【短編小説(純文学)】クリスマスキャロルの聞こえそうな夜 6000字
[HL:クリスマスイブの日、数年前に死んだはずの高見から呼び出された]
灯火物語杯に参加させていただきます~。順番的には食レポの会の連載日ですが、土日なのでスキップします。
竹佐允彦はみぞれ雪が降る中、傘もささずに雑踏を足早に歩いていた。その肩口に一瞬積もる雪はすぐに溶け、允彦が払う前にその豪奢なコートに冷たい染みを生んでいた。そして姿が消えても允彦の体に冷たさを堆積させる。
允彦の口から洩れる舌打ちは、白い煙になって背後に流れて消え去る。
目を落とした細い金縁の腕時計は21時42分を表示している。指定された時刻からすでに2時間弱を過ぎていた。旧外国人居留区に建てられたラグジュアリーを売りにしたそのホテルは壁全面が黒大理石のパネルで覆われ、雪あかりを反射している。ドアマンが押し開けた先のエントランスには、小さくくすんだ金色のオーナメントで飾り立てられた巨大なモミの木が聳え立ち、思わず足を止めた。
この日は嫌いだ。碌な思い出がない。すべての救いは允彦の周りを素通りしていく。いや、この日でなくても同じことだな。允彦は頭の中でそう呟く。
再びチラリと腕時計に目をやり、フロントを無視してエレベーターを昇る。ガラス張りのエレベータはゆっくりと上昇し、その窓はいつもの3倍増しで光を撒き散らす夜景を下方に追いやった。
音もなく開いたエレベータの扉の先は、フロアに1つしかないスペシャルスイートに繋がる。入口のドアは開け放たれて室内に繋がっていたが、その内側は電気が消えて薄暗く、エレベーターの扉がスゥと閉まると同時に廊下も部屋も冷たく闇に染まった。
「やっと来たな。随分遅かった」
懐かしい声がした。
「待たずにどこぞに帰りゃよかったのによ」
「まぁ、とりあえず座ったらどうだい」
真っ暗な室内にぽうと明かりが灯り、蝋の匂いが漂った。
「なんだってこんなに真っ暗なんだ」
「真っ暗でも支障はないだろう? それとも俺の顔でも見たいのかい」
「いや……いい」
允彦は手探りでソファを探し、コートも脱がず男の正面にドカリと腰かける。真っ暗な室内から見える窓の外はかえって明るく、先ほどより細かい雪が黒い空から明るい地面に向かってゆっくりと舞い降りている。マリンスノーが深海に降り積もるように。
「なんだってこんな日に呼び出した」
「この日であることに意味はあるし、意味はない。あんたも別に今日だからって用事があるわけでもないだろう? パーティに行くキャラでもプレゼントを買うキャラでもないな」
「ふん。そんなことになんの意味がある」
允彦は闇の先をじっと見つめた。これは本当に哲嗣か。
受け取った手紙の宛名にかかれていた男。いるはずのない男。
その男は昔、允彦と一緒に金貸しをやっていた。名前は高見哲嗣という。何をするにも大げさな奴だった。それで今日と同じ日に強引に金を回収にいって刺されて死んだ。允彦は薄汚れた路地に放置されていたという哲嗣の死体を預かり、火葬して無縁墓地に突っ込んだ。それだけの話だし、それで終わった話だ。その時も何も感じなかった。
「あんたはどうせ、相変わらず悪どく儲けてるんだろ?」
「悪いか。お前に言われる筋合いはない。それでなんだってんだ? 恨み言でも言いに来たのか?」
「まさかまさか。あんたにそんなことを言っても無駄なことは知ってるさ。あんたの頭の中は徹頭徹尾金だけだ。他のものは追い出された。俺はあんたが俺の死体から見つけた鍵で俺の家を家探しして、金庫ごと全部持ってったのも知ってるが、そんなもんは死んでしまえば意味はない」
「だよな、使えない金をもらってやっただけだ。……じゃあ何の用だ」
「あんたをからかいに来ただけだよ。それだけ」
不愉快そうな允彦の声とは対象的な、愉快気な哲嗣の声が暗い部屋に響く。その印象の違いに允彦はわずかに困惑する。哲嗣は生前、陰鬱な男だったはずだ。
「なあ允彦。マッチ売りの少女って知ってるよな?」
「突然なんの話だ」
