【漫遊後記】周縁を生きた人々を活写した写真家の足跡に触れる
気付けは立冬。過ごしやすい季節のなんと短きことよ!
とまれ、東北地方に暮らす身なれば、冬支度の首尾を整えるのは、この時節の必須科目ですから嘆いている暇はありませんね。
それでは早速、本題へと参りましょう。
此度は『げーじつの秋』よろしく、遠い記憶の中に遺り続けている写真家の写真展を鑑賞するために、夫婦で盛岡へ出掛けた話を綴って参りたいと思います。ご都合の許す方は、どうぞお付き合い下さい。
周縁を生きた人々を活写した写真家の足跡を訪ねて
過日、日曜美術館を視聴していたら、盛岡市の『もりおか町屋物語館』で、岩手県出身の写真家『渡辺克巳 写真展』が開催されていることを知った。けれども、写真展の最終日が11月3日だったので、落胆まじりに「行きたいけど、行けそうもないよなぁ。」と溢したら、嫁さんが「あら、行ったらいいじゃない。せっかくだから私も盛岡に行きたいし。」と口にした。
されば、行くしかあるまいて。
とまぁ、そんなやりとりでもって、二人の休日が一致した11月3日(最終日!)の早朝に、彼の地を目指して仙台を後にした夫婦であった。
§ 酒蔵だった場所にて
写真展が催されていた『もりおか町屋物語館』は、旧岩手川酒造 鉈屋町工場を改修した建物群(母屋・文庫蔵・浜藤の酒蔵・大正蔵)で構成され、現在では盛岡の物産販売やイベント・スペースとして活用されている。
また、施設が所在している『鉈屋町』は、その古い町名からも分かる通り、通りのそこかしこで古の趣を遺す町屋が散見できる素敵な町で、なるほど、当地に出自を持つ写真家の『凱旋を兼ねた回顧的な写真展』に相応しい場所だと感じた。

とまれ、写真を嗜む人々以外で、渡辺克巳という写真家を認識している人は少ないだろう。それは『流しの写真屋』という異名と、彼がこよなく愛した撮影対象に起因していると言って差し支えないかもしれない。
恥ずかしながら、私が渡辺克巳の存在を認識したのは、30代を過ぎてからのことである。それも、たまたま訪れた書店の写真集コーナーで、傑作『新宿〈1965-97〉』を手にとった事がきっかけだった。
その写真集は、世間の周縁を生きるしかなかった人々へ向けた優しい眼差しで溢れていた。そこには偽善めいた慈悲や歪な思想は微塵もなく、ただただ新宿という狭くて深い水槽の中に『生』を求めた人々の姿がページを捲る度に登場していた。

こうした経緯があるにせよ、冒頭で記した通り、新日曜美術館を視聴していなければ、この写真展・・・しかも、渡辺克巳にとって故郷で開催する初めての写真展という稀有な催しに足を向けることは無かったに違いない。こうした場面に出くわす度に『チャンスの神様には前髪しかない』というユニークにして的を得た教訓を密かに思い起こすのである。

いずれにしても、過去の記憶を補完する機会は多いようで少ないものだ。ただアクティブに動けばよいというものではないし、かといって、何も考えずに受け身のままで座っていれば叶うものでもない。
然るにこの写真展は、私にとって『かつての自分』の感受性を再確認し、かつ自身の不鮮明な記憶を改めて焼き直すという意味でも、貴重な機会になるであろうことが予見された。

写真展の会場は、もりおか町屋物語館の大正蔵2階にある『時空の展示室』で開催されていた。鑑賞に入る前に、実行委員の担当者さんによる趣旨説明を受けた。それは、少しばかり予想外の出来事ではあったけれど、頗る好ましい導入時間となったように思う。

写真展は、オリジナルプリントの展示を中心に、彼が使用していた機材や彼の写真が掲載された雑誌類、そして彼を取上げたTV番組の放映といった内容で、この写真展の主旨を体現している様に感じられた。
勿論、渡辺克巳が愛した撮影対象と私自身の嗜好が合致しているという点から、評価が賛辞のベクトルになってしまうことは否めまい。けれど、個人的な贔屓を割り引いたとしても、渡辺克巳という写真家の実直な人柄に触れることができた喜びは大きかったし、被写体の表情を余すところなく写し撮ったオリジナルプリントのクオリティーは素晴らしく、感服の溜息をつきながら鑑賞させて頂いた。

