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東洋思想の叡智~第8回 太極 ― 判断の中心

現代社会は、世界がネットでつながり、AIが発達し、誰もが多くの知識や情報を得られる時代になりました。ゆえに多くの人が、特に経営・人材育成・組織運営などの分野で、何を基準に意思決定すべきか?という「判断の中心」を見失いつつあるように思えます。

東洋思想では、もっとも根源的な中心を「太極」と位置づけています。陰と陽など、相反するものを統合する中心的原理です。今回は、この「太極」をもって私たちの内側にどのように「判断の中心」を形成していくべきか?について考察します。


1.道:二つの異なるアプローチ

「判断の中心」を考えるうえで、まずはこれまで何度か紹介している「道(タオ/ダオ)」という概念を起点にします。儒教を説いた孔子と、道教を説いた老子は、異なる方向から「道」という同じ真理へ近づこうとしました。違いは、どこから出発するかにあります。

孔子は、人間社会の秩序や倫理を重視する「人道」を見つめました。親子関係、主従関係、仁、義、礼などの人間関係を具体的に整えてゆくことを通じて、人としての完成を目指しました。

老子は、天地自然はどのように働いているのか?という「天道」を見つめました。万物はおのずから生じ、おのずから変化していく。そこに老子は「道」の働きを見出します。その自然原理に沿った生き方こそ、人間にとって最も本質的であると考えました。

孔子(儒教):人道 → 天道
(人間の生き方を極め、宇宙の道理へ至る)
老子(道教):天道 → 人道
(宇宙の根本原理から、人間のあり方を導く)

孔子は「人間」から宇宙へ向かい、老子は「宇宙」から人間へ降りてくる。アプローチは正反対ですが、最終的に両者が到達しようとしている本質は、「私欲を超え、道に調和する」という点で共通しています。

「道」には形がなく、見ることも、掴むこともできません。現代社会ではデータ化・言語化・論理化が重視されますが、一旦言葉で定義したものは、局限性をもち、時間と空間が定まってしまいます。本質的なものは、表現化を超越します。そして「その議を思うことは不可である(=不可思議)」とされています。「道」は不可思議なのです。

2.徳:道の相として現れるもの

「道」そのものは見えませんが、それが現象として現れた姿を「徳」としました。

「徳」は、現代では"善い行い"などの意味がありますが、『道徳経』では「本質的なものが自然界に現れた姿」としています。例えば、柔軟に流れる水、すべてを受容する大地、万人に公平な太陽など。

人間でいえば、赤ちゃんの存在やふるまいは、「徳」がもっとも自然に現れた状態とされています。以前に「父の日に考える父子教育」という記事で、『易経』の「蒙以養正 聖功也(子供を純正で無邪な品徳に育むことは、神聖な功業)」という一句を紹介しました。子供がいつまでも純粋な心をもって一生を過ごしていけるように教育をすることが重要です。

一方で「徳」は演じるものではありません。内面から自然に滲み出るものです。一時的には話術やスキルで人を動かすことはできても、長期的には本質的な一貫性が問われます。

3.仁:社会における実践

そして「徳」が実際の行動として機能したものが「仁」です。自分の言動に責任をもつ、社会に貢献する、相手を尊重するなどの具体的実践です。ここまでをつなげて、「道」と「徳」と「仁」には以下のような順序だった関係性があります。

道(見えない本質)→徳(道が現れた様子)→仁(徳の実践)

道に共鳴すれば、本質を見誤らない。
徳が立てば、軸がぶれない。
仁が流れれば、組織に生命が宿る。

三つが順序立ててつながると、自然な形で、無理なく、主体的に人を動かすことができます。これこそが、判断の中心を形成する根本的な構造であり、リーダーに求められる本質的な人間観です。逆に、土台となる「道」や、軸となる「徳」が抜け落ちると、周りの人は疲弊し、組織は不安定になります。

4.判断の中心

私たちは、多くの場面で「どちらか」を選ぼうとします。感情か合理か? 利益か倫理か? 伝統か革新か? 実はこれらの二項対立こそが判断を歪める最大の罠です。そこで「太極」という考えが必要になります。

「太極」は、相反する概念を内包しています。陰と陽は対立するのではなく、循環し、互いに必要としています。昼と夜、生と死、春夏秋冬、栄枯盛衰も同様です。老子は「循環・反転こそ道の動きである」という言葉を残しています。その中心が「太極」です。

「太極」は見えません。例えばコンパスで円を描くとき、針で刺した点が「太極」に例えられます。円の外径は無数の点の集合体として線になりますが、円心そのものは見えない。しかし「見えない中心」があるからこそ、円という秩序ある全体が成り立つのです。

判断軸も同じ構造です。円(行動・言葉・決断)は周りの人から見えますが、円を生成する中心(道・徳・仁)は見えないところに根を張っているのです。「判断の中心」は他者からは見えないものですが、歪んだ円を見れば、根が張っていないことがすぐに分かります。

知識や情報はAIが届けてくれる時代になりました。しかし判断の中心は、自分の内側にしかありません。「私欲を超え、道に調和する」ことで、判断軸つまり「内なる太極」が定まり、いずれは本人のリーダーシップとしておのずから現れるようになります。

次回予告

次回は「第9回 自性 ― 本来の自分」についてです。「道」には、静から動が生成されるという非常に重要な構造があります。それは佛教の思想にも存在します。この世界観でリーダーシップを見ていきたいと思います。

静: 万物の根源としての「道」。天地万物が生じる以前からある、無名・無為の根源。すべての可能性を孕んだ絶対的な静寂。

動: 宇宙を貫く法則としての「道」。時間と空間の常なる流動変化、すなわち「諸行無常」を司る、循環する永遠の運動。

お楽しみに!

車文宜・手計仁志

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