本雑綱目 98 ベルトルト・ラウファー ジャガイモ伝播考
今回はベルトルト・ラウファー『ジャガイモ伝播考』です。
Documenta Historiae Naturalium、ISBN-13 : 978-4938706166。
NDC分類では616。産業>食用作物
前提知識必要度(植物に対する興味):★★☆☆☆
知識ではなくて、心理的な何か。
これは乱数メーカーを用いて手元にある約6000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。時々恣意的に選んでいることもあります。
★図書分類順索引
1.読前印象:ベルトルト・ラウファー ジャガイモ伝播考
ジャガイモはどのように世界に広がったのか。
僕の知識だと中南米あたり原産で、大航海時代とともに世界に広まり、なかなか食用化しなかったけれど、日本では鎖国前に伝わって、飢饉によいという触れ込みで吉宗のころに青木昆陽が広めたのは確かさつまいもだった。あれ? そういえばジャガイモが日本でよく食べられる用意なったのってひょっとしてすごく最近の話なのかな。
とりあえず開いてみよう~。
2.目次と前書きチェック
序言を読む。
ラウファー博士の死後、未完の原稿とノートが数多く発見された。そのうち栽培食物に関するものはほぼ完全に出来上がっており、単に植物学者からの知見ではなく世界史の一側面、文明の原動力として扱われているべきものだ。フィールド博物館のウィルバー氏が指名されてラウファー博士のノートと手稿を整理分類した一つがこの本である。
ああ、それで目次の章立ては1部ポテトしかないのか。
はじめにを読む。
ポテトは世界に分布する過程の中でもずっと大衆的な植物であった。ヨーロッパでは最初形がペラどんなに似ているため誤解・忌避され、貧乏人が食べるのみであったが、現在では白人にとって基礎的な食物である。
目次を見る。
1部ポテトの中に『ポテトの植物学的起源』、『南アメリカのポテトの歴史(ヨーロッパ人の来航以前)』、ポテトの拡散・伝播の中に『西インド諸島』、『北アメリカ』、『スペイン、イタリア、中央ヨーロッパ』、『大ブリテン島』、『フランス』、『ドイツ、スカンジナヴィア、東ヨーロッパ』、『シナ』、『日本と朝鮮』、『中央アジアとシベリア』、『ペルシア、近東、コーカサス』、『アフリカ』、『インド、ビルマ、シャム、インド=シナ』、『マライ・オセアニア地域』とある。
総論的な『ポテトの植物学的起源』、『南アメリカのポテトの歴史(ヨーロッパ人の来航以前)』、フィッシュ&チップスを期待して『大ブリテン島』、興味のある『シナ』、『日本と朝鮮』を読んでみたいと思います。
いつも通り前段はまとめ、後段は感想・雑感。
3.中身
『ポテトの植物学的起源』について
ナス科で塊根をつける種は全てアメリカ大陸に分布している。ソラヌム・トゥベロスム(以下、原ポテト)はアメリカ原産で、唯一栽培されている種である。全てのポテトはこの原ポテトに起源を発し、その形質は栽培方法によって途方もなく変化する。原ポテトは品種改良によって生じた種ではなく、チリとペルーの原住民はその栽培に、食べられる芋をつける原ポテトを選んだ。原ポテトは三度フランスに導入された。S.マグリアはダーウィンによってチリ南部のチョノス諸島で発見されたが、原ポテトとの交雑はS.マグリアの花が落ちやすく失敗に終わった。S.マグリアは海岸沿い、原ポテトは山中にあり、種的発見に関連はみられない。
ポテトの原産地考、という好きな人以外あまり興味がない項目であった。どうも目が滑るのだが簡単にいえば今世界に流布しているポテトの起源は一つのようで、それとは別種のイモ類もアメリカには存在したけれど、あまり流行らなかったということらしい。芋、学名で記載されてるからめっちゃ目が滑る。
『南アメリカのポテトの歴史(ヨーロッパ人の来航以前)』について
ーまとめ
