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本雑綱目 85 J・G・フレーザー 火の起原の神話

今回はJ・G・フレーザー『火の起原の神話』です。
角川文庫 リバイバル・コレクション K 68、青江舜二郎訳、ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4043204014。
NDC分類では933。文学>小説. 物語(英米文学)。
前提知識必要度(神話・民俗学):★☆☆☆☆

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

★図書分類順索引

1.読前印象

 え、これ社会科学じゃなくて文学に分類されてるんだ……。面白。
 なおこのシリーズのNDC分類は基本的に国会図書館の分類を参考にしている。フレーザーは社会人類学者と一般には言われているけれど、図書館派というか文献派というか、フィールドワークではなく図書館に集まった文献ベースに比較研究した人で、そのため実際の文化とは隔たりがあることも多い。そのため分類としてはリサーチではなくフィクションと分類された、と考えるとなかなか感慨深い。代表作の金枝篇は163で哲学>原始宗教. 宗教民族学だから、この本はよりフィクション感があるのか、考察なしの火の伝説集なのかなと思った。全集とか説話集は小説カテゴリに入ってるから。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック

 まえがきを読む。
 神話は原始時代から人間の心情を構成するもので、後世の哲学となる。現在は科学が神話にとってかわったとはいえ、哲学や科学分野を完全とするには未発育状態における人間の思考の記録としての神話学は必要だ。そういわれると、そうなのかな。
 序論を読む。
 記録に現れている限り、火おこしをしない民族はおらず、多くの物語で先祖が火を知る描写を持つ。しかしこれら物語は現実に起こった出来事ではなく、初期の人間がその始まりを推測して作り出したストーリー、つまり神話だろう。神話を考えた人の精神状況を検討し、そこでどのような地域でどのような物語が紡がれたかを紐解く。
 目次は『タスマニア』、『オーストラリア』、『トレス海峡諸島とニューギニア』、『メラネシア』、『ポリネシアとミクロネシア』、『インドネシア』、『アジア』、『マダガスカル』、『アフリカ』、『南アメリカ』、『中央アメリカとメキシコ』、『北アメリカ』、『ヨーロッパ』、『古代ギリシャ』、『古代インド』、『要約と結論』。インドネシアはアジアじゃないと考えたのか、アジアの中でも特異と考えたのか、場所わけの基準がよくわからないな。ギリシャはプロメテウスさんでインドはアグニさんなんだろうけど、そういえば前に何かの本で光と太陽と火は直結するかみたいな話があって気になっているので、インドは残そう。
 『タスマニア』、『アジア』、『マダガスカル』、『アフリカ』、『南アメリカ』、『古代インド』、『要約と結論』を読むことにします。

3.中身

『タスマニア』について
 オイスターベイ族(以下、部族)では2人の黒人がやってきて星のような火を投げ、それから火が消えることはなくなった。夫に逃げられた部族の2人の女が海でアカエイに殺され、黒人はアカエイを殺して火をおこしてその両側に女を置き、女の乳房の上に青アリを置いて嚙ませると痛みで生き返った。2人の黒人はふたご座の二重星になり、女も星になった。
 やけに女が死んで行き返る描写が具体的なのだが、この辺は呪術的な文化なのかなと思う。タスマニアの文化って全然知らないなぁ。

『アジア』について
 マレー半島の密林の小人セマング族原始メンリ人はマレー人が赤い花を囲んで輪になり手をかざし、火を起こしてその中にララング草を置いた。牡鹿が背にその燃えさしをつけて家に持ち帰ったが、牡鹿は火を盗まれることを恐れて火を高所に置いた。ところがキツツキが火を盗んでメンリ人に持っていき、これは火で、牡鹿が追いかけてくるから注意しろという。キツツキが言う通り追いかけてきた牡鹿に槍を刺し、牡鹿は火を失うかわりに角を得た。メンリ人はキツツキを殺すことはなくなった。ココナッツザルが雷神カレイから火の燃えさしを盗み、大草原に火をつけ、みんなが河に飛び込み下流に向かったのがマレー人であり、残って髪を燃やされたのがオランウータンである。そのほかシャムのタイ族、ビルマのカチン族、中国、南シベリアのダッタン族、北シベリアのヤクート族、南シベリアのブリアート族、アッサムのチャンガ人、バルチスタンのロリ人、セイロンの火の始まりの話。
 アジア広い。割合的には神から何かが仲介して火をもらうか火のつくり方を教えてもらう話が多いように思う。多神教だと直接神に襲われることもあるけれど、この仲介というのは多くの宗教でみられる事象だ。キリスト教では神の子であるキリストという人間と神に連続性を持つ存在が仲立ちするし、たいていの民俗宗教は精霊(ブードゥー教のロアとか)、動物(この話のように)といった人以外の存在が神との間を媒介することが多い気がするけれど、古代に広く行われた沈黙交易(対面せず中間地点に物を置き、納得するものと交換していく)や蝦夷のアイヌが和人と中間地帯を置いたように、宗教外でも見られる人の営みのようにも思われる。今はあまり見られないけど自身と異なる存在に対しては直接対峙しないのだろう。そうすると、神の多くは自己より強い外側のコミュニティを指す、のかな。というSFを書くと面白いとは思うんだけど。以降、前半の解説について複数の民族に話が渡る場合は最初の数話(普通は重要と思われるものを最初に持ってくるので)を紹介し、残りは民族名をとどめるのみとする。

