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本雑綱目 93 梅棹忠夫・吉良竜夫編 生態学入門

今回は梅棹忠夫・吉良竜夫編『生態学入門』です。
講談社学術文庫 78、ISBN-13 ‏ : ‎978-4061580787
NDC分類では468。自然科学>生態学
前提知識必要度(知識チート系ラノベ):★☆☆☆☆
1976年の本で古いので、現代の知見とはずれる可能性があると思われる。最後まで書いて戻ってきて、読む前提に僕に誤解があったので、ご留意ください。

これは乱数メーカーを用いて手元にある約6000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

★図書分類順索引


1.読前印象:梅棹忠夫・吉良竜夫編 生態学入門

 少し混乱してるのが、梅棹忠夫って僕の認識では民俗学の人なんだよね。でも狩猟とかの本も書いていたような、気もする。生態学というのはあまり詳しくないけれど、生態というのは各個別の生き物の生態ではなく環境要因等の地理・社会的な関係性の話だろうか。やっぱりよくわからない。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック

 まえがきを読む。
 1951夏頃、著者梅棹忠夫は大阪市立大学で動物生態学を担当していた。巻き込まれて思想の科学研究会の会員となり『人間科学の事典』の編纂に参加し動物生態学の主担当となった。当初、和辻哲郎著作風土で有名になった風土という言葉が割り当てられたが、風土では哲学的なアプローチしかなさないため科学的アプローチのできる環境に変えた。その後当該事典は発刊されたが、これを再生したものが本著である。生態学の入門としては少し難しいかもしれない。近代生態学の理論体系が進行するのは1920年代だ。日本の生態学には職人的綿密さはあるが理論的精密さに欠け、生態学的世界観構築というスケールの発想もなかったところをフィールドワーク等によって開拓したのが今西生態学であり、師事した今西派を前提に書いている。生態学は生活体と環境との相互関係を研究する科学であり、日本では環境問題が主として公害という形式で発達したため、自然界秩序全体としての発想は一般的ではないが、環境問題を考えるにあたっても必要な視点である。
 わりに散漫な文章だなとは思うけれど、梅棹忠夫が生態学から始まり比較文明論とかに移動したと認識した。そういえば生態と環境はだいぶん被る概念なのに、僕もあまりリンクして考えていなかった気がする。
 序説を読む。
 人間理解に自然・世界と対比するのも一つの方法で、遺伝的連続を辿る発生論的方法と、他との関連つまり自然における人間の役割や構成要素を明らかにする機能論的方法がある。生活する主体に対し機能的連関をもつ事物は環境と呼ばれる。主体と環境を別々と考える考え方は誤りだ。生物生態学は人間と土地を一つのシステムとして発展可能性に応じて評価するという欲求から生まれた。これによって世界は大類型の自然地域に整理されたが伝統的な共同体把握に基づく一面的なものであり、今西のすみわけ原理を根幹とする生物社会理論は伝統を異にする生態学と動物社会学を結合した。動物社会学の発展について。
 吉良竜夫が書いたと思われる序文はどことなく概念的で、素人には具体的な例示がないとあまりピンとこないかも。中身にうつろう。
 目次は2~5頁ずつの小項目について解説がかかれているもよう。順に記載すれば、生態学、環境、すみ場所、気候、土壌、気候と景観、ケッペン、クレメンツ、サクセッションとクライマックス、共同体、シェルフォード、人間性退学、パーク、社会、今西錦司、すみわけ、社会構造論、動物社会学、オイキア、動物比較社会学、群れ、テリトリー、順位、リーダー、類カルチュア、言語の発生、道具の発生、人間社会の起源、生物経済学、一次生産、食物連鎖、栄養段階、人口と個体群生態学、生態系、大生態系、森林、ツンドラ、サバンナ、ステップ、砂漠、土地利用、移住と開拓、土地の生産力、資源の保全、生態学的調査、将来への展望。
 この間読んだ現代思想事典ににてるけど、どれが重要とかはなさそうだ。困ったな。とりあえず10個ほど、興味の赴くままに選ぶ。
 『生態学』、『環境』、『気候と景観』、『動物社会学』、『言語の発生』、『人口と個体群生態学』、『大生態系』、『移住と開拓』、『資源の保全』、『生態学的調査』を読みます。やっぱ人間関係に興味が向くな。
 いつも通り前段はまとめ、後段は感想・雑感。

3.中身

『生態学』について

 我々は世界を基底に物理的秩序(物理化学)、中層に生物的秩序(生物化学)、最上層に社会・文化的秩序(社会・文化科学)を置く。このうち生物学は基底層との間に生化学・生物物理学・分子生物学等、もう一方では生態学・生物社会学・動物心理学等の諸領域が各層との懸け橋となっている。従来生物学は生物の個別的・生得的・個性的なものを主としていたが、生態学の一部門として出発した生態学では連環的・形成的・歴史的であり、生物の社会科学的・文化科学的研究である。自然秩序は集団的な景観である植物共同体の研究で前進を見せ、植物生態学、動物生態学、人間生態学の三分野が現れた。
 生物学と生態学の分野的な違いと発展はなんとなくわかったけれど、こういう学問分類はあんまり興味がないというか。