スペイン人がアメリカを征服した当時、原ポテトの栽培はアンデス山脈山域に限られていた。その後、原ポテトは南アメリカ各地に伝播したが、仲介したのはインディオではなく白人である。原ポテトが最初に現れる文献は1538年のレオンの報告で、その『ペルー誌』では芋(パパと呼ぶ)を日にさらして乾燥・凍結したものを潰して保存する。この保存食をチューニョと呼ぶ。高品質のチューニョは内部が白くモレ―と呼ばれ、スペイン人は小麦粉より細かく調整され、甘いお菓子を作るのに用いた。
古代ペルー人の宗教生活において、女性の占い師はババを積み上げて吉凶を占った。二つずつとり、一つも残らなければ吉、残れば凶。
ポテトの保存には①皮をむいて数日間、夜は寒さにさらし、日中は日に当てて乾燥させ、これを水分がなくなるまで繰り返す。これは数年間保存できる。②①の後に足で踏んで、もう一度太陽と寒気にさらして水分がなくなれば保存する。ポテトは萎びて小さく灰黒色になり、茹でてどろどろにして食べるが味は悪い。
きわめて高地ではトウモロコシは育たないため、生産作物はポテトしかなかった。コロンブスの到来以前、パパの栽培は地チリ以外の地域では全く行われていなかった。やがてポテトの塊茎はスペイン船の正規食物となる。彼らによってペルーからチリ方面だけでなくエクアドル、コロンビアへと広がった。パパという言葉はスペイン人によって塊茎をつけるナス科植物の全てに拡大適用されたため、チリ等で栽培されたものが原ポテトかどうかはわからない。
ー感想
自分の意見と異なる意見は全て誤りであると言い切れる強さよ。いや、でも学者に必要な姿勢はこれかもしれない。
それはさておき、基本的にペルーの芋がスペイン人によって南米各地に運ばれたことが書かれているが、記載の半分くらいはスペイン人らが見た現地人の芋の食べ方、残り半分が様々な学者が主張する芋起源をばっさばっさと否定する内容だ。正直なところ、芋の起源にさほど興味がない(というよりアメリカ大陸での状況に興味がない)のでいまいち面白みがよくわからないが、熱狂的なポテト信者には垂涎の内容なのかもしれない。
ともあれ原ポテトはヨーロッパに渡り、そしてフライドポテトとしてアメリカ大陸に戻って行ったのだなと考えると感慨深くもある。あと出土されたポテト型の花瓶がかわいい。レオンのペルー誌もアゴスタの新大陸自然文化史も持ってるので、気が向いたら読んでみよう(向くかな)。
『大ブリテン島』について
ーまとめ
ポテトらしき存在の大ブリテン島の栽培記録の始まりは、ジェラードの植物園の目録でだ。これが原ポテトであることは植物の図と記載から明らかである。しかし形状は様々だ。利用方法は置き日で焼いたり茹でてドレッシングをかけて食べる。
このポテトは『ヴァージニアのポテト』と呼ばれ、この名称はイングランドでは少なくとも1640年までは用いられたが、『ポテト』にとって代わられた。この『ポテト』はスペインに導入されたものと無関係に『ヴァージニア』、つまり北アメリカからイングランドに到達した。ジェラードの書に遅れてポテトについての書を記したクルシウスはジェラードと交流があり、知識と図を融通しあった。
ジェラードがどこから塊茎を受け取ったか(ヴァージニアか否か)は論点となっている。ジェラードはおそらくエリザベス女王の勅許を得たローリー卿の配下からポテトを受け取ったと思われる。何故ならローリー卿自身がその地所に果物として園丁に与えた逸話がある。しかしローリー卿がどのようにポテトを手に入れたかについての文献は残っていない。
いずれにせよ16世紀後半から17世紀前半にかけてポテトはよく知られる食べ物にはなったが、人気はなく普及しなかった。理由は同じナス科の有毒なイヌホウズキに属するので催眠性があると考えられたからだ。他にも栽培法や調理法が伝わらなかったこと、聖書に書かれていないことがあげられる。18世紀を通じてイングランドはポテトの普及を急速に進め、以降イングランドはポテト栽培に常に第一の地位を占めるようになった。
ー感想
終着点は農業生産と改良が拡大したところまでで、フィッシュアンドチップスとか文化的な点には至らなかった。