『マダガスカル』について
 アナララバに住むサカラバとトシミエティ族の話では、火は太陽が人々を守るためにくれた兵隊だったが、雷と戦いになった。雷は炎を蹴散らしたが消すことはできず、炎は集まって大きくなり反撃した。戦況は硬直し、雷は友人の雲の背後に隠れ雲が雨を降らせると、火は木や石などの中に隠れた。そのため、火は摩擦や衝撃によって引き出される。
 自然現象の観測と合致するところが面白い。マダガスカルって雷が多いのかな。

『アフリカ』について
 ベルグダマラ族では、男がライオン小屋に燃え木を盗みに行き、ライオンの子を火に突き飛ばしてその隙に燃え木をもって逃げた。トンガ族は初まりの人間に「光る燃えカスを貝殻にいれて持ってきた者」という意味のリララフンバという名をつけた。持ち逃げされたソノ族と戦争になったが、火で料理した食べ物を食べて強くなり打ち勝つ。バイラ族ではメーソンワスプは神の地に到達して火をもらったという伝説がある。そのほか、バルバ族、バクバ族、バンゴメノ族、ボロキ族、バコンゴ族、ロアンゴ族、エコイ族、レンドゥ族、キクュ族、ワカッガ族、シルク族の話。
 メーソンワスプの話も詳細を略したけれど、メーソンワスプは祝福を受けて子を作る必要がなくなった。物語では命の描写がとても軽いので、物から自己の複製を作り出せるようになる(概念)というのは尊いことなのかもしれないけど、ニュアンスがよくわからない。それぞれの話の中には穏やかな話もあるものの、トンガ族の話などは火を盗んでその火で強くなり、取返しに来た他族に打ち勝ったことを誇るという現代倫理とは真逆をいく力の正義な話で、現代の倫理観念、というか他者や弱者への配慮の一般化は近代に再造成された価値概念なのだなぁと改めて思う。忠臣蔵もそうだけど、滅多にない美談だから残るんだよね。

『南アメリカ』について
 パラグアイ・チャコのレングァ・インディアンは鳥が蛇(餌)を木の近くに置くのを繰り返しているのを見て近寄ると、その木は燃えており、蛇を食べると美味かったので持ち帰った。蛇がなくなっていることに気が付いた鳥は腹を立てて人間に雷雨を浴びせたから、雷は鳥が怒って人を懲らしめようとしているのだといわれる。この話を記録した宣教師は、インディアンは摩擦によって火ができるのを知り雷を恐れないので、彼らが何故この話を信じているのか不思議だと言う。グラン・チャコのチョロチ・インディアンとタピエテ・インディアン、マタコス・インディアン、ボリビア・グラン・チャコのトバ・インディアン、ケープ・フリオ近くのトゥピナンバ・インディアン、キシング河のシパイア・インディアン、中央ブラジルのバカイリ族、ガラオ・パラ州のテンベス族、北ブラジルのアレクナ・インディアンとタウリパング・インディアン、ギアナのワラウ・インディアン、東エクアドルのジバロス族の話。
 著者はレングァ族の話を雷は巨鳥が羽ばたくときに起こるのがアメリカ・インディアンに共通する考え方だと書いてるけれど、母数がでかすぎるだろうというか、この辺が多分フレーザーが図書館派と揶揄される所以なんだろうなと思う。書物には限界がある。見たものと著者と読者の間で何段階もあるから。ただマラカイボ湖のあたりだとカタトゥンボの雷(地形効果によってこの世の終わりかというレベルで雷が落ちる地域)があるから雷自体が神性を持ち恐れられてはいるのだろうとは思うけれど、あの辺に住んでる人間もいるからその部族の神話が知りたい。ところでここに書かれたものだけを前提とすると、火が鳥に結び付けられる割合が高いようには思う。対置するものとしてカエルが人間の味方に出てくることも多い。カエル多いのかな。それからちょくちょく、世界が火で包まれているのは興味深い。