「こういう日には魔法が効くんだ。何せ聖なる日らしいからな。ほら、この蝋燭を見ると何か浮かんでこないか」
蝋燭の明かりが、ぽうと瞬いた。
允彦の目の前に海が広がった。どこか色褪せてた冷たい海だ。
その港町にある古びた倉庫は海から吹く冷たく強い風にあおられ、ガタガタと建物全体を揺らしていた。港湾沿いの冷たい常夜灯の光とたまに差し込む灯台の明かり、それから倉庫内に設えられた赤く燃えるだるまストーブの熱だけがその廃屋を照らしていた。
港湾警備の制服をまとった允彦は松井に呼ばれて廃屋に入る。松井はこの港湾の監督をしている五十絡みのくたびれた男だ。
「竹佐よ、まあ一杯やれ」
「さすがに飲んだらまずいでしょう?」
「こんな糞寒ぃ日に誰も来ねぇよ」
「来ますよ、デートだとかで。そういう日です」
允彦は自分の口から出た言葉でわずかに不機嫌になった。
みれば松井の鼻は既に赤い。その原因は先ほど来のビュウビュウと吹き荒ぶ海風のせいなのか、あるいはその背に隠した瓶のせいなのか。
「まあ一杯やれ」
允彦は反対の手で差し出されたそれを見て、白い息を吐く。
「それなら、ありがたく」
松井が次に差し出したのはしるこの缶だった。ストーブで温められていたのか既に熱い。爆発しないよう、上部のプルタブが少しだけ開けられていた。
「おめぇもこんな日までご苦労なこったな」
「他の日より給料がいいんで」
「彼女とかいねぇのかよ」
「今日バイト入れたらふられました」
「アホだな」
松井は眉を上げて允彦を見る。それからごそごそと背後から小さな箱を引き出した。
「なんですこれは」
「ケーキだ。食え。1人で食うのはつまらないからな」
箱の中にはカットされたショートケーキが2つ入っていた。松井は小さな蝋燭をひび割れた指で不器用に刺す。その明かりの周りだけ、わずかに彩度を取り戻す。それを吹き消し、2人は無言で平らげた。
「正月に実家には帰んねぇのか? 昨日から十連入れてただろ? 親も心配してんじゃねぇのか」
「親とは仲が悪いんです」
すきま風がストーブの炎を揺らし、それを中心に伸びる2つの影もゆらめいた。
「……そうか、まあ色々あるもんな。兄弟とか友達はいねぇのか。年末年始にこんな寂しいとこで働いてるこたねぇだろ」
「……まぁ、そういえば妹とは仲が良かったかもしれません」
「じゃあ電話でもしてやれよ。心配してるかもしれん」
松井は背中に隠していた瓶を引き出し、紙コップに注いで煽る。その顔はストーブに照らされているせいか、さらに赤かった。
雪の合間から、汽笛の音が聞こえた。そしてどこかから歌うような鐘の音も聞こえた。けれどもそれは、全ては闇の奥のことだ。
「将来の夢とかあんのか」
「金稼いで夜学に行きたいんです」
「へぇ、それで」
その光景は唐突に、暗闇に包まれた。
「ああ、消えちゃった」
哲嗣のつまらなさそうな声とともに目の前がガサゴソと振動し、再びカチリと音がして、新しい蝋燭に火が灯る。その灯りはどこか緑色を帯びていた。
「哲嗣、お前何がしたいんだ」
「別に何も。あんたをからかいに来ただけだよ。まぁあんたにも昔夢があったってこったな」
夢。か。そんなものはもう忘れてしまったはるか昔のことだ。その想起はすでに允彦には意味がない。
「こんなことをして何の得がある」
「何も得はないよ。俺の暇つぶしだ。あんたも別に予定はないだろ?」
「用がないなら帰る」
立ち上がろうとした允彦の手をざりざりとした闇が押さえた。
「まあ、いいじゃないか。ここはスペシャルスイートだ。泊まってけよ。少しはいい気分になれるかもしれない。それに話の種にもなるだろ」
静かに雪が振り落ちるような沈黙の後、允彦は再び椅子に腰を下ろす。
「次は何だ」
「さて何だろうね、神のみぞ知る」
窓の外の雪はさらに増え、夜を灰色に染めていた。
允彦は狭く汚くゴミゴミした道を歩いていた。よく通る道だった。高層ビルの隙間に忘れ去られたような、古臭い木造アパートが立ち並ぶ一画だ。
