藤井風『Prema』。2025年最重要アルバムは何だったのか?:全曲解説で振り返る
2025年の紅白に不在だったもの、それは「藤井風」です。
米津玄師「IRIS OUT」の追加発表によってほとんど“すべて”があったNHK紅白ですが、だからこそ藤井風の不在が浮き彫りになった。
なぜか?
2025年最重要アルバムは藤井風『Prema』だからです。
単なるヒット作という枠を超え、2025年最大瞬間風速とも言える話題を呼び、このストリーミング時代においてCDをみんなが買い求めたのは記憶に新しいところ。
僕が覚えている限り、これは宇多田ヒカルの2016年作品『Fantome』以来です。
さらには、TikTokで「死ぬのがいいわ」が世界的バズを起こしてからの、全英語詞アルバムでの世界デビューという、J-POP 3.0文脈においても記念碑的作品となりました。
音楽メディアの最前線でこの一年を見つめてきた僕たち「てけしゅん音楽情報」が、全編英語詞という大胆な挑戦、そして「燃え尽き」からの再生を描いたこの2025年最重要作品『Prema』を、2026年1月、全曲解説とともに徹底的に振り返ります。
今年は本作を引っ提げたワールドツアーも行われ、コーチェラへの出演もありますので、ぜひこの新たな大波に備えてください!
照沼健太
ポップアート2.0作家、YouTuber、音楽家。テレビ東京やNetflixのメディア運営、レディオヘッドら数々のアーティストのCD封入解説文、HIKAKIN、米津玄師、押井守、藤本タツキなどのクリエイターや多くのビジネスパーソンの取材を担当。2023年末からYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2025年9月末時点で登録者約6万人)。
『Prema』。“自分”との再会と融合、別れの物語

アルバムタイトル『Prema(プレマ)』は、サンスクリット語で「無私の愛」「霊的な愛」「至高の愛」を意味します。
藤井風自身、この言葉が常に心のそばにあり、「この名前を付けざるを得なかった」と国内外の各種インタビューで語っています。
しかし、この神聖な感じがするタイトルとは裏腹に、制作の裏側には壮絶な葛藤がありました。
2ndアルバム『LOVE ALL SERVE ALL』リリース後、彼は「燃え尽き症候群」に陥り、一時は音楽キャリアの終わりさえ考えていたといいます。
「日本語でもう言うことがない」という絶望の中で彼が見つけた答えが、かつての夢であった「自分がクラシックだと感じるお気に入りの曲でいっぱいの英語のアルバムを作る」という原点回帰でした。
本作のサウンドの鍵を握ったのは、NewJeansの楽曲の多くを手がけたことで知られる韓国のプロデューサー、250(イオゴン)です。
藤井風が当初制作拠点としていたロサンゼルスで大規模な山火事が起こり、その影響から「アジアのクリエイティビティを核に据える」というピボットが行われました。
250が自らのアルバム『PPONG』でも追求したのは「ジャンルのクリシェ(定型)を極限まで研ぎ澄ます」美学。
このポイントが、藤井風が『Prema』で目指す方向性と融合した。それが『Prema』の独自のサウンドなのです。
全曲解説:“愛”のロードムービー
1. Casket Girl
アルバムの幕開けは、予想を裏切るロックンロール的な楽曲で始まります。元々は「Basket Boys」というタイトルで、2023年のFIBAバスケットボールW杯の放送用に書かれていた曲が原型です(結果的にその枠は「Workin' Hard」となりました)。
本作の中で「自分」と「お前」は何度も反転しますが、おおまかに解釈するとこの曲で描かれているのは「Casket(棺)」の中に閉じ込められた自分=ダークサイドを救い出そうとする物語であり、これは藤井風の燃え尽きからの「再起動」を象徴していると考えられます。