「世の中に悪い人はいません。悲しい人がいるだけです。」
これは、生前の彼が息子さんへ遺した言葉だそうだ。
心の深い部分で共感を覚える言葉でもある。かくも生き辛い世の中を、這う這うの体で泳いできた私もまた『悲しい人』の一人であることを実感する。

会場をお暇する際に、実行委員の方から来客ノートにコメントを残して欲しいとの申し出を受けた。
周縁を生きた人々の生な姿を見せて頂きました。ありがとうございます。
乱筆で申し訳なかったが、初めて『新宿〈1965-97〉』を手に取った時に感じた『若輩の心の声』を綴らせて頂いた。
一言でまとめるなら、心に沁み入る写真展であった。彼の人のぬくもりと孤独の双方を感じさせてくれる写真を鑑賞しながら、30代の自分とコンタクトをとることができたような気がしている。
§ 暮らしの中にある『水』と『その場所』
好みの温泉に浸かったような心持ちで写真展をお暇した私たちは、近くにある『大慈清水』へ向かって歩みを進めた。

ここも嫁さんに見せたい『盛岡の顔』のひとつであった。
因みに、この界隈には、他にもこうした水場があって、その昔から潤沢な清水が湧き出ていたことを示している。

この大慈清水を初めて訪れた時、長野県の野沢温泉や岐阜の郡上八幡で目にした光景を思い出した。それぞれの佇まいや役割には異なりがあるけれど、各地域の歴史や生活・慣習を『水』を通して体感できたこと、そして我が国の国柄をも実感できたことに静かな興奮を覚えたものだ。こうした『さりげなくも慎ましい存在』にこそ、日本人のあるべき姿が刻まれていると思う。

この大慈清水は、日常的に地域の方々が使っているという実相がこの上なく芳ばしいし、用水組合なる組織が管理していると言う点も子気味良い。恐らくは、この水場の整然とした佇まいから、長きに渡って丁寧に使われてきたことを窺い知ることができるだろう。

観光に力を入れているのは岩手県に限ったことではないが、この大慈清水もまた観光資源の1つに数えられており、盛岡市界隈の観光地を紹介するリーフレットの類をつぶさに見れば、大慈清水の名を確認することができる。

ただ、本音を吐露するならば、当地の歴史や生活文化を物語る水場を『観光資源』という言葉で括ってしまうことに、私の情緒がもの悲しさを訴えてくるのである。さわさりながら、私自身が『嫁さんに見せたい光景』として記憶に留めていた事実は、この大慈清水が当該地域の立派な観光資源であることを実証しているわけで、こうした消化し難い裏腹な思いもまた観光にまつわる問題の中に存在する『一個人が向き合うべき課題』なのかもしれない。

私たち夫婦が、大慈清水に滞在している間、複数の観光客が暇なく訪れていた。訪れた人々の多くが、この水場に郷愁と憧れに近い羨望を覚えたに違いない。そうした共通項が『観光客と生活者が交錯する場所』において、良好な関係を維持するための要素になれば幸いだ。
雑感
此度は、勢いに任せた日帰り旅だったため、極めて短い滞在時間ではありましたが、感情を揺さぶられる時間を過ごせたと感じています。もっとも、大きな目的が1つだったということも幸いしたのでしょうね。なんとも言葉にし難いのですが、久方振りに『喜んでいる自分』を感じることができたような気がしています。今回もまた『嫁さんの一言』に救われました(微笑)。
なお、渡辺克巳の作品の一部は、東京国立近代美術館のサイトで鑑賞することができますので、興味を覚えた方は下リンク先を参照下さい。数枚の写真からでも、渡辺克巳の人柄が伝わってくると思います。

『三喜亭(三原葉子の生家)』の中庭にて。
