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本雑綱目 62 郭伯南他 中国文化のルーツ 下

今回は郭伯南他著『中国文化のルーツ 下』です。
東京美術出版、ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4808705510。
NDC分類では222、歴史>中国に分類しています。

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

★図書分類順索引

1.読前印象
 下ですので、上は鑑みない。
 日本在住の中国人が著者なので、期待が持てるようなかえって期待が持てないような。表紙に見出しが書いてあるので書出してみると、精進料理、餃子、味噌、塩、はし、耳かき・爪楊枝・孫の手、扇、傘、枕、下駄、胭脂、走馬灯まわりどうろうと書いてあるので民具的なルーツの話かな。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック
 上ではないのではじめに的なものはなかった。
 1部は『茶』、『酒』、『氷』、『膾』、『北京烤鴨』、『豆腐』、『精進料理』、『餃子』、『味噌』、『塩』、『はし』といった食べ物や食卓関係、2部は『耳かき・爪楊枝・孫の手』、『扇』、『傘』、『枕』、『下駄』、『胭脂』、『走馬灯まわりどうろう』といった日用品関係のようだ。
 烤鴨と書くのは台湾式だったような気はする。胭脂えんじは化粧に使う紅のことだ。
 茶は初出は爾雅じがで、四川南部あたりが発祥でもともと固形の茶で高級茶路線だったのを皇帝が廃止したとか酒はもともと白酒が走りだとか、断片的なことは知っているけどルーツと言うとよくわからないな。
 小説を書くときによく出てきそうな『茶』、『酒』、『氷』、『豆腐』、『塩』、『扇』を読んでみよう。

3.中身
『茶』について。
 茶書の始めは茶経であり、四川南部に二抱えもある茶の大木があった。茶が特に多い雲南では現在も高さが30メートル、直径2メートル近いものがあるそうだ。でかいな。染色体解析をしたところ、最も古い種は四川省金仏山きんぶつさんの野生の大葉茶で、その次は雲南省双江そうこう、同省慶豊けいほうと台湾、アッサム、海南島、ベトナムの順だそうだ。
 巴蜀の茶は先秦から西晋にかけて茶の木及びその飲食物として流行する。三国時代には南中の茶は名産として中華に広がりをみせ、様々な文化を生んだ。
 一方で黄河流域では茶は南方のものと忌避されていたが、統一王朝隋の文帝が茶を好んだために広まり唐時には風習となった。そのころ長城近辺で茶葉交易が行われ、ウイグル人を始め蒙古、契丹、女真等にも広まる。唐初に文成公主がチベット王に嫁したときに茶も広まった。
 茶道の創始者は茶経の陸羽りくうで、煎茶法を始める。五代にかけて点茶に発展し、湯戯(泡立て抹茶)が生まれる。宋では餅茶(固めた茶、長期保存・運搬に適する)を用いた闘茶が流行る。
 宋代になると散茶(今の形式の茶)が盛んになり花茶(工芸茶)が作られ、明代中期に紅茶が生まれる。不発酵茶が緑茶、発酵茶が紅茶で、半発酵茶である烏龍茶が生まれたのが百年ほど前。
 意外にも化学的な検証からはじまり、様々な書をひきながらその時時の茶の楽しみ方が記載されていて面白い。

『酒』について。
 酒は双溝鎮下草湾で発見された五万年前の古人類の猿酒。猿人が果物によって酒を作る。穀物酒は上帝のころ残飯から酒が作られたとされ、黄河では粟、長江では秈稲うるちが七千年余り前から作られた。六千年前の大汶口だいもんこう及び竜山遺跡、七千年前の河姆渡かぼと遺跡ではすでに酒器が発掘されている。麹は三千四百年前の商代の作業所から発見された。それ以前は口噛み酒のようだ。
 また、五千年前の遺物から高粱を用いた焼酎、戦国時代の中山古酒に繊維状の物が漬かっていて薬酒の可能性がある。果実酒とビールは最近。
 主に遺跡遺物からのもので文化には触れられていないが、古代の酒が信仰と絡まっていて面白い。

『氷』について。
 三千年前の詩経に氷を穿ち凌陰氷室に納る的な記載があり、その頃から氷が貯蔵されていたと見られる。陳西で春秋時代の秦の凌陰が発見されていること及びその規模と機構。凌人は周代に天使の氷に関する仕事をしていた人々だ。
 凌陰は商代にはあったが、孔子の発見した夏小正(夏の暦法)を見れば夏にあってもおかしくはない。周から宋まで司寒の神は北方神玄冥げんめいであったが清朝末に氷室は済顚さいてん和尚に変化した。氷を取り出す時に供え物をするが当初は玄冥を表す黒羊と黒黍に変えて子羊と韮を供する。
 古代宮廷には氷厨があり、凌陰の氷は主に食糧保存に使われていた。越絶書によれば南方の呉越にも氷室があった。
 アイスクリームはマルコ・ポーロが元朝宮廷から持ち帰ったとする説がある。宋代の陳基の記載では宋代から氷酪と呼ばれ、存在したようだ。
 亜熱帯な呉越に氷室があったというのがすごい。長江を通って四川あたりから運んだんだろうか。まさに王侯貴族の贅沢感。