マイケル・ジャクソンの「Thriller」や「Beat It」を彷彿とさせるホラー映画的なユーモアとロックなギターリフを交えつつ、後半では70年代モータウン・ソウルのような甘美な展開へと移行し、自由を歌い上げるエネルギッシュで感動的な一曲。
それと同時に、このオープニングトラックは、LA、韓国、そしてUKのミュージシャンがデータをやり取りして完成した、まさに「旅をする楽曲」です。そして「旅」はアルバム『Prema』全体を貫く要素です。
2. I Need U Back
80年代後半から90年代初頭のニュージャックスイング(NJS)への直接的なオマージュとも捉えられる一曲。
『Prema』全体の大きなインスピレーション源になったジャネット・ジャクソンの名盤『Control』やジミー・ジャム&テリー・ルイスのサウンドにインスパイアされた肉厚なビート、ゲートリバーブのかかったスネア、そして炸裂する派手なオーケストラヒット。
藤井風曰く「最もパーソナルな曲」であり、情熱を失った自分に対して「今こそあのエネルギーを取り戻さなければ」と自己啓発的に呼びかける「生還の物語」です。
一聴すると失恋ソングに聞こえますが、"You"(表記は"U")は「過去の情熱的な自分」や「ハイヤーセルフ」を指していると考えられます。
ちなみに最後のアウトロで藤井風が笑っているのは、250が作ったバーンという音が「あまりに派手でエネルギッシュすぎたから」だそうです。
3. Hachikō
先行シングルとして世界に衝撃を与えた一曲。渋谷の忠犬ハチ公をモチーフに、「信じ抜くこと」「待ち続けること」をジャミロクワイにも通じるようなダンスミュージックに昇華させました。
プロデューサーのトバイアス・ジェッソ・Jr.が日本語のタイトルを提案し、藤井は初めて「ループ主体のビートから曲を作る」という手法に挑戦。「どこに行こうハチ公」という日本語のリフレインが、パーカッシブな楽器のように機能しています。
MVで描かれた、白と黒の衣装をまとった「飼い主の風」と「犬の風(ハチ公)」の対話は、待ち続けたファンへのメッセージであると同時に、分離していた自己との統合を暗示しているようにも見えます。
4. Love Like This
グウェン・ステファニーの「Cool」や、80年代のAOR、ヨットロックにインスパイアされたこの曲は、実は2018年頃から彼の脳内に存在していた、アルバムで最も古い楽曲です。
洗練されたエレピのイントロから始まり、「最も純粋な愛は外側ではなく自分自身の内側にある」という真理を歌います。
ヴァースとコーラスがさらりと流れていく洋楽的な構成ですが、ブリッジ部分での多重コーラスの重なりは圧巻。個人的にはアルバム中で最も鳥肌が立つ瞬間の一つかも。「天国はここにあった」と気づく瞬間のカタルシスを、極上のポップスとして表現しているかのようです。
5. Prema
アルバムの核となるタイトル曲であり、文字通り全9曲中の5曲目、真ん中に位置します。
BPM101のヒップホップビートに乗せて歌われるのは、「スピリチュアルなセルフボースティング(自慢)」。
通常ヒップホップでは金や名声を誇示しますが、ここで彼が誇るのは「内なる神性」です。「I am God itself(私は神そのもの)」と言い切る歌詞は衝撃的ですが、それは決して傲慢さではなく、万人が持つ神性を肯定する「自己紹介」のような楽曲。
イントロのレコードノイズから始まり、最後またループするように終わる構成は、この「愛」が永遠に循環していることを示唆しています。
6. It Ain't Over
アルバム後半の扉を開く、深遠な3拍子(6/8拍子)のソウルバラードです。ディアンジェロの名曲「Untitled (How Does It Feel)」を彷彿とさせる官能的かつ神聖な音像の中で、藤井風はイオゴンの提案によりキャリア初となるサックスのレコーディングを披露しました。
「大切な人が亡くなった状況を想像して、でも希望を持って演奏してほしい」というバンドへのリクエスト通り、別れを終わりではなく「同じホームに帰るための通過点」として描き出しています。