バブルの時に売り渋った結果だれも見向きもしなくなり、30年間時が止まったように放置され、ひっそりと有象無象が住み着いた。多くは不法滞在の外国人、水商売、はみ出しもので、集まるべくして集まったのだろう、他に行くところがない者たち。
允彦が金を貸し、恫喝し、回収するために足繁く通う一画。住人は正規の場所からは既に金を借りられない者たちばかりだ。允彦の貸す金は考えられない高利だが、それでも允彦に金を借りるしかない。そんな複雑な事情を抱えた一画。
けれどこの日の風景はいつもと少し異なっていた。ドラム缶にくべられた薪が黒い煙を上げて一画をオレンジ色に染め上げている。その周りにブルーシートでテントが貼られ、大勢の住人が肩を寄せて集っていた。
どこかから集められた廃棄弁当を広げ、下町の安酒を酌み交わしながら、明るい声が響いていた。外国人の子供が走り回っている。
允彦はしばらくその光景をみやり、それから足を先に進めた。
進めた先には一軒の家があった。窓の中では允彦の妹一家が夕食を取っていた。並べられたチキンにカラフルな惣菜、ケーキ。
「允彦おじさんも来れば良かったのにね」
「おじさんも忙しいのよ」
「下らないって言っていたけどさ、クリスマス嫌いなのかな」
「どうかしらね。来年も誘ってみたらどう?」
そうして、窓の奥から歌声が聞こえ始めた。
けれどもその窓で隔てられた室内と外は隔絶していて、家の中は允彦が立つ外の世界とは全く異なるようにしか思われなかった。
そして三度、部屋は闇に包まれていた。
新しい蝋燭が灯される。だがその蝋燭が灯されても、先きほどまでの2本と異なり、世界は薄暗いままだった。
「さて、蝋燭は最期の1本」
「おい哲嗣。これはクリスマスキャロルの真似事だろう? この蝋燭の先で俺は死んでるはずだ」
哲嗣と最後に別れたとき、哲嗣は随分と暗い瞳をしていた。哲嗣もあの一画で金を貸していた。ブルーシートをめくり、わずかな家財ともよべないものをひっくり返して金を持ち去っていく。あの日でなければ、哲嗣は今も生きていたのだろうか。それはわからない。いずれ早いか遅いかの違いだろう。こいつはそういう仕事をしていた。俺は今もだ。この暗闇は先ほどの世界と連続している。
「さあ、どうだろうね?」
「……お前は後悔してるのか?」
あんな風に死んだことに。あの日、俺は哲嗣が死ぬとは思わなかった。けれど哲嗣が死なないとも思わなかった。ただ、その日だと知らなかっただけだ。
「いいや。してないよ。だって馬鹿馬鹿しいじゃないか。俺はもう死んじまったんだ」
カラリとした声の後、目の前から立ち上がるような音が聞こえ、その音はぺたぺたという音とともに窓際に近づく。
外から白い雪の反射光が差し込み、部屋の内側が窓の形にぽかりと四角く切り取られている。そのギリギリ外側に黒い爪先が佇んでいた。
「本当に意味がわからない。お前は一体、何をしたいんだ」
何故だか苛立ちが募っていた。こんなことは久しぶりだ。
「俺たちが子どものころ、教会で聞いただろう? クリスマスキャロル」
「ああ」
允彦は物語をわずかに思い出す。スクルージは強欲で冷酷で守銭奴で、温かみを持たない金貸しだった。それがクリスマスの日に過去、現在、未来の精霊が現れる。未来の精霊はスクルージの孤独な死を暗示し、スクルージは老境で突然寄付をはじめ、善き人となる。
「あの話はねぇ、俺は心底嫌いなんだ」
「そうか。俺も好きじゃない」
「スクルージは死の寂しさを紛らわすためにそれまでの人生を寄ってたかってなかったことにされたんだ。若いころのスクルージがどんな奴かは知らないが、その人生は否定されるほどの罪だったのか?」
「スクルージの人生か、そんなものは考えたこともない」
老境のスクルージのまわりには人が集まった。それまでの孤独なスクルージは消え失せた。その死の床で、スクルージは確かに幸せだったのかもしれない。そんなことはスクルージでない限り、わからない。
「あんたまだ30ちょいだろ? 改心すればそういう幸せに間に合うかもよ」
「馬鹿言え、それじゃ食ってけん」
