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どうすれば「読ませる」文章が書けるのか?


「読ませる」文章とはなんでしょうか。
ブログやnoteに書いていても、文章が読まれるとは限られない。
誰からも反応がなく、「いいね」もこない。
読まれる手ごたえがなく、ずっと書いていくための気力がそがれてゆく。
そんな経験をしたことがある、あるいはいま経験している人も、少なくないはずです。
では、どうやったら「読ませる」文章が書けるようになるのか。

著者プロフィール:伏見瞬
批評家・音楽系YouTuber。東京生まれ。
音楽・映画・文学など、表現文化全般に関する執筆を様々なメディアでおこなう。2017~18年「第三期ゲンロン批評再生塾」で東浩紀審査賞を受賞。2018年から旅行誌を擬態する批評誌『LOCUST』編集長。2022年からトークイベント「歌舞伎町のフランクフルト学派」を批評家・西村紗知とともに主宰。会社勤めの兼業作家。
著書に『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(2021年、イースト・プレス)。2023年末からはYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2025年2月末時点でチャンネル登録者数約5万人)。

先日、佐々木敦さんが主宰する「ことばの学校」の講師を務めました。
小説家・詩人・音楽家・美術作家・編集者・研究者・批評家など、「ことば」を生業とする講師陣、つまりことばを「読ませる」ことに成功している人たちが、1年にわたり講義をしていきます。
一講師にあたり、三時間の講義を三回分。講義の任意のタイミングで、課題を一つ出します。

映画美学校 | 言語表現コース ことばの学校 概要 (eigabigakkou.com)

私は、二回目の講義の際に、「自分の嫌いな/苦手な/許せない対象について批評せよ」という課題を出しました。
好きなものではなく、嫌いなものに、そのひとのこだわりが出ると私は考えています。
自分のこだわりを発見してほしいと思い、嫌いなものを批評する課題を出した、というわけです。
はたして、課題に応えた文章は、充実したものが多かった。
問題意識が明確になっている文章が多く、すぐれた分析をしている文章にも出会えた。そのまま商業媒体に掲載できそうな批評文もありました。

提出された文章を読んでいる際、「読ませる」文章と、そうではない文章ではっきり分かれると感じました。
「読ませる」文章には、一体なにがあるのか。どこに差があるのか。


説明の取捨選択

まずいえるのは、「読者の想定」の有無です。
この文章を読むのはだれなのかがクリアになっていると、その文章は「読ませる」ものになります。
前提となる情報をどこまで提示するのか。省いた方がいい説明はなにか。

たとえばこの文章は、「読ませる」文章を書いて、人に読まれたい気持ちを抱えている人たちを主な読者だと想定しています。
その中には、「ことばの学校」を知っている人もいるでしょうが、多くの人は知らないだろうと考え、説明を加えています。
知らない固有名詞が説明なく入っていると、その時点でたいていの文章は読めなくなってしまう。
なので、読者が知らない存在については、説明した方がいい。

とはいえ、「ことばの学校」主催の佐々木敦さんのことまで細かく説明すると、「読ませる」文章とはなにか、という主題とは関係の薄い話になってしまいます。
読者が読むのに困らないところであれば、説明は加えないほうがいい。
主題に対して、関係が強いか弱いかどうかで、説明の取捨選択をしていきます。
「読ませる」文章を書きたいとして、誰になにを「読ませる」かが重要なのです。
一言でまとめれば当たり前に思えるかもしれませんが、できていない人も少なくありません。

説明の取捨選択を行ってはじめて、自らの考えを主張できます。
主張といっても、「AはBだ」というはっきりしたものがなくてもいい。
極論、結論が「考えたけど答えが出ない」になっても構わないと私は思っています。
適切な事前説明ができていれば、考えの過程も「読ませる」ものになっていくからです。

自分のことを書くエッセイでも同様です。
自分について書いていても、「ひとりよがり」になるわけではありません。
ひとりよがりな文章とは、どんなテーマに関しても、必要な説明を怠っている文章を指します。

「よくある文章」はどこから?

主張や考えを述べる際に、注意すべきことがあります。

流行り言葉や紋切型の表現に寄りかからないことです。
流行り言葉という点では、「ケア」とか「クィア」などが人文界隈でここ数年流行した言葉として挙げられます。
このような言葉を無防備に使っていると、その人から出てきた言葉を読んでいる、という印象が読者から逃げてしまいます。
悪い意味で「よくある文章」の気配が漂ってしまうのです。

紋切型の表現、たとえば「絶対に繰り返してはならない悲劇」とか「この世のものとは思えない美しさ」とか、そういう表現を使うのも避けるべき。
エッセイや小説を書くうえでも、同様のことが言えます。
書いている人の主張や考えは、言葉の選択一つから漏れていきます。
流行語や紋切型の表現を使っていると、「あ、この人はあまり考えて書いていないんだな」と伝わってしまう。
もし、流行語や紋切型の表現を使用していると気づいた場合は、なるべく、自分のフィーリングに近い言葉に変えていきましょう。

もしほかの表現が浮かばない、他の言葉が相応しいと思えない場合は、「月並みな表現だが」といった前置きをつけておくのも効果があります。
「流行語を使うかたちになってしまうが、そこには「クィア」な感性が宿っている。」といった表現であれば、そのまま「「クィア」な感性が宿っている」というよりは随分マシに思える。
ただ、できれば流行語や紋切型ではない言葉を探るべきです。

もちろん、ここで出した「ケア」「クィア」といった例には、そもそもその言葉が使われるようになった歴史や背景があります。
ただの流行語では片付けられない重みもあります。
だからこそ、使用する際は、言葉の背景や歴史を踏まえて慎重に使うべきです。

私も以前、『ユリイカ』の長谷川白紙特集に寄稿した際、「クィア」という言葉を使いました。
この文章を書くために、ジュディス・バトラーやダナ・ハラウェイや村山敏勝など、クィア理論の主要文献を読んでいます。
その上で、一般的な意味とは少し違う意味での「クィア」の定義をしています。
是非読んでみてください。


より多くの人に読まれるためには?


さて、情報と説明の取捨選択ができて、よくある表現に寄りかからない言葉で文章が書けたとする。
「読ませる」文章が書けたとする
それでも、人に読まれない。もっと多くの人に読まれたい。
そういう時はどうすればいいか。

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