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本雑綱目 63 栗林一路 登山家の古典散歩

今回は栗林一路著『登山家の古典散歩』です。
新潮選書、ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106002892。
NDC分類では910、文学>日本文学に分類しています。

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

★図書分類順索引

1.読前印象
 新潮選書には表紙に著者のトークがあるので完全な読前印象というわけではないのだが、それを読めば山というものは神の住処、だったり祖霊の眠る奥つ城、落人の隠れ家、芸能風流、近世になれば富士講などの信仰の場となった、みたいなニュアンスの本だろうか。
 続日本紀とか富士山記なんかの記載は面白いし、不老不死の薬というのは竹取物語なんだろうけれど、山というものは古来から聖なるものとして信仰を受けていたはずだ。それは修験道という形をとって現代に残ったりしていたけれど、幕末に英国大使のオールコックが富士山頂で祝砲を上げたりシャンパンあけたりして科学の光に照らされてから急速に霊性というものを失っている。でも多分メインは江戸中期より前な気がする。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック
 はじめにを読む。古典は学生の頃はつまんないけど年を経たら面白みを感じるようになった。著者は登山が好きだから昔の人が山についてどう考えているか気になって古典を開いてみたそうだ。なんとなく山の物質的・精神的な美しさ推しな気がするので、好みから外れるかもしれない。
 目次は『1 古代の山と自然(8~9世紀)』の中に古事記、日本書紀、唐詩選、論語、老子、竹取物語、万葉集、抱朴子、『2 王朝時代の山と自然(10~12世紀)』の中に古今和歌集、易経、法華経、土佐日記、枕草子、源氏物語、今昔物語集、『3 武家時代の山と自然(13~14世紀)』の中に平家物語、方丈記、徒然草、山家集、往生要集、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍、『4 芸能時代の山と自然(15~16世紀)』の中に能、絵、茶、庭、花、『5 町人時代の山と自然(17~19世紀)』の中に自然現象、芭蕉、養生訓、自然真営道、玄語、学問ノススメ、北越雪譜、日本風景論、西蔵旅行記、日本山水論が入っています。こういう分け方って斬新でいいな。
 1の中で論語、竹取物語、万葉集、抱朴子、3から日蓮を読んでみる。それぞれの書籍に軽重はあるけど1つあたりが短い。修験道的な本がないのが結構意外だな。諸山縁起とか修験五書とか。あれ? でもマイナーすぎる? 続日本紀も?

3.中身
『論語』について。
 孔子は自然ではなく人との繋がりのみで山を理解している。論語に泰山の記載があるが、季氏が泰山で祀ろうとした際、弟子に泰山で祀るのは周の子孫か魯の跡継ぎでなければならない、何故止めなかったのかと述べた。
 これはまあ礼の話ではあるけれど、孔子が強固な周推しだったからな気がする。

『竹取物語』について。
 富士山の初出が竹取物語だとバンと言い切ってるけど続日本紀のほうが早い。富士という漢字以前も検討すれば常陸国風土記で福慈と書かれたのが初出で、万葉集にもいろいろな漢字で富士は表されている。
 竹取物語をひいて帝が富士山を知らなかったというけれど、落ち着け、これは物語だ。そもそも正史である続日本紀に富士は書かれているし、当時富士は噴火していたから知らないはずがない。また、富士登頂より青木ヶ原樹海踏破が大変だっただろうと書いてあるけれど、青木ヶ原が発達したのは8世紀末の貞観大噴火の溶岩流の上にできたものだから、竹取物語ができたころの状況は必ずしも現在と同じかというと悩ましい。なんとなく今の富士を前提にしているようだけれど、江戸末にも宝永噴火があったりと、山の結構形は変わってるよね。山辺赤人が富士を信仰の対象として咏っているのに違和感があるというけれど、富士が信仰の対象である歴史はそもそも長いはずなんだけど。
 蓬莱山についてはどうコメントしたものかわからないが、中国の仙人は別に老人の姿というわけではないと思います。

『万葉集』について。
 奈良朝のころの遷都について運搬に適する川がないからと書いてあるけど、水に関しては平城京の遷都理由は佐保川の生活用水汚染も大きいといわれているしなんだか微妙な気分になってきた。そもそも他の大きな点として仏教・豪族勢力との切り離しとか祟りよけとかもあるけれどさ。
 風水というのは地形による。中国の風水と平安京造営の際の風水はずれる(細かいところは調べないとだけれど、中国から入ってきた造営術というのは少し疑問。唐の長安城をもとにしたのは平城京もそうだし)。

『抱朴子』について。
 抱朴子をはじめとして、仙人について色々書いて、山というのは崇敬の対象となっていたと記載され、古代の山は仙人が我が物顔で跋扈していると占める。これはまあ、古代だけでもないんだけど。

『日蓮』について。
 富士川についてこの程度の急流はどこにでもあるという。現在の富士川は水流調節や発電用水で穏やかになっているけれど、日蓮の時代にはそれは厳しい川だったはずだ。

 全体的に、著者は現在の自然環境が古来から変わっていないような感じで書いているけれど、火山は噴火すると地形は変わるし川も治水によって流れは変わってくるのだ。そもそも竹取物語って著者不明で成立も8世紀から10世紀半ばと幅があるから、これを初出と呼ぶのは無理がある。そうすると、これはアルピニストが山を眺めながら古典を読んでみた、くらいでその情報の正確さには極めて懐疑的、ではあるけれど、登山家視点というと面白いには面白いかもしれない。それにしたってあまりに現代の価値観で書きすぎてるきらいはある。
 小説に使えるかというと、現代の山河の状況を前提とするならまあ、という感じはする。この本を元に過去の歴史を描くのはリスキーすぎるのでやめたほうがいい。

4.結び
 僕も歴史は専門じゃないんだけどさ。これ、校正さんが字句校正しかしてない奴だ。竹取物語の成立がいつかとか富士の初出なんてgoogleで調べてもすぐ出てくる。個人の感想というかエッセイとしては別に気にならないんだけど、結構な部分で言い切り型なので、ちょっとどうなのかって思った。エッセイとして読むと悪くはないんだけど、これをすべて正しいと思って読むのは危険だ。
 次回は小泉武夫著『発酵食品と戦争』、です。
 ではまた明日! 多分!

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