「借りる奴がいるから貸すだけだ。あんたがいなきゃ他の奴が貸す。だから別にお前が金貸しをする必要はないし、この蝋燭に呪われる必要もない」
允彦の胸に様々な物事が去来する。けれどもそれは、允彦の心の表面で弾かれた。結局他に、俺には道がなかったのだ。おそらく、スクルージにも。
年々、気は重くなっている。確かに俺を好く者はいなかった。哲嗣が死んでからは話をする者もいなくなった。俺の周りには、誰も。妹家族がかろうじて、嫌っていないだろうというだけだ。
かといって、この仕事をやめてどうなるというのだろう。
允彦は無意識に懐から出したタバコを咥える。
「それ、電子タバコ?」
「うん? 吸うか?」
允彦はタバコを差し出し、黒い手が受け取る。懐かしい。
白い煙が漂う。
「へぇ、こういう味なのか。変な匂いだな」
「お前が死んだ頃にはまだなかったな。今はこれじゃないとどこも吸えない」
「面倒だねぇ」
允彦のガジアーノの高級な革靴の爪先が、雪が形作る四角い窓灯りを黒く踏む。高利で貸して金を無理やり剝がすのは当然で、必要なことだ。それで利益を上げる。それでも奴らは借りに来る。金がなければ臓器として売られるような連中だ。時には允彦もそうした。そうしなければ舐められる。払わなくてよいと思われれば、商売にならない。
「允彦、お前の魂は何に悩んでる?」
「どうだかな。悩みなんて生きてりゃ浮かぶもんだろう」
「善意、悪意、良し、悪し。そんなものはどこかの誰かが勝手に決めたことだ。その誰かが継続的に利益を享受するために」
すぐ近くに立つ哲嗣の言葉は窓の外に投げかけられた。
「柄じゃないな。懺悔でもしたのか?」
「まさかまさか。俺もどうせ長生きはできなかったさ。死ぬときは死ぬ。聖人も悪人も、死は平等に訪れる。誰かにとって善かれ悪しかれ平等に。俺は極悪非道な金貸しで、くだらない奴に刺されて死んだ、それだけだ」
黒い指先がはるか下の通りを指差す。そこではもう世界は白く染まっていた。騒がしかった人通りも鳴りを潜め、街灯だけがぽつりぽつりと道の形を目立たせていた。
「人がいなければすべての価値は保たれない。允彦、それでもお前は自分の価値を他人にゆだねるのか」
世界に音はしなかった。まるで誰も人間がいないかのようだ。だから目の前の世界には善も悪もない。俺を肯定するものも、否定するものも。
しばらくの沈黙を破ったのは哲嗣のからかうような声だった。
「それにしても真っ白だな。聖なる夜に奇跡は起きたと思うかい?」
「俺が歌を歌うとでも?」
随分久しぶりに誰かと気軽に話したことを思い出す。
「悪くない。さて、奇跡が泥水にかわる前に退散しよう」
僅かに気配が薄まる気がした。
「結局何しに来たんだ」
「蝋燭をもらったからさ、からかいに来ただけだよ。面白かったかい?」
允彦は気配から離れるように足を踏み出し窓に近づき、その身を幽き雪光が照らす。雪明かりで出来たわずかな影が室内に伸びて、影の中で留まる哲嗣の爪先の手前で止まった。冷気が窓ガラスを透過して室内に侵入する。見下ろす世界は等しく白に包まれ、静寂が広がっている。
どちらからともなく、ふうと溜息の音がした。
「まあ、面白くはあったよ」
「そうか。それじゃあお前は好きにするといい。世界が語る老人の戯言なんて、浮かれて馬鹿みたいで不快なものだ。気にしなくていいのさ。俺はお前がどんな奴でも否定したりしないよ、興味もない」
しばらくすると仕事は終えたとばかりに光を反射していた雪は止み、室内に浮かび上がっていた光をかき消す。部屋は等しく闇に染まった。
いつのまにか黒い蝋燭も消えて、最初から誰もいなかったかのように哲嗣の残滓は消え失せていた。
「奇跡、ねぇ。まあ、全てのことは奇跡だな」
允彦は踵を返してエレベーターを降り、来た時とは若干異なる足取りで白く積もった雪に黒い足跡をつけながら歩き去った。
Fin
我ながらわかりにくい話だなぁとは思うけどクリスマスはリア充が絡んでくるので苦手です。
★似た系列の話
★短編小説のマガジン
★表紙