『豆腐』について。
 南宋朱熹の豆腐の詩で前漢の淮南王劉安の豆腐づくりの記載があるので豆腐は前漢からあると言われるが、袁翰青は淮南子に豆腐に類する文字はなく宋の本草衍義ほんぞうえんぎに記載があるから五代に豆腐作りが始まったとする。篠田は清異録せいいろくに豆腐の話があるため唐からだという。
 文献的には唐が上限だが、考古学的には後漢墓に豆腐屋の石刻がある。漢代にはすでに引き臼があり、豆腐を製造する設備は存在した。豆腐作りに用いられそうな古い石臼が中山王劉勝の墓から出土していて、淮南王の時代と合致する。
 にがり等の凝固剤がないという反論もあるが、煮豆汁は一定の気温があればにがりがなくても凝固する。豆腐とは何かという案外深い問題かもしれない。

『塩』について。
 中国の古都は塩の産地の近くにある。塩を巡る争いは多く、秦は楚の塩泉を得るために縁故や武力など手を尽くした。
 中国の海塩は黄帝炎帝時代の宿沙が煮海を教えたのが始まりで、復権の新石器時代の出土品に塩を煮る器があり、紀元前二,三千年ごろから製塩していた。池塩は山西の解池の塩。唐代になると天日製塩での大規模塩田が始まる。
 岩塩は新疆、青梅、雲南に多く、後漢の設文、礼記にも記載があり、紀元は三千年以上前。井塩は戦国末に李氷が塩田を開いたとある。
 塩商売はビッグビジネスで、斉の桓公は塩商の管仲の建議を採用して国家専売として巨利を得たことを始め、貴族豪族がどんどん塩を作って制度が乱れたため、漢武帝は塩の買い上げから販売までを国家管理とし、匈奴戦の資金源とした。桑弘羊との塩鉄論とか好き。
 塩は味付け、防腐の他医薬としても用いられ、様々な詩を生み出した。少数民族の塩に関する風習について。

『扇』について。
 史記では舜が五明扇を作ったとあり、扇には四千年の歴史がある。これは権威を示す巨大なものだ。イメージ、奴隷が王様を扇ぐような大きなやつ。夏代禹が簡素を唱えて使用が禁じられたが、殷の王武丁が雉の尾羽で作った雉尾扇を使い始める。普まで続くが、南北朝の頃には精巧な小扇になっていた。
 先秦のころの偏扇は四角い旗のような形状で手の中でくるくる回して使うものであり、現在も新疆等で使われている。漢武帝のころからは偏扇に加えて絹を張った団扇が始まり、普まで続く。φの形をしたイメージのやつ。
 諸葛亮が持っていそうな羽扇は三国以降の西普のころが始まりで、諸葛亮が使っていたのはいわゆる羽毛扇ではなく毛扇である。折畳扇、いわゆる扇子は日本から来たもののようだ。宋代に現れ明代に大量に作られた。

 全体的に、豆知識としても面白かったし、意外な歴史がしれて面白かった。様々な方向性から検討がなされ文献で、出土物ベースに書かれている部分が結構あるのがよい。何でかわからんけど、歴史学者と考古学者って対立してることがよくあるなと思う。
 興味深いので結局上記に上げていないものも含めてざっと全部読んでしまったけれど、中国の歴史をある程度しらないと(高校世界史+α)、話題についていけない気はする。淮南子とか越絶書、五代や呉越とかが解説なしに普通に出てくる感じ。
 小説に使えるかというと、悩ましい。文化に膨らみが持たせられるけれど文章上に乗せるには追加調査が必要な程度には荒書きだ。結局のところこれは歴史の本であって、当時の習俗として用いるにはピックアップすぎる気はする。その時代の時代感、というものを強く出すには帯に短し襷に長し。

4.結び
 わりと読みやすくて面白かったからざっと読んでみたけれど、例えば膾の歴史を知っても何を書くのかっていう。そういえばやっぱり膾の話だと孔子がでてくるんだけどさ、子路のエピソードは出てこなかった。なんとなくこういう知識は都度必要性に応じて調べるものであって、頭から読むものではないと思う。必要性がないと読んでてもあんまり印象に残らないんだよな。
 次回は栗林一路著『登山家の古典散歩』、です。
 ではまた明日! 多分!

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