イギリスで誰が最初にポテトに言及したのか論争が大々的に巻き起こり、それについての様々な議論の経緯などが重箱の隅をつつくようなあら捜し的に書かれているけれど……、正直極東の民としては興味がないやつ。誰がイギリスにポテトを持ち込んだとかその種が何かとかって、日本人で興味を持つ人はあまりいなさそうだ。
この頃は新大陸で新しい種を見つけるとかヴンダーカンマー的博物学が流行した時期だろうから、発見者議論が熱を帯びる時期だったのだろうけれど、どこから入ってもポテト美味しい。
『シナ』について
ーまとめ
サンダーズはシナ(この本では中国ではなくシナと書かれているので、以下踏襲する。)ではポテトは栽培されているが広範囲でなく、その理由はシナでは何でも進歩が緩慢なためだというが、間違っている。シナはこの数世紀、躊躇うことなく多くのアメリカ産植物を受け入れた。ポテトを認めないのはシナばかりではなく、日本、フィリピン、インド、アラビアでも同様で、アジア的な共通がある。
普及しない理由はポテトは切実な食べ物ではないからだろう。『本草綱目』にもポテトの記載はない。これはポテトが従来の漢方薬に用いられなかったからだろう。ポテトに言及したシナの最古の文献は1700年の『松渓縣志』で、『馬鈴薯、馬の首に付ける鈴形のヤムイモ、野菜の一種、木の近くに生え、掘り取って食べる。見かけはおよそ鈴のようで、小さいのも大きいのもある。色が黒く、形が円く、味は苦甘い』とある。最上の記載は呉基濬の『植物名實圖考』で、図がや形状が添えられている。貧乏な階級の貯蔵用作物として飢饉を食い止めるのに役立つと述べ、塊茎の調理にも言及している。18世紀頃には局地的に貧しい人のために栽培されるようになった。
現在ジャガイモは北京の山中や松花江の北部と西部で大規模に栽培されている。そのほか、チベット族や蛾眉山の僧侶等、様々なマイナーな人々のポテトづくりの紹介。まとめれば、ヨーロッパの著作の共通見解では、ポテトの導入は40年前(メモが作成された時点から)、カトリック神父によってなされた(しかし台湾のポテトは異なるだろう)。数人の学者はオランダ人が導入したと主張する。オランダ人が持ち込んだ説は日本の『じゃがたらいも(パタヴィアの塊茎の意)』の名称を根拠としている。エドキンズはトウモロコシと同じく中央アジアルートから渡来したとする。
ー感想
ジャガタライモはジャカルタの芋で、確かパタヴィアはジャカルタのオランダ統治時代の名前だった気がする。それならパタビイモとかになりそうだとかという素朴な疑問はさておき、中国の都市部ではジャガイモの流入が遅れた話と、どのように流入したかの話が延々と続く。
確かに中国でジャガイモ料理というと塩味で野菜と炒めたもの等のイメージではあるけれど、その理由が漢方にないからだという認識はなかった。それならトウモロコシやスイートポテトも一緒なのではと思ったのだが、調べたところ本草綱目には玉蜀黍と甘藷の名前で記載がある。本草綱目は偉大な書なので、ジャガイモは少しだけ時期が乗り遅れたので広まらなかったと考えるとなかなか感慨深いが、なんとなく腑に落ちない気はするな。
一方で中国文化には米も小麦も定着しているので、新しくジャガイモが大きなウエイトを占める必然性がないという指摘はある意味その通りだろう。土豆絲(ジャガイモの細切り炒め)などは既に立派な中華料理な認識だけど、これらが広まったのは比較的最近のことなんだろうか? という料理とか文化的なところは興味があるんだけれど、やはり後半のどこから誰がジャガイモを伝えたかの厳密(ここ大事)な部分はあまり興味がない。
『日本と朝鮮』について
ーまとめ
現在日本のポテト栽培は主として北海道、東京北部や西北部の山地で行われている。1974年のツューンベリの観察記録では、日本の畑では野菜とヨーロッパ産食用種が作られている。サツマイモは大いに重視されているが、ポテトについては栽培がうまくいっていないと記す。
