートが流行した。シャルル美男公の時代には妊娠を隠すために日ごろから妊娠しているような衣服が流行した。
綺麗な空気、運動、仕事が女性を美しくすると主張するトロシャンは女性に運動や仕事をすすめ、体を締め上げた服にかわって新しいドレス、トロシャンを来た。フランス革命以降は憂鬱は上品なものとなった。上流婦人はその日の肌にあわせて帽子を選ぶ習慣があり、皇后ジョセフィーヌは渡される帽子に憂鬱をかこち、歯並び又は口臭を隠すためにレースのハンカチを流行らせた。
ー感想
この全裸ファッションについてはフックスの風俗史で詠んだことはあるけれど、冬でも続けているとは思わなかった。尾籠な話だけれど障りのある日はどうしてたんだろう、家にこもってたのかな。
オシャレは我慢みたいな言葉はよく聞くが、不自由を超える同調圧力みたいなものがあったのか、当時モードにあわせていないと仲間外れが酷かったのかというときっと両方なんだろうなとは思う。パリコレみてもちょっと意味がわからない服がママあるが、あれがそのままモードにスルーパスされていたとなると、当時のファッション観念は逆に自ら選択する自由がほとんどないに等しいものだったのではと思う。
結果的にファッションリーダーはその素晴らしさではなく権力によって右へ倣えを強制しているように見受けられる。自分のためにファッションを楽しむ、という概念は思ったより近い時代に発生したものだなととみに感じる。というより『自分』という観念が生まれたのは思っているより近年なんだよな。
『宮廷ならびに巷間における鞭打ち』について
ーまとめ
鞭打ちはローマにおいて共和制確立前から行われ、学校の教師は懲罰に生徒を鞭打った。ラケダイモン(スパルタ)では鞭打ちの日があり、高貴な家柄の男子はみな励まされながら鞭で打たれた。耐えることが美徳であった。鞭打ちで死んだ子どもの慰霊のために父親は像を建てた。
エジプトのイシス祭、ローマ人のルペルカリア祭、中世の無辜嬰児殉教祭の深層にはエロい意図と性的興奮が見え隠れする。ルペルカリア祭は神官役の男は鞭を持って裸で歩き回り、掌を見せる女を撃つ(子宝に恵まれる御利益がある)行為の後、何が起こったかは想像を待たない。
デュロールの言うところではキリスト教初期、高位聖職者は贖罪者を鞭打つことで教会と和解させたが、12世紀後半に告解が一般的になってからは、人目のつかないところで鞭打った。破門された人々は赦しを得るために公然と鞭打たれ、時折裸で列に加わり責め苦の道具を持たされた。
聖ベネディクトゥスの戒律では盗みを犯した修道士、姦淫の罪で身を穢した者に鞭を与える。歴史的に鞭打ち苦行者の最初の登場は1260年ごろであり、ペルージャ、ローマに現れイタリア全土に広がった。昼夜寒暖問わず貴族も平民も老若も子どもさえ性器だけを覆った裸身で街頭を往来し各自が革紐の鞭を手にして互いに鞭を打ち合う。やがてその隊列は数万人に及んだ。女性も自分たちの寝室で鞭を打ち合った。この宗派は一世紀後ドイツに現れ以降度々発生し、アンリ三世もこの勤行を激しく行った。無辜嬰児殉教祭では人々はありとあらゆる場所で怠け者を襲って鞭で打った。これは無辜の証に打つのである。
また、教育については平民でも王室でも鞭打ちは権威を持ち、フランス、イギリス、ドイツの皇室でも王子ですら鞭打たれた。
ー感想
イケメン修道士の前に欲情した全裸の女が現れて代わりに鞭うつというのは戒律に裏打ちされたテンプレなのかなって気がしてきた。何故こんなに鞭打ちが好きなんだ。そういえばSMだと鞭打ちがテンプレだけど石抱きとかは聞かないな。まるっと西洋文化なのかな。
それはともかくとして、何故鞭を打つ方も全裸になる必要があるんだろう。ルペルカリアあたりの古代ローマの文化だと、美しい肉体は神の完全性に近づくから全裸なのかもしれないし、女性は基本家から出なかったから貴重な乱パという側面もあっただろうという気がするけれど。でもキリスト教の鞭打ちはどちらかというと姦淫の戒めのはずなのに、何故全裸。唐突にエクスタシーの語源が『魂が外に出る』なことを思い出した。
まとめ
全体的に、著者がフランス人なんだっていうのがわかるもってまわった装飾的な言い回しで、高尚な感じを醸し出そうとした雑学ゴシップみたいな感じを受ける(多分それで狙い通りな気はする)。端的な文章が好きな僕には少し苦手な文体である。面白いかというと興味深いのだが、出典は示されてもそれを牽強付会したようなイメージが付きまとう。つくづく西欧人の感性とは日本人と違うところを歩いているなという気がした。
小説に使えるかというと、風俗という意味では興味深いものの肝心の時制がとてもあいまいなんだ。この章がいつの時代の事なのかというのが文章からぱっとわからないから使いどころが難しい。歴史ものをかくには致命的。異世界で変な祭りとか変な文化をガリバー旅行記的に使うなら悪くないのかもしれない。
4.結び
今読んでる『中国の孝道』という本でも親は子を当然鞭打ち、子は打たれるものだと当然のように書いてあるので、今の文化とは断絶しているけれど全世界的に当然のものだった気がする。日本はどうだったのかな。江戸時代の教育の本を何冊かもっているけれど、思い出したら確認してみよう。
それはそれとして、西欧人が文化的に他人を尊重しない(自分中心な)のは一神教だからなのだろうかと最近思うことがある。神のもとに平等ということは、絶対者神以外は大切ではないという考えに繋がりやすいかもしれない。奇妙なのは告解とか免罪とかいうシステムだ。これがシステムに組み込まれているということは、最終的に罪を犯しても許されるという思想が根底に横たわってる気がする。原罪という概念もしかり、人は罪を追っていて、信仰によってそれが許されるから結局、何をしてもいい。他人の苦痛を自らの苦痛(鞭打ち)で代替するシステムは、被害を受けた他人を何も救わない。つまり他人は最終的に救われなくていいという結論に至りやすそう。
次回はリクエストいただいた飯島建男監『ジャパネスク RPG幻想事典 日本編』です。
ではまた明日! 多分!
リクエスト企画
蔵書が6000冊に達したので、読む本を5冊までリクエスト受け付けます。6/17現在おひとり様ご予約。残り4冊分。↓にDBの短縮URLをおいているので、リクエストがあればこちらからご連絡ください。
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