株価は15時に動き出す
はじめに
株式市場は15時に終わる。多くの人は、そう考えている。
取引所の売買が終了し、株価の表示が止まり、その日の高値、安値、終値、出来高が確定する。仕事を終えた投資家は保有銘柄の損益を確認し、明日の相場がどうなるかを考えながら画面を閉じる。ニュースサイトやSNSでは、その日の値上がり銘柄や市場全体の動きが語られ始める。
しかし、翌朝に急騰する銘柄を探す投資家にとって、15時は一日の終わりではない。

むしろ、ここからが始まりである。
市場での売買が停止したあと、企業はさまざまな情報を発表する。業績予想の上方修正、増配、自社株買い、大型受注、新規事業、資本業務提携、株主優待の新設、黒字転換、固定資産の売却、子会社の異動など、その内容は多岐にわたる。
これらの情報は「適時開示」と呼ばれる。
適時開示は、上場企業が投資判断に影響を与える重要な事実を、投資家に公平かつ迅速に知らせるための仕組みである。企業が自ら公表する一次情報であり、新聞記者の解釈やアナリストの予想、SNS上の噂とは性質が異なる。
そこに書かれているのは、企業が正式に発表した事実である。
翌日の株価を大きく動かす材料の多くは、この適時開示の中に含まれている。
引け後に業績の大幅な上方修正が発表されれば、翌朝には買い注文が集まる可能性がある。発行済株式数に対して規模の大きい自社株買いが発表されれば、需給改善への期待が高まる。赤字が続いていた企業が黒字転換を発表すれば、それまでの評価が一変することもある。
つまり、翌朝の急騰は、朝になって突然生まれるわけではない。
その兆しは、前日の15時以降にすでに現れている。
ところが、多くの個人投資家は、翌朝になってからその事実を知る。値上がり率ランキングに銘柄が表示され、ニュース記事が配信され、SNSで話題になり、買い気配が膨らんだ状態を見て、初めて材料の存在に気づく。
その時点では、すでに株価が大きく上昇していることも少なくない。
本書の核心
「もっと早く知っていれば買えたのに」
急騰銘柄を見ながら、そう感じた経験がある人も多いだろう。
だが、本当に必要なのは、誰よりも早く秘密の情報を手に入れることではない。特別な情報網を持つことでも、高額な投資情報サービスに入ることでもない。
企業がすべての投資家に向けて公開した情報を、毎日確認することである。
適時開示は、原則として誰でも無料で読むことができる。プロの投資家だけに公開されているわけではない。証券会社に大きな資産を預けている人だけが見られるものでもない。
市場に参加するすべての人に、同じ情報が提示されている。
それにもかかわらず、適時開示を毎日読む個人投資家は決して多くない。
理由の一つは、開示される資料の数が多いからである。日によっては、決算関連の資料、役員人事、株主総会、組織変更、配当、業務提携など、大量の文書が次々に公表される。
すべてを丁寧に読もうとすれば、時間はいくらあっても足りない。
また、開示資料には専門的な表現が多い。タイトルを見ただけでは好材料なのか悪材料なのか判断できず、数字をどのように評価すればよいのか分からないこともある。
上方修正と書かれていれば、必ず株価が上がるわけではない。自社株買いが発表されても、その規模が小さければ反応は限定的になる。大型受注という言葉が使われていても、企業全体の売上高に対する影響がわずかであれば、株価材料としての力は弱い。
反対に、一見すると地味な開示の中に、企業価値を大きく変える内容が隠れていることもある。
大切なのは、開示が出たという事実ではない。
その開示が、企業の利益、成長性、財務状態、株主還元、そして株式の需給を、どの程度変化させるのかを考えることである。
直面する課題
本書の目的は、適時開示を読めば簡単に儲かると主張することではない。
適時開示が出た銘柄を、何も考えずに翌朝買えばよいという話でもない。
好材料が発表された銘柄は、翌朝に大きく買われることがある一方で、高値で寄り付いたあとに急落することもある。市場がすでに材料を予想していれば、良い内容でも売られる場合がある。業績が改善していても、株価が先に上昇していれば、材料出尽くしと判断されることもある。
適時開示を利用する投資では、材料の強さだけでなく、時価総額、過去の株価位置、出来高、浮動株、信用取引残高、市場全体の地合い、寄り前の気配値など、複数の要素を組み合わせて判断しなければならない。
そのため本書では、単に開示資料の種類を紹介するだけではなく、翌朝に急騰しやすい条件、見せかけの好材料を見抜く方法、候補銘柄の絞り込み方、寄り付きでの対応、損切りと利益確定、危険な銘柄の特徴、売買記録の検証方法までを順番に解説していく。
目指すのは、一度だけ急騰銘柄を当てることではない。
同じ手順を繰り返し、条件に合う銘柄を継続的に探せるようになることである。
投資において、結果だけを見ると判断を誤る。
翌日に株価が30%上昇した銘柄を見れば、前日に買っておけばよかったと思う。しかし、重要なのは、上昇したあとに理由を説明することではない。その開示が発表された時点で、どの数字を見て、どの条件を評価し、どのリスクを考えれば候補にできたのかを検証することである。
