本雑綱目 29 村上泰亮 文明の多系史観 世界史再解釈の試み
これは乱数メーカーを用いて手元にある約4000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。
今回は村上泰亮著『文明の多系史観 世界史再解釈の試み』です。
中央叢書の978-4120028168。
NDC分類では歴史>論文集. 評論集. 講演集に分類しています。
1.読前印象
表紙は単著っぽいけど論文集なの? という疑問はさておく。
タイトルからはなんとなく、現存の勝者が綴る歴史を第三者や発掘物やら古典籍の余事記載などから浮かび上がらせて多分文化相対主義的に歴史を別の角度から見直す、という本ならいいな。新解釈こそ歴史の面白さ。
価値対立のある世界史というと十字軍のあたりとか大航海時代のあたりとかが浮かぶけど、きっとどこでも面白い。
はりきって開いてみよう~。
2.目次と前書きチェック
1部が『批判的歴史主義に向かって』で、20世紀になって生じた歴史観の捉え方の変遷から始まり、どのように歴史を分類するかという分析方法について述べられ、農業、文明の恒常性と多様性、日本史の特殊性と続く。
2部が『二つの封建制』で、中世(多分世界史)の定義から始まり封建制の地域差、それから日本の封建制の特徴、イエ社会に話は移る。
考えていた多角的な歴史検証ではなく、むしろどのように歴史を捉えるかと行った大枠について述べる本っぽい。サブタイを見ると世界史再解釈の試みなので、内容には合致している。思ったより日本史に割かれている部分が多いな。
1部7章『転換する歴史観 発展理念の方法論的批判』、2部二つの封建制から第二節『封建制の定義』を読んでみることにします。封建制というものをざっくりとしか理解していないことに気がついた。
3.中身
『転換する歴史観 発展理念の方法論的批判』について。
もともと西洋の歴史観は『歴史は発展するもの』という観念を前提として考えられていて、デカルトやユングを引き合いに出して哲学等の進展をベースに個人の認識の発展、その意識の構成を発展と捉えるというような精神医学的な分類をしている。
これが旧来の人間中心主義からの発想で、そもそも集団より個人を重視する前提なので西洋的な価値観だなとは思うものの、そもそも国家や宗教、歴史を紡ぐというのはマス的なものだから身分問わずの個人の内面構成を起点にして何の意味があるのかと疑問に思う。社会=個人ではないように、個人=社会でもないような。
この本から離れるけど、この次に出てきたのが多分ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』で、これらの3つの人類の生死に関わる一大局面において影響を及ぼす武器と病という他原因が、どのように文明と常識がを変革していったかという視点のほうが納得しやすい。読み直そうかしらん。
『封建制の定義』について。
日本は中国の、ヨーロッパはローマの制度をモデルにして土地の分配制度を組み込んだが、それはオリジナルとは少し異なっている。これらの文化を取り入れた先進国である中国(唐)やローマは当時すでに弱体化していたこと、日本古来の土着宗教(神道)あるいはキリスト教に基づく比較的均一な文化体系が存在していたこと、海という境界で区切られあるいはゲルマン人の移動もおさまりその範囲で文化的に孤立しているまたは動きがないという各状況下で、日本とヨーロッパにおいてそれぞれ特異な制度が発達したことが述べられている。
そのような中で人間相互に生じる関係を脅迫、取引、共感としている。
全体的に、頭の中で組み立てた理論な気がする。読んだのは部分的だけれど、ベースにしている概念がどうも仮想的でそこをスタート地点にしていいのかというそもそもの疑念が湧くものの、これは今読んだ感想なので、当時は当然哲学を歴史の進展の基礎とするのが常識だったのかもしれない。なんか不安定だ。
小説には多分役には立たない。人生何でも小説には役に立つものだと思っていたけれど、初めてそうでもないかもと思ったかもしれない。それからこれは論文で、ある程度論文的な文章を読み慣れてないと読みづらい気はする。
4.結び
全然文化相対主義の話じゃなく、むしろ再解釈して新しい固定の見方をしようという空気が湧いた(本末転倒。新しい考え方『をしよう』という考え方は、常々拡張性が乏しいと思う。読んだのはあくまで一部なので、全体を読んだら印象は変わるかもしれない。
次回は富士川游著『日本医学史綱要1』です。
ではまた明日! 多分!
