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【三月は】#シロクマ文芸部

三月は必ず仕事が入るのだと先生は言う。
先生は「街角の探偵シリーズ」で有名な小説家だ。
だけど三月に入る仕事は連載でも書き下ろしでもない。
「勝手な推測だけど…」
先生は胡桃入りのパンをナイフで薄く切り分けながら言う。
「この世からいなくなってほしい奴がいる」
ザクっと音がする。
ずいぶん硬そうなパンだ。
「そいつがこの世からいなくなる」
また一枚切り分ける。
「それを見届けて、この街を出ていくんだ」
切り分けたパンを皿に乗せて、先生はレンジに入れる。
30秒温めて、先生はこちらに持ってきた。
「美味しいよ」
薄く切ったパンはライ麦か何かなのか?
「いただきます」
手に取るとパンはしっとりしていた。
ひと口食べるとパンはとても柔らかかった。
噛み締めるほど味がする。
「美味しい」
「でしょう?」
先生はまた切り分けた。
そして、切り分けた2枚のパンの上にクリームチーズを乗せて、今度はオーブントースターで焼いた。
皿に乗せて持ってきた。
表面はカリッとしているのに、中はモチモチとして、食感がさっき食べたものと全く違った。
「今度のターゲットを調べていたら、このパン屋を見つけたんですよ」
ターゲット。
先生は殺し屋でもある。
先生のその仕事を知っているのは、先生に仕事を運んでくるメッセンジャーと、その仕事を統括している人物、そして僕だけだ。
「でも今度の依頼はその逆だったようです」
先生はふた口でパンを食べ終えるとコーヒーを飲んだ。
「相手がこの街を出る前に片付けてしまいたい」
メッセンジャーが持ってくるのはターゲットを始末する理由と仕事の期日。
仕事を受けるか否かをメッセンジャーに告げる。
受ける場合は、メッセンジャーは鞄から、ターゲットの写真と個人情報を取り出す。
名前、年齢、住んでいる場所と職場の情報。
先生はターゲットとなった人物がその情報どおりか否かを調査・確認する。
もしも、情報に間違いがあったら、その時点で仕事はキャンセルになる。
先に受け取っていた情報どおりの人物ならば、期日までに先生はターゲットの背中をポンと押して、その魂をここではないどこかに送り出す。
僕は時折、先生のアリバイ工作や、先生がターゲットを押しやすくするための手伝いをする。
今日も、呼び出されたのはパンを馳走になるためではない。
ターゲットは弁護士。三月いっぱいで「このパン屋の向かいのビルの3階にある」事務所を辞めて、独立する。
依頼人は誰か?ということは、実行するこちらはわからないと先生は言う。
依頼人は教会の懺悔室にて、誰を殺して欲しいか?その理由、そしていつまでに殺して欲しいか?を告げる。懺悔室の小さな窓越しに統括者が訊ねる。「報酬を払ってまで殺して欲しいのか?」
依頼人は500万円を小窓から差し出す。
統括者は「どのような死に方を望むか?」と訊ねる。
事故に見せかける。自殺に見せかける。誰かに殺されたとわかるようにする。中には「自分が死にゆく恐怖をきちんと味わってもらいたい」というようなことを言う依頼人もいるらしい。
統括者はメッセンジャーに依頼内容を伝える。
メッセンジャーは依頼内容に応える一番の実行者に話を伝える。
先生の元にくる依頼は「事故に見せかけて」の注文がある時だ。
本来なら統括者と実行者には面識はない。
だが、先生は統括者から直接依頼を受けることもある。
その理由はわからない。
依頼完遂されてもされなくても依頼人は、期日にもう一度懺悔室を訪れる。
なんらかの理由で依頼が完遂されなかった場合には500万は返金される。
それは滅多にない。
依頼人が嘘をついていなければ、大抵は依頼は実行される。
依頼人が嘘をついているかどうかは、統括者が最初に依頼を受けている時にわかるらしい。
嘘をついていたら「その戯言を聞く耳をどうやら神は持ち合わせていらっしゃらないようです」と、途中で懺悔室の小窓が閉められる…らしい。
「これは噂だけど」
先生がそう前置きして言う。
「懺悔室にて嘘をつくと、それから間も無く天罰がくだる」
「天罰?」
しかし、実行前の調査で依頼内容に間違いがあることが判明する時がある。
所謂「人違い」。
名前と写真が一致していないパターンが一番多い。
実行者がメッセンジャーにそれを伝える。
そこで依頼は一度取り消される。
そこがどういう仕組みになっているのかわからない。
仕事が完遂すると、メッセンジャーが報酬を持って現れる。
実行者の取り分は300万円。
年の1、2度あるかないかの仕事だが先生の仕事の話を聞くのは春が多いような気がする。
「今年は花が咲くのが早そうだ」
先生はそう言うが、先生が見ている窓の外にはただどんよりとした灰色の空が広がるばかりだった。


遅刻です。


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