本雑綱目 91 加藤貞仁 戊辰戦争と秋田
今回は加藤貞仁『戊辰戦争と秋田』です。
無明舎出版、秋田の文化人類学講座、んだんだブックレット、ISBN-13 : 978-4895443753
NDC分類では210。歴史>日本史
前提知識必要度(幕末の歴史):★☆☆☆☆
なんだこのブックレット名。
これは乱数メーカーを用いて手元にある約6000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。
★図書分類順索引
1.読前印象:加藤貞仁 戊辰戦争と秋田
秋田あるいは久保田藩は当時東北の中で奥羽越列藩同盟に加わらず政府側につき戊辰戦争では厳しい立場に置かれるも、戦後無許可藩札発行等で政府からも粗雑に扱われた可哀そうな藩というイメージです。
とりあえず開いてみよう~。
2.目次と前書きチェック
はじめにはないのでいきなり目次。
『秋田県は戦場だった』、『戊辰戦争が始まるまで』、『同盟を結んだ東北諸藩』、『秋田県の戊辰戦争』、『終戦、その後』、『もっと知りたい人のために』です。章見出しをみると1章が前書きっぽい感じだろうか。
『秋田県は戦場だった』、『秋田県の戊辰戦争』、『終戦、その後』、『もっと知りたい人のために』を読みます。ほぼ全部じゃんって感じはするけどリーフレットで短いのでよかろう。
いつも通り前段はまとめ、後段は感想。
3.中身
『秋田県は戦場だった』について
新政府は降伏を申し入れた会津藩の武力討伐を目論み、庄内藩も理由なく討伐対象とされた。それに反発した東北諸藩に越後諸藩が加わり奥羽越列藩同盟が結成されて新政府軍と対峙した。主戦場は福島全域、途中で同盟を抜けた秋田の半分である。戊辰戦争は最終的に会津藩の降伏で終わった。秋田藩は秋田県となったときにその褒賞として盛岡藩領鹿角が編入されたが、秋田では何万もの家が焼かれ、被害は甚大だった。
確か周辺軍費も秋田藩が代払いで負担して資金繰りに困窮したのに戦後政府からの給付金は足りなくて、仕方なく藩札を発行したら処罰されるとか可哀想すぎる。
『秋田県の戊辰戦争』について
何故か庄内藩が朝敵となったので出陣したけれど、倉から引っ張り出してきた旧態然のキラキラしい陣笠が標的になり、夜討ちしようとして同士討ちをした。その後、鎮撫総督府の総督らが各地で冷遇されながら秋田の明徳館に集まる。秋田は平田篤胤の出生地で天皇中心思想を秋田の人々や武士に広めていた。そのため秋田は新政府側に与することに決め、秋田を訪れていた列藩同盟の仙台藩の使者を斬り殺す(普通に非道)。ところが秋田藩は連戦連敗した。新庄藩の裏切りによって秋田軍は新庄城に入城できたが攻撃されて落城し、秋田軍は撤退する。横手城でもあっさり諦め角間川でも敗れ、神宮寺嶽を占領して両軍は雄物川と玉川を挟んで睨みあっていると薩摩藩が来て花館宿を占領する。そんな中、恐ろしい酒井玄蕃が来たので秋田軍は恐れて戦わずに角館に撤退して政府軍に怒られる。以降詳細は略。
基本的に秋田藩とその周辺の動きが描かれているが、秋田藩は戦下手すぎる気がする。そもそもこの時代で銃の購入もろくにせずに甲冑で戦場に赴き鉄砲で撃たれるとか情勢判断ができていない。三百年前の火縄銃と大砲で新式銃とアームストロング砲で戦う状況で、戦場の絵面を考えるとダイナミックな気はする一方、酒井玄蕃などの戦術の神の差配する寡兵軍にもぼろ負けする。この頃は人の能力で戦況を覆せた最後の時代感なのかな。以降の戦争は基本的には資本と投入人員と確保兵站の物量戦になるので。基本的に総督府の人間は現場意見を聞かず兵たちのやる気をどんどん失せさせたらしく、新政府身内偏重するから考えても、そもそも新政府軍は秋田藩にあまり信頼をおいてなかった気はしなくもない。
『終戦、その後』について
秋田藩の死者は329人で、新政府軍では薩摩、長州に次ぐ多さである。鹿角を除く秋田県内で四万三千人以上が家を焼かれた。戦後政府は協力藩主に恩賞を与え、列藩同盟諸藩を罰した。秋田藩内では戦後七十五万石(従来の三倍)になると言われそれを期待して参戦した者も多かったが、藩主佐竹氏に二万石が与えられただけで秋田藩の領地は増えなかった。秋田藩は援軍の滞在費用を建て替えて五十万両(現代で400億)の借金を負ったが、政府は二十万両しか払わなかった。加えて分家の岩崎藩の借財四十八万両を肩代せざるを得ず、全国の藩中の最大の借財高になった。そのためやむなく秋田藩は贋金を作ったが発覚し、西欧商人は岩崎藩の借金支払いを政府に訴えたことから、当時対外政策に大いに神経をとがらせていた政府の信用を失った。
廃藩置県によって藩という概念自体が解体されるとは当時誰も思っていなかったんだろうし、その考えがあったから政府はなおざりに対応していたとすると、新政府の所業はまさにだまし討ちに卑劣なものの気がしてきた。そもそも会津も庄内も朝敵になるほどの理由もなく、江戸城無欠開城しちゃったものだから振り上げたこぶしの下ろしどころを見失っていただけだよね。藩に所領を与えることが無意味だからこそ佐竹氏に土地の所有権を渡したとすれば秋田の人々は情勢を全く読み切れてなかったということだが、その理解でいいのかイマイチ自信が持てない。そして新政府は旧藩の借財を引き継いだはずだから、廃藩置県で債務から解放された秋田藩というか佐竹氏は安心したのではないかと思わなくもない。こういうのって郷土史を読むべきなんだろうけど、そのうち学会誌でもみつけたら読んでみよう。
『もっと知りたい人のために』について
参考書籍の紹介。
必要があれば読もうかと。
まとめ
全体的に、秋田藩の戦争の軌跡(どこを攻撃してどこを撤退したとか)を簡単に知るには悪くない。でもブックレットだから資料として使うには足りない感。まあブックレットだしね。戦闘状況はわりと淡々と書かれているので、地理感があればもっと面白いのだろうなとは思った。
小説に使えるかというと、酒井玄蕃は当時26歳のマジ美青年のはずだし、酒井玄蕃側から戦争を描けば新旧の立場を描けて面白そうだなぁとは思ったが、酒井玄蕃自体をよくしらないから研究が必要。基本的にこの時代は結構好きなのだけど、戊辰戦争西南戦争新選組あたりはプロ市民が多いから下手に手を出したくない。
4.結び
正直なところ知りたかったのは人の心の動きで、なぜ秋田藩は政府側についたのか(平田篤胤の仕業なのはわかるけれど)とか、なぜ新庄藩が朝敵となったのか(江戸の治安を受け持っていた新庄藩が当時盛んにテロしてた薩摩藩邸を焼き討ちしたのを恨まれたんだろうけれどそれは政府と関係ないから逆恨みというか罠というか)とか、奥羽越列藩同盟はどの程度先をみていたのかとか(もともと新政府が会津・庄内を朝敵にしなければ列藩同盟は政府に従う方針だったように聞いたが)、そのへんの空気感まではよくわからなかった。残念。酒井玄蕃を調べたらなんかわかるかなぁでも敵方だしなあ。
次回は芝原拓自『世界史のなかの明治維新』です。
ではまた明日! 多分!
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