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そして誰も日本語を理解できなくなった、を読んで

※コメント欄に書き込もうとしましたが文字数オーバーということで記事にします。

武智倫太郎さん

こんにちは
コメント欄では拙速な判断で失礼しました。全文拝読しました。相当に勉強になりました。私が日本語にたいして抱(いだ)いている疑問と、可能性について、よく考えるきっかけになりました。

1.私の日本語への疑問

・なぜ現代日本語の助詞は使い方がむずかしいのか
・なぜ現代日本語は助動詞が貧困になったのか
・AIから生成される日本語はなぜ不気味なのか
・なぜ日本人は昔から、とくに明治以降顕著に外交が下手になったのか
・なぜ日本語は豊かな表現の可能性に満ちているのか(私見です)
・なぜカリフォルニアに暮らす姪っ子(6歳・バイリンガル)は、ご馳走すると「わたしはおいしい!」というのか。それに対して「おいしい」だけでいいから、と私はなぜ思うのか。
・なぜ日本語は古典学習を軽視しつつあるようになったのか
・なぜ日本語話者においては責任の所在が曖昧になるのか。とくに先の大戦時において、責任は責任者へと上昇していき、さいごは天皇へととどき、当時天皇は神でしたので無謬として責任が消えた、という『神聖喜劇』の指摘をおもいだしました。

などなど。これらの疑問へのこたえはまだ出ていませんが、私なりに考えていきたいとおもいます。

2.日本語の可能性について

日本語の可能性については、武智さんのおっしゃる「AIレジスタンス日本語:曖昧さと余白を保持し、AIにとって理解不能な言語であり続ける。AI神話を相対化し、人間の領域を守る。」として在り続けてほしいと思います。
楽観的なシナリオかもしれませんが。

3.日本語学習への批判

さいごに、日本語学習への批判を述べます。武智さんの論考とはあまり関係ないのですが触発されて。
日本語学習について、日本語の構造(よいとこ・わるいとこ・特徴)を知るためには、もっとも近い外国語、日本の古典を学ぶのがちかみちであると考えています。とくに漢文。中国古典ではなく、それを翻訳し、取り込み、日本文字にまで血肉化したその過程に触れることは大切だと考えます。おそらく現在進行形で血肉化しつつある英語学習においてもそれは有益になりうると思います。

以上になります。

ことばについて、あらためて考えるきっかけをいただき感謝します。
AIはほとんど触ったことがないです。ちょっと付き合ってみようかな、と思う時間にもなりました。

ありがとうございました!(人’’▽`)

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