本雑綱目 75 稲垣足穂 南方熊楠児談義
今回は稲垣足穂『南方熊楠児談義』です。
河出文庫。稲垣足穂コレクション。ISBN-13 :978-4309403335。
NDC分類では384。社会科学>社会・家庭生活の習俗。
これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。
★図書分類順索引
1.読前印象
南方熊楠は粘菌や民俗をはじめ様々な事象を興味赴くままに研究した人ではあるものの、ちょっと社会生活に難ありで知らない人の家に怒鳴り込んでつかまった刑務所で発見した粘菌を学会発表して有名になったムーブを見れば、とても人好かれのするけれど勢いがありすぎてあまり近くにいてほしくないタイプのような、人間な気がする。つまり激昂すると何をするかわからないタイプの人間……。和歌山の廃仏棄却という名の寺社仏閣と森林破壊の反対していたから寺社系列とも関係は深いとは思う……のだけど稚児ってあの稚児だよね。そういえば高野山は和歌山だな。
とりあえず開いてみよう~。
2.目次と前書きチェック
目次は『南方熊楠稚児談義』、『宮武外骨の『美少年論』』、『ジッドの少年愛論』、『バートン男色考からの摘要』です。宮武外骨は明治大正のころの風刺家だが、この人ってゲイだったっけ。
全体の前書きは特にない、が各章ははしがき等があるっぽいけどそれぞれ普通にエッセイみがあって長いので、とりあえず南方熊楠稚児談義をよんでみようかと。タイトルだし。
3.中身
『はしがき』について。
熊楠の書簡の清書などをしていた岩田氏が日本古典の同性愛に興味を持っていて、ネリギ(今風にいえばローション)とは何か等を南方熊楠、中山太郎、江戸川乱歩が集まって時代考証や原本の検討し、後に江戸川乱歩が『男色文献書誌』にまとめた。熊楠は文献をたくさんもっていて、同性愛という精神の働きは何によるものなのかに注目していた。男色といってもその概念は時代によって異なるのだ。
なんか真面目そうにわけのわからないことが書かれている。それをもっともらしく装飾したり例示過多に書いてあるものだから、やけに読みにくい。アルプスやフロリダで見つけた微生物や藻は幽霊の手引きだとかかいてあるあたりスピリチュアルみを感じる(熊楠だなぁ。
以下は熊楠からの各書簡が並べられていたので、それらを簡単にまとめてみる(段落ごとに違う書簡、意味が分からなくて端折ったものあり。)。というよりほかにまとめようがなかった。すまん。
・男道と男色は違うらしい。(書簡にははっきりとは書いていないが)男色の方は致すやつで、男道はなんていうかもっと五倫五常(儒教的道徳)によるものだから、多分仁義礼智信による繋がりというか、必ずしも体の関係にあるわけでもないもの、のようだ。かといってプラトニックばかりではないけれど。それで思い出したのが弥次喜多道中で、弥次さんと喜多さんは年齢がかなり離れた駆け落ちなんだが、そういうやつなのかな。本文では武士が引かれてるけどこの辺は信者が多そうで突っ込めない。
・『車内に召して早いところをきこしめした』という表現がじわじわ来る。大日如来の掛軸が宦官の人相であるとか不敬な話から宦官についての話が展開され、明和のころには専門に育て上げた若衆文化が滅んだ。女形が表すのは女なので若衆や小姓の道徳(多分精神的な奴)がなくなったと嘆く。
・恋慕にはハート(頭脳)からくるのとチンからくるのがある。前者は情愛で他は淫念らしく、今の日本ではこれを一緒にしているので混乱するそうな。んー。僕もエロあり前提だと困るのでハートジャンルを作ってほしい。
・大若衆は24,5くらいの美童で、年経た髭の生えた人々も愛された。(おそらく)江戸初あたりは草履取りに美少年を置くのがはやっていた。夜は宿で夜鷹(何故宿なのに夜鷹(外)?)をしたりしていたらしい。
・沼沢金弥という少年が男二人に恋われて決闘になり、金弥がとりもって進んで3Pして三兄弟になった話が載ってて昔からテンプレだなって思った。
・顔や年齢はあまり関係ない。アルゼリアあたりでは髭を抜いて生えないようにしていたようで年は関係ないらしく、女性の格好をして縦割れしてて女性とかわらないとか(何を言っているんだ)。各国や本邦で小姓が女に見えるように布で上に引っ張っていたとか、愛染明王は男色を司っていていたので足利時代の愛童は雄雄しかったのではとか書かれている。自分の情事を人に語るのはちょっとね、みたいな呟き。
・道具の名前についてよくわからないので誰か教えて。
・小使頭の熊吉は御殿女中の精力旺盛で困ったのでかげま専門になった。
・通和散(ローション)についての笑い話。