後からなら、誰でも正解を語ることができる。
必要なのは、答えが分からない時点で判断するための基準である。
その基準を作るためには、毎日の観察が欠かせない。開示内容と翌日の値動きを記録し、どの材料が強く反応し、どの材料が無視され、どの条件で寄り天になったのかを確かめていく。
適時開示を読む習慣を続けると、企業を見る目も変わってくる。
以前は単なるニュースに見えていた上方修正が、利益構造の変化として見えるようになる。自社株買いの発表を見たときも、金額の大きさだけではなく、発行済株式数に対する割合や会社の財務余力を考えられるようになる。
何度も業務提携を発表しながら業績が伸びない企業、保守的な予想を出したあとに上方修正を繰り返す企業、株主還元を重視する企業など、会社ごとの特徴も見えてくる。
この本が目指すもの
毎日読むからこそ、一つの開示を点ではなく、企業の変化を示す線として捉えられる。
株式市場には、将来を完全に予測できる人はいない。
どれほど強い材料が出ても、株価が必ず上がるとは限らない。予想外の売りが出ることもあれば、市場全体の急落に巻き込まれることもある。
だからこそ、投資家が身につけるべきなのは、未来を当てる能力ではない。
公開された事実を正しく読み、期待値の高い場面を選び、間違えたときの損失を限定する能力である。
15時に取引が終わったあと、画面を閉じる人がいる。
一方で、そこから適時開示を開き、翌日の候補銘柄を探し始める人がいる。
両者に与えられている情報は同じである。
違うのは、その情報を読むか、読まないか。そして、読んだ内容を判断できる基準を持っているかどうかである。
市場が閉じた15時から、翌朝の寄り付きまでには、静かな時間が流れているように見える。
しかし、その裏側では、企業の新しい事実が次々と公開され、投資家の期待が形成され、翌日の買い注文と売り注文が積み上がっていく。
株価の表示が止まっていても、株価を動かす力は動き続けている。
株価は15時に止まるのではない。
15時から、次の値動きが始まるのである。
第1章
なぜ株価は引け後の15時から動き始めるのか
1-1 株式市場が閉まったあとに始まる情報戦
東京証券取引所の現物株取引が終わると、多くの投資家はその日の相場が終了したと考える。株価は動かなくなり、出来高も増えず、チャートのローソク足も確定する。画面上では、確かに市場は静止したように見える。
しかし、株価を動かす情報まで止まったわけではない。
むしろ、企業に関する重要な情報が本格的に公表されるのは、取引終了後であることが多い。企業は決算、業績予想の修正、配当、自社株買い、資本提携、事業譲渡、大型受注、新商品、株主優待など、投資判断に影響を与える情報を次々と発表する。
その瞬間から、投資家の間では翌日の株価をめぐる情報戦が始まる。
ここでいう情報戦とは、未公開情報を不正に入手することではない。すべての投資家に同時に公開された情報を、誰が早く見つけ、正確に読み、適切に評価するかという競争である。
情報が公開される時刻はほぼ同じでも、その後の行動には大きな差が生まれる。
開示タイトルだけを眺めて判断する人がいる。SNSの反応を確認してから考える人がいる。決算短信や補足資料を開き、利益の変化、発行済株式数、取得上限、過去の業績、現在の時価総額まで確認する人もいる。
同じ資料を見ても、読み取る内容は同じではない。
たとえば「自己株式取得に係る事項の決定」という開示が出たとする。タイトルだけを見れば好材料に思える。しかし、取得予定株数が発行済株式数の0.3%にすぎなければ、需給に与える影響は限定的かもしれない。反対に、取得上限が発行済株式数の10%近くに達し、取得期間も短ければ、翌日の買い材料として強く意識される可能性がある。
重要なのは、自社株買いという言葉ではなく、その規模と実行可能性である。
上方修正も同じだ。純利益だけが特別利益によって上方修正されたのか、本業の営業利益が伸びたのかで、企業価値への意味は異なる。前回予想から5%の増額なのか、50%の増額なのかでも、株価への衝撃は変わる。
情報戦に勝つために必要なのは、読む速さだけではない。
何が重要で、何が重要でないかを短時間で分類する力である。
引け後には大量の資料が公表される。すべての資料を最初から最後まで同じ熱量で読んでいたら、時間が足りない。まずタイトルで大まかに分類し、次に数値の有無を確認し、重要度の高いものだけ本文や別紙まで読む。この順番を身につける必要がある。
市場が閉じたあとの時間は、投資家全員に平等に与えられている。
だが、その時間を休息に使う人と、翌日の準備に使う人では、朝を迎えた時点で持っている判断材料が違う。
株式市場は15時に閉じる。
しかし、情報をめぐる市場は、その直後から開くのである。
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