自分の声に近い楽器として選ばれたサックスの音色は、言葉にならない祈りのように響きます。
7. You
岡山時代から温めていたメロディが、SWV「Weak」やホイットニー・ヒューストン「You Give Good Love」の影響を受けて完成したと言われる楽曲。
「必要なものはすべて君の中にある」と歌うとっておきのゴスペルソングです。重なり合うコーラスワークは圧巻で、日常と神秘を繋ぐ彼の「天使的な魅力」が最も強く現れています。
そして、藤井風自身の言葉を借りれば、この曲は「自分自身へのリマインダー」。聴く人すべてを全肯定するような、優しくも力強い賛歌です。
8. Okay, Goodbye
「手放すこと」や「別れ」を、あえて軽やかに表現。250が「ウォーキングしている感じがする」とテンポアップを提案したことにより、アルバム終盤のムードが出来上がっているように感じます。
「あいつはもう戻ってこない、オッケー、しゃあなね」という日本語訳が示す通り、執着から解放された境地を歌っています。サウンド的にはビリー・ジョエルやキャロル・キングといった70年代のピアノ・ポップスのフィーリングがあり、アルバムの出口に向かって一気に視界が開ける楽曲です。
お気づきかもしれませんが、この曲が歌っているのは名曲「満ちてゆく」の英語版とも言えるテーマでもあります。
9. Forever Young
アルバムを締めくくるのは、バリ島でメロディが降ってきたという、最もアッパーで祝祭的なナンバーです。
約1分にも及ぶ長いイントロは、250によるYMO的なシンセサウンドと、学校のチャイムのようなベルの音が印象的。
マハトマ・ガンジーの「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ」という言葉にインスパイアされ、「毎日が誕生日である」という藤井風の哲学が凝縮されています。激しいビートの上で、あえて囁くように歌うボーカルは、全ての悟りを開いた後の安らぎを感じさせます。
最後の一言「My Love」は、自分自身への深い慈しみとして、軽やかで感動的です。
『Prema』が描くのは、「円環」と「音の物語」
全9曲、トータルタイム約40分。
現代のサブスクリプション時代において、このコンパクトさは決して珍しいものではありません。
しかし、『Prema』のコンパクトさは、70年代の名盤のようなクラシックな風格を携えているように思えます。それは、緻密に設計された「建築的な美しさ」が潜んでいるからかもしれません。
1. 美しいシンメトリー構造
本作の構成は、前半4曲、真ん中のタイトル曲、後半4曲という「4-1-4」の完全なシンメトリー(対称)構造を持っています。
前半の「Casket Girl」から「Love Like This」までは、燃え尽きた灰の中から這い上がり、情熱を取り戻し、愛に出会うまでの「上昇」の旅路。
そして、アルバムの中心である「Prema」で自己と神性が統合。
後半の「It Ain't Over」から「Forever Young」では、その高まった意識を日常に持ち帰り、執着を手放していく「着地」のプロセスが描かれています。
2. 「硬」から「軟」へ:音響設計が語るストーリー
この感情のプロセスは、サウンドの質感(テクスチャー)の変化によっても雄弁に語られています。
ミキシング・エンジニアを務めた小森雅仁氏の手腕により、前半の楽曲群はキックやスネアが強調された「硬質で緊張感のある音」で構成されています。これは、戦い、もがき、エネルギーを取り戻そうとする藤井風の切実なアクションの表現のように感じられます。
藤井風 3rd Album『Prema』
— 小森雅仁 Masahito Komori (@mkmix4) September 5, 2025
全曲のミックスと録音数曲担当させていただいてます🙌
既発曲以外も本当に素晴らしいので是非!
プロデューサーの250ともスタジオで一緒にセッション出来て楽しかった!