田中長三郎は日本のポテトの歴史について、原ポテトの日本導入の歴史の資料は乏しく、1600年前後までたどったが、結論としてジャガタライモという名称からオランダから導入されたと仮定する。1598年に台湾がオランダに占領され、日本との初めての国交が開始した。河野剛はポテトは甲斐の国で良く知られ、つまり山岳地帯で栽培されていて、長崎では食用植物としてはあまり知られず醸造用と味噌・大豆の潰し用以外にはめったに使用されていなかったと述べる。白石幸太郎は南京芋が長崎に導入されたのは天正年間であり、馬鈴薯の名を挙げているが、根拠がない。
判明していることは、明治維新以前には日本には二種類のポテトしかなく、このことはポテトの導入を1回だけでなかったとするには根拠が弱い。日本の場合もポテト導入に確たる記録はなく、一般にポテトを外来種を現す名前で呼んでいる。
朝鮮ではポテトは古くから知られ、数カ所の山地ではポテトは主食となっている。バードによればポテトは大規模に栽培され、朝鮮人の普段の食事の品目となっているというが、ロスは全く食べないと述べ、ルベンツォフはめったにお目にかかれずほとんど普及していないとされ、近年のクラウトケの報告書ではポテト畑は村落付近や農場周辺のいたるところに見られるとする。
ー感想
日本で昔から甲斐で芋を作っていたというのは初耳だが、この日本の項目では年代の特定がほとんどされていないので、正直なところよくわからない。基本的にここに出ている人物はこのメモが書かれた時代の人だと思う。長崎で食用にされていなかったのなら(出島は島嶼なのであまり栽培に向かないのかもしれないけれど)、調理法等はどこから伝わったんだろうか。
朝鮮についてはイザベラ・バードは植物学の知見もかなり持っていたのと、僻地の人々(むしろ)の話も聞いて記録をとっているので、イザベラ・バードの話が信憑性が高い気がしなくはない。ひょっとしたらロスやルベンツォフは都市部しか見学しなかったのかもしれないと思わなくもない。韓国ではカムジャタンとかガムジャボックムなどジャガイモの料理は中国より多い気はするが、これらの料理がいつできたの知らないな。むしろそっちの方が興味があるわけで。
まとめ
全体的に、学術的な空気を感じる本でした。専門家向けの本で、普通の人が知識として知りたいところの2段階くらい奥の議論です。記載内容が難しいわけではなくて書いてある内容が細かすぎるので興味がないとあまり面白く感じられないというか。たとえばカブトムシが好きな人でも例えば『最初は Scarabaeus dichotomus Linnaeus, 1771 として記載されたほか、古くはその属名に Dynastes や Xylotrupes などが用いられたこともあったが、Arrow はユンクの甲虫目録で、本種やシナカブトムシ Xylotrupes davidis をサビカブトムシ Allomyrina preifferi を基準種としたAllomyrina属に編入した。(出典:Wikipediaカブトムシ分類)』と書かれても知りたいのそこじゃない、と思う感じ。
小説に使えるかというと、ジャガイモを擬人化して主人公にしてそれが僻地から見いだされていずれ世界を席巻していく詳細な抒情詩……とか書く人でなければあんまり役には立たないだろうなぁ。ジャガイモ研究者の本を書くなら微レ存。
4.結び
思っってたんと違ったやつ。読む前はジャガイモの伝承とかが出てくるかと思っていたんだけど、徹頭徹尾伝播ルートの話だった。だから民俗学とか文学の話では全くなく、学術論文寄りの話なので、これを小説に役立たせるのは至難の業と思う。知らないことを知ることは大切とは思っているので、読んだこと自体には肯定的だ。しかし内容を何かに利用したり、というより記憶にとどめられる自信が全くない。まあジャガイモの伝播で困ったらこの本を読めばいいとだけ認識してればいい気はする。
次回は西園寺公一『中国グルメ紀行』です。
ではまた明日! 多分!
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