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本雑綱目 27 堀米庸三 中世の光と影 上

 これは乱数メーカーを用いて手元にある約4000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

今回は堀米庸三著『中世の光と影 上』です。
講談社学術文庫の978-4061582057。
NDC分類では歴史>ヨーロッパ史,西洋史に分類しています。
1978年なので少し古い。

1.読前印象
 ヨーロッパの中世史というと一般的にはゲルマン民族の移動からルネッサンスの前まで。キリスト教に支配され、それ以前の教派に反する科学技術などを捨て去り価値観が一つに塗りつぶされた時代。この価値観が一つに塗りつぶされたというのが現代人に想像しにくいところではあるけれど、自由意志などもってのほか。というか自由という観念が発生したのは近代だ。しかも多分生まれたときからそのように教育されて、それから外れると狂人と扱われるようななかなか抑うつされた時代と認識。その時代の空気感は当然ナーロッパには全く反映されていないけれど、とりあえずはりきって開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック
 序文の『この本によせて』、文章おかしくないか?
 著者を褒め称えるはさておき目次は1章『2つのローマ』、2章『ヨーロッパとはなにか』、3章『ゲルマン民族の社会と文化』、4章『民族大移動期の地中海世界』、5章『キリスト教世界の展開』、6章『イスラムの侵入と地中海世界の変貌』、7と8章『ヨーロッパの成立』、9章『試練にたつ中世ヨーロッパ』で構成される。
 これは上なので下巻の目次を見るとカノッサの屈辱から十字軍や異端論争なんかが含まれるからこちらのほうが興味があるのだけど、とりあえずこれは上なので。
 思ったより中世の範囲が広かった。全体的に見ても民族の移動による人種と文化の混入が大きな割合を占めている。わりとどこも気にはなるんだけど、5章『キリスト教世界の展開』を読んでみる。

3.中身
『キリスト教世界の展開』について。
 ローマから始まっているところ(古代では……?)からも中世の範囲が広いなとは思ったけれど、この章もニケーア公会議より少し前から始まっている。この本はキリスト教の教義ではなく、その教義や周辺諸民族の侵攻や圧迫に伴い、国内における王と宗教代表者の権力関係と構造を時代の流れとともに記載したものだ。なので主に政治権力についての話。
 多くの宗教は人民に思想を感染させることによって信者を増やし存立するものなので、布教をするタイプ、つまり自己増殖にその価値を置く場合はその過程で権力闘争が行われるのは必然的に思える。そしてその目的外行動に反発を覚える派閥が生じるのも必然的な流れに感じる。異民族の侵攻を受けて国がなくなれば信仰の基盤となる教会もなにもないわけで、そういった立場の差が時に混乱や協調を生む。
 その後話は各修道院に移り、どのように戒律が生まれ生活というものが規律されていくかに話は移り、そしてそのストイックで教導的な活動が帰って教会全体にプロパガンダというか布教の方法として組み込まれていく。これ、立場が違うから仕方がないんだよな。
 話は文化の混合たる美術にまで及び、短い中で網羅的なキリスト教中世の流れをやっていてとても興味深かった一方、信仰の内容にはほとんど触れていないので、興味の対象を選ぶかもしれない(その分異教徒にはとっつきやすいかも。
 こういう様々な価値観が入り乱れる話って、書くのすごい難しいと思うのにとても読みやすい文章で書かれている。けど一般的な浅い西洋史を知らないと知らない単語の羅列にはなるんだろうなと思う程度には専門的。小説に使えるかというと、中世の大枠を捉える、つまり書こうとしている時代背景がこのあたりならその背景としては使えるけれど、多分他の部分もフレーム的な記載をしている気がするので、悩ましい。読んでれば深みがでる気はする。ナーロッパには全く使えない。なんとなく権力闘争書きたくなった。

4.結び
 ざっと読んで思ったのが、タイトルの光と影という評価が全くされていないこと。これは多分自分で考えてねっていう趣旨な気がする。
 小説の資料に使うには中世という期間が長過ぎる気はしてきたけれど、それは言ってもしょうがないことです。こういう大枠って価値観を出すには案外重要なんだけど、それにしたってこのスケールだと歴史叙事詩とかになっちゃいそう。下が読みたい、下が。
 次回は岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分化会著『全国歴史散歩シリーズ 33 岡山県の歴史散歩』です。
 ではまた明日! 多分!

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