リリースおめでとうございます🎉
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対して、タイトルトラック「Prema」を通過した後の後半は、一気に「柔らかく、有機的な音」へと変化するように聞こえます。包み込むようなベースライン、囁くようなボーカル。
この「硬→軟」という音響的なグラデーションこそが、リスナーに対して安らぎと解決をもたらしているのではないかと思います。
3. 「クリシェ」の追求と、「もう一つのJ-POP 3.0」
ニュージャックスイング、ヨットロック、70年代ソウル……本作で参照されているのは、ある意味で手垢のついた音楽ジャンルの「クリシェ(定型)」ばかりです。
しかし、藤井風と250のケミストリーは、それらクリシェを単に模倣するのではなく、「極限まで研ぎ澄ます」ことで、2025年の最新鋭のサウンドへと昇華させました。
「ベタであることを恐れず、その芯にある普遍性を突き詰める」。
このアプローチは、J-POPがガラパゴス化を脱し、文脈を共有しない海外のリスナーにもダイレクトに届けるための手法としても機能する可能性があります。
これは基本的には“ガラパゴス”のまま、アニメやアルゴリズムを通して世界にアプローチしている「J-POP 3.0」にとって、新たなモデルケースとなるかもしれません(NewJeansは言語やビジュアル表現以外はこの文脈に乗っていた部分があると思います)。
これはJ-POPの分岐点なのか?
しかし、一方で『Prema』が採ったのこの方向性には、大きな懸念点があるのも事実です。
庵野秀明「僕自身は海外を意識して作品をつくったことはないです。ドメスティックなものしかつくれない。映画会社もすぐに「海外が」と言ってくるんですが、僕自身は目指していません。まずは日本国内で受けるもの、そこで面白がられるものに基本的には終始して、運よく海外の人が面白がってくれればありがたいな、というスタンスです」
先日、映画監督の庵野秀明さんと山崎貴さんの対談が大きな話題となりました。「グローバルは目指さず、日本人向けに作る。それが結果的に世界で受けたらいい」という方向性について、海外のファンから大きな賞賛の反響が集まったのです。
「変に俺たちに合わせないでくれ」と。
これは実はコンテンツ業界ではずっと言われていることであり、グローバルを意識すると薄まるという考え方の一部です。宮崎駿監督作品も、海外評価が高い作品はやはり日本が舞台の作品です。
それに対して、藤井風がかつて夢中になった「あの頃の洋楽アルバム」を作る的な『Prema』の方向性は、とんど真逆と言ってもいいものです。
そして現状『Prema』は海外で大きなヒットアルバムとはなっていません。僕個人としても身の回りの英語話者のリアクションなどを見ても「日本語で歌ってほしかった」という反応が目立っています。
もっともここまで紹介してきたように、藤井風本人は世界でブレイクするために英語詞アルバムを作ったのではありません。ミュージシャンとしての情熱を取り戻すために英語アルバムを作り、そこに海外レーベルとの契約タイミングが重なっただけです。
だから、この『Prema』を「世界デビューアルバムの悪手」と言うべきではないと思います。
このアンビバレントな感覚、立ち位置、そしてコーチェラのリアクションがどう動くかのも含め、「『Prema』はまだ始まったばかり」と言えるのではないでしょうか。
2026年も続く『Prema』の旅路
最後に、2026年の藤井風と『Prema』の動きについてまとめたいと思います。
直近で予定されているのは、4月に開催される世界一の音楽フェス「Coachella 2026」への出演です。ジャスティン・ビーバーと同じ土曜日で、チケットは即完。間違いなく藤井風に限らず、J-POP 3.0全体としても2026年最大級のトピックでしょう。

さらに、10月からはアジア6箇所を巡るドーム&スタジアムツアーを含む「Prema World Tour」、その前哨戦として7月には国内アリーナツアー「Pre: Prema Tour」も発表されています。
藤井風、そして『Prema』の旅はどこへと続くのか。
まだ、始まったばかりです。
(照沼健太)
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