『環境』について

 生態学の定義は「生活体と環境との関係を研究する科学」とされることが少なくない。環境とは本質中心的な概念である。具体的には生活の場であり、その場の個々の構成物と機能的に連環しあうことが生きるということだ。主体と環境の関連は相互同時的であり、相加的漸進的であり、力学的な均衡系ではなく矛盾を含み変化し動く運動系であるが、主体の変動と環境の変動は独立に観測可能である。科学としての生態学の仕事は、対応表・関係表を作成し系の構成要素間の機能関連を系自身の運動を通して理解することであり、それによって初期条件を与えた場合の主体・環境系の変化様相を予測し構成要素の一部の変更により系全体を運動しうる。
 生きるとは? 相変わらず具体性はないのだが、結構これはSFに関連する概念で、一定の世界構成の分解や解析が可能になればそこに変数を投入して世界の危機を救ったり回避したりできるわけ、ですな? テラフォーミングとか夢が広がる。

『気候と景観』について

 土地の類型付け基準には気候が最も重要だ。緯度の違いによる温度の高低や乾湿度合いに応じて植生が作られる。人間の営みを除いたものを自然景観といい、気候の違いを具体的に表すものとして最も重要だ。
 詳細はなく、辞書的な感じでした。

『動物社会学』について

 生態学は人間の生活の場としての土地評価及び類型付け理論として発展したが、人間の位置づけは定まらなかった。人間社会も一つの種社会スペシアであり、人間の個体は構成員スペシオンである。他の生物社会と比較して初めて人間社会の特異性や共通性が明らかとなる。動物社会には単独生活、集団生活としての単純集合、群れ生活、育児生活がある。生物一般に高い頻度でみられる単独生活は、自足的・自己完結的な生活を営む。閉鎖環境に住む昆虫や固着性の動物等の下等動物にみられる単純集合は、自らの志向を伴わず個体が集中している形態だが恒常的な場合は集合状態への適応を示し相互に影響を及ぼす。脊椎動物で普通にみられる群れ生活は脅威や不安からの回避が根底にあるとみられる。ハチやアリなどの社会性昆虫ではメスの育児を中核とする育児生活がなされるが、スズメダイモドキの一種はオスだけによって育児集団が形成されることがある。サギやウはこれら社会形成の独立要素群が組み合わさり、樹上に巣をつくる育児生活と群飛減少による群れ生活、餌漁りに散会した個体生活がある。
 よくわからないのだが最後のサギやウを見れば、これは個体をベースに他の個体とその時点での関与によって分類したものであって、完全に分けられるものではないにしろその中心がどのような社会生活を行うのかはあまり顧慮されていないのかしら。あとこれは同種個体同士のみの影響について書かれているけれど、例えばカバとアカハシウシツツキ、各種大型魚類とコバンザメのように種を超えた連環についてはどう分類されるんだろう。本自体が古いものだから今は違う把握なのか、或いは他の項目で語られるのかもしれない。

『言語の発生』について

 言語の有無は類カルチュアとカルチュアを分け、行動上で人間と他の動物を分ける最も明確な点であるが、その言語とは何かについては立場が分かれる。例えばニホンザルの行動には多義的な記号が存在し、立場の違い、悲鳴の種類のよって支援を求める等単純なサインを超えるものが存在する。しかしサルと人間の間には量的な相違がある。内語が外界と独立に存在するようになった際に言語が始まる。
 ここまで読んで、どうもこの本は結論が明確ではないと感じる。もちろん学問であるから明確に結論をつけるものではないとも思うが、そもそも言語の発生とは何か、という問いの答えになっていないのではないかとか。結論としては最後のサインであれなんであれ、独自の情報の創造だと思うのだけれど、文章の軽重、というより著者の思考がわかりにくい気がする(あるいは僕の読解力が足りない。

『人口と個体群生態学』について

 食物連鎖の考えが人気となったのは生物人口(個体数)理論に関係するからだ。個体群の機能的統合を個体数という面から捉え、個体数変化と環境要因の対応関係の近似に数学モデルを取り入れることで、個体群生態学は主体・環境系の具体的把握の方法論に見通しを与えた。環境変化は幾何級数的増殖率と外界情景に応じた飽和人口度に影響するが、生活空間当たりの個体密度が高まると増殖率が低下するように個体数増加のロジスティック性は維持される。人口とは生物と生活の場の結びついた道的体系を個体数から計測した者であり、個体群生態学では個体数を主体環境系の一表現とみて全生物界の経済学的循環の一環として位置づけようとする。人口学は人類における個体群生態学である。
 個体数の増減については現代では小中学生で習う内容となっている気はするので、改めて難しい表現で書かれると少々困惑する件。

『大生態系』について

 人間の生活の場として地球上にどのような類型を認められるかを考えれば、すみわけ原理に従い大小の植物小社会が共存して生物の基礎的な生活の場を作出し、大地域社会が全体を性格づける。大地域社会は固有の生活様式に従い無機的自然から有機物を生産し、動物はこれらを利用して植物界と結びつく。このような全体社会は生物経済学的単位として完結性の高い系を形作り、これを大生態系と呼ぶことにする。この気候的配列には温度の違いによる配列と乾湿度の違いによる配列があり、世界の大生態系はこれら座標の中に位置を占める。
 個別の生態系とは別に、気温及び乾湿度ごとに地球上にそれぞれを統合した大生態系があるよという話。