・高野山の小姓がお偉方に口説かれて義理で素股をふるまっていたら(ふるまうという表現好き)寺男だったから思い切り挟んで折ったとかそんな話ばっかり聞く。
・三河の男娼茶屋では高野山の僧が男娼といちゃついてたが今は汽車が経由しないから廃れた。高野山全盛期は野郎茶屋ばかりだったのが女郎屋になった。
・陰間は雪隠の隣の薄暗い場所のことでそこにいたので陰間と呼んだのではないか。雪隠で口で致すそうです。
・延宝八年の洛陽集にも陰間とあるので自分(熊楠)の作った言葉ではない。陰間野郎とは薩摩に野郎組という荒々しい男衆がいたが、これが短くなったのかも。陰間野郎と陰間は同義だがこのように来歴が違うことに留意しよう。
・中川は甲陽軍鑑の御座直しを男色だというけれど武道伝来記や武家義理物語等にもあるから筵直しは男色に限りません。宮武に照会したら阪神で使う語らしい。
・男色大鑑の御物はゴモツと呼ぶのが正しいと思う。マクは児または女を犯すときに使われる動詞。五雑俎の小姓は卑賤な小民の女子と思われる(と熊楠は言っているが、五雑俎の成立は明で男色がめっちゃ流行ってたから必ずしもそうは言い切れないような。)。
・沙石集に児達とある表現があるスルーされがち。菱川師宣の古画版を見た人が小男となのに大物を持っていて楯板の7枚重ねをその大物で割ったとかの詞書きに「ちごたち」とある。沙石集の児達は少年のころに稚児をしたということだろう。
・文殊尻の検討をしてみると、文殊菩薩は結跏趺坐をしているので致すには丁度良い体勢なのでそういったのではとか書いてある(発想……)。窄は狭い時に使う用語だそうです、界隈の皆さん。ホーデンってカタカナで書いてあると僕には焼き鳥のイメージしかない。
・通和散とネリギは同じもので黄蜀葵をさし、根をもむと粘り気を出すのを紙で漉き、でんぷん質のものを混ぜて乾かして麝香を合わせたもので、唾をつけると粘るそうです。足利のころ伝来した。伝来前は日本にどこでもあるノリウツギを使っていたのでは。そのほか使い方。
・山深いところにいる稚児は病気になったら往来も困難なので捨てることがあり、稚児の谷落としというそうな。
・義経記にあるように昔は女に稚児の格好をさせて山越えをすることもあり、今昔物語でも稚児が出産をしたとあるから見分けってつかないよね。
・薬師寺与一は冥途でよい美少年(wikiだと男色関係にあった主君とかいてるけど)と行き会いたいと吟じて腹を切った。こういった逸話はいくつもあり、浄の男道だ。この後北条氏康と綱成、粟田刑部と時田鶴千代、朝倉景鏡と千能丸、亀井宇兵衛と百々仁左衛門浄道、頼宣卿と小源太等のカップルの紹介。
・神がかった美少年が現れると白熱した議論も止まり、戦士は死を恐れなくなる。
・『すばり』を広辞苑で引くと陰間とか若衆とかある(今の辞書にはなさそう)。しかし男娼はすぼまってないのがいいはずで、少年のきりっと引き締まった尻と解すると立っているときはすばりであぐらをかくと文殊だ的なことが書かれていて尻の様子と名称の話が続いている。言語学的には面白いんだけどなんていうか……。とりあえず高野山はお盛んだなって思った。
全体的に、対となる書簡はない書簡集なので、前提となる話がわからなかったり、そもそも手紙だから当事者しかわからないような話もある。南方熊楠は支離滅裂寄りの人なのでざっとみて不明部分も多いし、古典籍を引いているところなんかのほうがむしろわかりやすかったりする。
読んだところが南方熊楠だったので、宮武骸骨とかなら文章として読みやすい気がしてきた。というかざっと見面白い。
小説に使えるかというと、南方熊楠のところは使える人は使えるけれど使えない人は使えないっていうか。これはジャンルじゃなくてこういう描写をするかどうかという問題な気がしてきた。僕は多分上手く使えないタイプ。あと熊楠のゲイ感は今のBLの流行とは全く別方向なので、流行りのBL書くには読まないほうがよかろうと思う。一般文芸の男色ならありかもしれない。
他の部分は考察的な感じなので、直接使うのは難しく思う。
4.結び
チェストー!って叫びそうな薩摩隼人が頭に浮かぶ。
文章を書いているときはインプットが困難なのは、入れてる時に出せないみたいなそんな話ではないかと思っている。僕の頭の出口は一つでございました(何の話。
次回は磯田道史『天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災』です。
ではまた明日! 多分!
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