『古代インド』について
 火の第一の功能は神々に捧げた供物を焼き尽くすためのものである。リグ・ヴェーダでは火はマータリシュヴァンによってもたらされたとされる一方、アタルヴァ・ヴェーダでは彼は浄化の風の神であり、ズレる。マータリシュヴァンは根源的には地上に火をつけた電光の擬人化であるとすれば、ギリシャ神話のヘパイストゥスが天から落ちた神話も同様の根源だろうけれど、ヘパイストゥスが火を人間に与えた神話はなく、人に火を与えたのはヘパイストゥスの炉から火を盗んだプロメテウスである。
 アグニの話じゃなかった(でてくるけど)。インドは神話が纏まってるから短いな。インド神話についてはあまり詳しくないが、インドの神様は複数の姿と性質を持つから火と風でも別におかしくはないと思うんだけど。というよりギリシャ神話の項目は読んでないのだが、そもそもヘパイストゥスが落っこちたかどうかは別として火は世界に存在していて、ゼウスが後付けで人間に火を使わせないようにした(たぶん呪術的に)のを、呪術的にプロメテウスが火を人間に渡したから罰を受けた、という解釈ではだめなのかな。

『要約と結論』について
 人類と火の関わりは、①火を使うことあるいは存在自体を知らなかった、②自然現象としての火を知り体を温め料理をしたが火の作り方をしらなかった、③火のつくり方を発見したがその方法は現在あるいはごく最近まで未開民族に一般に行われていた方法に留まる、の3段階と3時代にわけられる。①の時代では食物は太陽で温め、腋で温め、口で柔らかくするなどしたが、熱いものが食べたいと望むことは人間の本能だろう。②の時代では大火事から始まり火は神に結び付けられた。火の起源を太陽や月、星等に取りに行く話とするものもあるが、多くの話の中で人間に最初に火をもたらしたのは特別な鳥や動物である。何故人より先に動物が火を得たかという疑問の答えは、神話の第一の意図が動物の性質や特徴を説明するためのものだからだ。未開人は人間と動物の区別ができず、同じ知能があると考えた。山から登る煙や地底から火を持ち帰った話は火山に関係するだろう。③の一般的なものは摩擦であるが、木と石にわかれ、神話では木がはるかに多い。錐もみ、のこぎり、犁(棒と刻み板)の3つの方法があるが、錐もみが未開部族の中で最も広くいきわたり、神話にも多い。バソンゴ・メノの話では魚とり罠を作る為に先のとがった棒で穴をあけるうちに火がでたように、金属の発見までは木で木に穴をあけていたから、何度となく偶然発見されただろう。この行為は神話ではよく性行為に結び付けられる。文化が発展した民族の神話では火打石と鋼鉄で火を起こすものが現れる。
 要約と結論のはずなのに延々とこれまでの神話のまとめが並べ立てられていて目が滑るやつ。ざっと見渡すには悪くないのかもしれないけれど分類されずに並んでるので一覧性がかえってない。

 全体的に、場所によってある程度傾向があるんだなというのはわかった。それは文化の伝播性の問題でもあるし、他にも文明が発展してくれば神話が整理・体系づけられてくるのもなんとなく理解する。それでそもそも論に戻ると、国立国会図書館のこの本の分類は社会科学ではなく小説なので、これをまるっと鵜呑みにするのはよくないんじゃないかなという危機管理。読前印象に戻ると、考察なしの物語集として小説分類にあるんだな、多分。
 小説に使えるかというと、小説としてはアバウトすぎて難しいけれど、童話を作るのなら参考になるかもしれない。適当に短くて、適当に教導的で、適当に親切だったり不親切だったりする話が多いから。でも別にこれをベースにしなくてもとは思う。ネタが切れた時とかに読む分にはいいかも? うーん。

4.結び

 動物が介在する神話は確かに多かった。ひょっとするとが驚異的な自然現象という事象を超えて、神という存在が具体的な概念として発明されるまでは、動物こそが神性を帯びる身近な外部存在で、その時点では未だ抽象的な神を人格的な存在として認識できなかったのかもしれないと思う。だから僕の感想としては、仲介すべき動物自体がその時点の神で、文明が育ちもっともらしい神が生まれた後に後付け的に動物の向こう側に神が配置されたことによって、動物が仲介するように見えるようになったのではないか。けど文化人類学は専門外だからよくわからないなあ。興味はあるんだけどさ、結局どこまでいってもはっきりしない話はなんか縁が遠くて。僕もフィールドワーカーじゃないしな。
 次回は朝河貫一『日本の禍機』です。
 ではまた明日! 多分!

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