『移住と開拓』について

 系の安定は環境或いは主体のいずれかの側の他成的・突発的な変革によって容易に崩壊する。その再編の過程を移住や開拓現象としてみることができる。一つの主体と環境系の共存時間が長いほどその結びつきは緊密になるが、移住はその崩壊であり、移住元系に形成された利益を保持しながらも移住先系と異なるものとして形成される。ヨーロッパ移民がアメリカで異なる社会を形成するものであり、すみわけが行動・生活様式・形態の変化を伴う過程である。開拓は未利用地への移住であるが、土地の潜在的利用度の低い土地利用を高い土地利用に置き換えである。
 移住と開拓の違いということでなんとなく把握するけれど、例に出された移民は開拓を前提としているように思われる。これは移動様式による別だから、重複してもいいのかもしれないけれど。

『資源の保全』について

 土地の生産力が計算されても、それは土地の気候や土壌が一定に維持されることを前提としている。土壌は生成物であり人間の生産活動が調和的に関与しなければ土壌は容易に失われ、回復が困難となる。農耕における輪作や家畜の堆肥生産等によって人が長い間住む場所は調和している場合が多い。これが突如崩れる場合とは、利用不能だった資源を利用可能にする生産技術の飛躍駅進歩と利用度を高める開拓がある。無尽蔵に見える資源は乱獲によって系の均衡が崩れて枯渇し、人間の生活自身も脅かされる。
 なんとなく、最近異世界転生で内政チートするみたいな空気。あっ。

『生態学的調査』について

 自然を知れば知るほど主体・環境系を制御する総合開発が可能となる。従来の開発とは多くが略奪であり、系の破壊によって生産力低下をもたらした。一部が全てに影響することを知らなかったためである。今は主体・環境系の法則を認識し総合計画をたてるなら、土地の生産力を従前より高めることは不可能ではない。そのためには自然景観における生態系の生物経済学的過程を推論して生産力を計算し、そこに住む人間社会の生活様式と土地利用を調査して自然と人間の相互作用を理解する。その段階で潜在的生産力と比較され、現在の土地利用と系における調和度が測定される。そして過不足に応じて新たな要素を追加し、最適な土地利用を行う。
 えっとテラアースとかそういうやつ。沸いた意見が全体にわたるので、次のまとめに譲る。


まとめ

 全体的に、これまで読んだ本にない形容しがたい気持ちを感じた。具体的に言えば知識の陳腐化をはじめて肌身で実感した。この本は1976年の本だが、元原稿は1950年ごろのものだそうだ。そのころと現在では大きく知見が異なるのだけれど、本書の知識群れはすでに一般知に参入されて特別に知る意味がない。そして陳腐化の原因はラノベの知識・内政チートによるものだ。この本に書かれてあることがすでにラノベでテンプレ化して読者に既に飽きられるほど実践され、広く知れ渡っている。そしてこの本に書かれているのは、ラノベで広まった知識より少し前の、まだまとまっていない知識だから、なんだか歯に物が挟まったような、かゆいところに手が届かないような、微妙な落ち着かなさを感じる。そしてなんだかわかりにくい要因はおそらく、用語が現代に使われるものよりも日常用語的に見えるからだ。「生活の場」というファジーな言葉は僕のイメージ的に学問的な用語ではなく、おそらく今では「生活圏」と呼ばれることが多いこの概念は、どこからどこまでが「生活の場」と設定されているのかが極めて曖昧である。おそらく当時は学問的に未だその範囲が定まっていなかったのだろう。だから一定の結論を求める以前の話なんだと思う。これはこの本の良し悪しではなく、時代がすでに隔たっているというだけの問題で、なので古典の本として読むべきかなとは思う。何故ならラノベをさしおいても現在開発におけるスクリーニング調査に基づく総合計画等は既に通常行われることで、この本で上等とされる土地の生産性の確保のみという価値自体もすでに現在の最低限を満たさず、現在はこれに加えて生産性と関係ない現在環境の保護や固有種の保護といったものが求められている(少なくとも公共事業では)。そうすると、この本を読むなら現在より前の議論であることを前提にしないと、なんだかすごく混乱する。
 小説に使えるかというと、結局のところこの本は当時の生態学関連の用語解説なので、何にも使えなさそうというか。使えるとすると1960年とかそのくらいの生態学者な歴史な話とかかな。そんなもん書くか?

4.結び

 こんなに読みづらい本って初めてだったかもしれない。僕は基本的に新しい知識があると思って本を読んでいることにも気がついた。古い本だとは思っていたけれど、理系の本で古い本は注意が必要かも。ガリレオの天文対話とかに古さを感じないのは、そこに思想を感じるからかもしれない。これは多分解説本なので。
 次回は内海孝『感染症の近代史』です。
 ではまた明日! 多分!

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