いくつになってもドラマは始まる
vol.1394
中学生のとき、親戚のおじさんから、こんなことを言われました。
「いいよなぁ、辰ちゃんは。これから何にでもなれるんだから」。
そう話したおじさんは当時、今の私ぐらいの歳(50歳前後)だったと思います。
JALのパイロットで、私からすればキラキラしている。
でも、おじさんとしては
「私は、この後の人生決まったようなもんだから…」
という想いだったようです。
考えてみたら30年前は、そうだったかもしれない。
あと数年パイロットを続け、その後、地上勤務を行い60歳で定年を迎えるとう流れは見えている。
この頃は、人生80年モデルの時代だったので、あとは「老後」という生活をいかに過ごすのかを考えるのが普通でした。
おじさんはそのとき「人生のピーク」みたいなものを感じ、アンニュイな気分だったのかもしれません…
しかし今、世は100年人生時代となり、当たり前のようにセカンドキャリアを考える社会になっている。
「できれば生涯現役で活躍したい」
と思う方も増えています。
私もその一人で、そう考えると48歳の私は今、100年人生の折り返し地点もまだ通過していないことになる。
(…そんなに長く生きれるかどうかということはありますが…汗)
いずれにせよ、この後の人生も想像しなかったような未来を見たいと思うわけです。
40代から変わった人生
30代のころ、迷走していた時期が長く、40歳の誕生日を迎えた日に
「こんな40歳になるはずではなかった…」
と悲しい気持ちになっていたことを思い出します(笑)
ただ、42歳で副社長に抜擢され、43歳でnoteを書き始め、人生が好転していると感じます。
noteを初めて書いた日のこと。
「公開」ボタンを押したとき、大海原に水を一滴垂らすようなイメージが頭の中をよぎり、
「何て分不相応なことをやってしまったんだろう」
と記事を公開したことを後悔したのを覚えています…
ところが次の日、目を覚ますと2〜3名の方々がフォローしてくださっている…
…まぁ、1人でも見てくださるなら続けようと、続けていたら、気がつくと5年近く経っていたというのが正直なところです。
それでも。今ではたくさんの方々に記事を読んでいただいているわけで、こんな未来が来るなんて、40歳の誕生日を迎えた私は想像できなかったでしょう。
さらに、noteを書いたことで、広がった仕事もあります。
先代社長から急に「オレの代わりに、お前が講演をやれ」と言われたときも、noteを毎日書いていなかったら、受けていなかったような気がしています。
でも、書いていたことで、何だかいけそうな予感がし、受けることができた。
それが結果的に、その後の講演活動や、コンサル、小売業協会生活者委員会・コーディネーターの仕事につながったと捉えています。
つまり、自分で自分の限界を決めなければ、いくつになっても、それまでの自分が想像しなかった未来が待っている。
そんな期待を凡人の私でも抱くことができているのです。
最近はWebメディアやSNSの力もあり、一般の方々の人生ストーリーを見る機会も増えました。
その中にも、中高年になってからも花開く人生がいくつもある。
先ほど「セカンドキャリア」という言葉を出しましたが、一度リタイアしてから開く花も多いと感じています。
引退後72歳で開く花
そのお一人が、長野県原村にある「八ヶ岳風の子保育園」園長の橘田美千代さんです。
〈FNNプライムオンライン / 2025年2月1日〉
橘田さんは東京で67歳まで保育士として活躍し、2つの園で園長を務めました。
その後、仕事を引退し、原村に移住。
自然豊かな環境でのんびり過ごすはずだったそうですが、72歳のとき、乳児保育園を設立し、忙しい毎日を送ることに。
きっかけは、近くの牧場で見かけた赤ちゃんをおんぶしながら働く女性との出会いでした。
橘田さんが話を聞くと、村唯一の保育園は
「生後10カ月未満の乳児を預けることができない」
ということだったのです。
最初は「そうなんだ」っていう感じで受け止めていたそうですが、何回か聞くうちに、「何とかしなきゃ」と思うようになり、保育園を開いたとのこと。
この挑戦は村にとって大きな支えになっているようで、「自然豊かな場所で子育てをしたい」と移住してくる世帯も多いことから、八ヶ岳風の子保育園が「受け皿」の一つになっているそうです。
70代で、しかも新天地での園長生活。
ご本人は
「今、こういう仕事ができてありがたいなと思ってます。今までやってきたことが生かせたというか。自分も年のことは忘れるぐらい、毎日楽しい」
と仰っていますが、…なかなかできないことですよね…?
ただ、地域に貢献しているという実感は変えがたいものがあるに違いありません😊
「いくつになっても必要とされる」というのは、まさに理想ですね〜
50歳で東大生に
続いて、私と同世代で「想像もしなかった未来」を叶えた方をお一人ご紹介したいと思います。
塾講師の安政真弓さんです。
何と50歳で東京大学文科三類に合格しています。
〈産経新聞 / 2025年2月3日〉
もともとは、10代の受験でも東大を目指していたようで、そのときは2浪の末、早稲田大学に入学。
その後、塾講師→専業主婦となり、次男の小学校卒業を機に、兵庫県姫路市内で補習塾「安政ゼミナール」を開業し、中学生を対象に教えていたそうです。
そんな安政さんが、なぜ50歳になって東大を受けようと思ったのか?
実は、そのきっかけはママ友とのトラブルだったそうです。
その出来事があって
「私には何の価値もないのでは…?」
と落ち込んだそうですが、自分への自信を取り戻そうと、これまでの人生で大好きだった「勉強」を再開。
若いころ取得を諦めたフランス語検定2級合格を目標に勉強を始めたのでした。
そして見事、こちらに合格。
さらに、イタリア語やドイツ語など、ほかの語学も勉強する日々を送っていました。
その後、次男の東大受験に触発されます。
挑戦する息子の姿を目にし、「自分も!」と思ったそうです。
そして仕事と家事、育児を抱えながら、隙間時間で受験勉強を実施。
何と見事1回で合格したのでした。
この話の中で、同世代の私が勇気づけられるポイントは、一度10代の頃にも挑戦しているということです。
そのときは勉強に集中しながら、2浪しても叶わなかったのに、今回は50歳でありながら1回で合格している。
…普通は10代の方が記憶力も良いと思いますし、勉強だけに集中できない状況なのですから、考えれば考えるほど、難しい挑戦なはずです…
しかし、安政さんに言わせれば
「年齢を重ねてからの勉強は記憶力の面などで不利なイメージを持たれがちです。でも、自分に合う勉強の方法は経験によって身につくし、年齢を重ねたからこその強みもあります。国語や社会なんて生きているだけで体感として身につく知識もあるはずです」
とのこと。
つまり、年齢を言い訳にしなければ、若いときの自分を凌駕する成果を得ることができるというわけです😊
そして実はですね…、
最近私も、年齢を言い訳しないで挑戦したことで、驚くようなことが起こりました。
…と話を続けたいのですが、今の時点で3000文字に近づいていますので…、その話は明日に回すことにいたします…
…ということで、…ぜひ次回も見ていただければ幸いです…🙇🏻
本日も最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!
